悪魔のおにぎり(二)


 休息日の午後、戦艦『クラマ』は第七艦隊の僚艦と共に波を蹴立てて南進中。陽射しは強いが波は穏やかで、遠くでくじらが潮を噴いている以外はただ銀色の連なりが無限に広がるのみ。空が青いのはどうしてだっけ、海が塩辛いのはどうしてだっけ、などと学校の授業を思い出すふりをして頭を休めていた。


「あ、カンナちゃんだ」


「ほんとだね」


 ソロネの声をきっかけに視線を現実世界に戻すと、視線の先に見覚えのある姿を見つけた。後部副砲を取り除いて作られた飛行甲板の上でバレーボールをしている兵士さん達、その中にひときわ軽やかに動く小さなポニーテール姿。潮風に乗ってその甲高かんだかい声まで届いてくる。


「行きたいの?」


「うん!」


 明日の〇六〇〇マルロクマルマル時までは完全休息なんだし、これくらいは良いだろう。快く迎え入れてくれた兵士さんにお礼を言って体育座りでしばし妹の姿をながめる。


「見てろよー、それー!」


「きゃー!」


 カンナちゃんの運動神経は本当に天から与えられたもののようで、トスに見せかけてヘディングしたり、目測を誤ったふりをしてかかとでボールを打ち上げたり、バレーボールなのかどうかはともかくソロネも兵士さん達も大喜びだ。世が世なら何かのプロスポーツ選手になっていたかもしれない。


 私はそれを見てひとつ息をく。ともかくソロネが楽しんでいるようで良かった。

 彼女には私以外の人とも仲良くなってほしい。なにしろ人間から見れば無限に近い寿命を持つ悪魔なのだから、私がいなくなった後も寂しくならないように――――


「やあ、君はやらないのかい?」


「あ、はい」


 そう声を掛けてきたのは見知らぬ兵士さん。何でも先ほど食堂で「悪魔のおにぎり」を食べたそうだ。


「ソロネちゃんはいい子だね」


 気持ち胸を反らせてうなずき、嬉しそうにぱたぱたと翼を動かしつつボールを拾いに行く妹を目で追う。

 そう、ソロネはとてもいい子だ。自慢の妹を褒められるのは私にとって何よりも嬉しい。


「悪魔のことを色々と言う人もいるだろう。でも俺達兵士は皆、悪魔に感謝しているよ。もちろん魔女にもね」


「……ありがとうございます」


 でも現実は甘くない。悪魔と共闘している皇国の中にも様々な意見があって、悪魔を滅ぼせ、天使の支配を受け入れよという人も決して少なくはない。だからいつどのように状況が変わるかわからない、その時は私一人だけでも悪魔の、ソロネの味方であろうと心に決めている。




 二〇三〇フタマルサンマル時、ソロネと一緒にコナちゃんの部屋の扉をノックしたが応答はない。再び強めに扉を叩いて待つことしばし、VR仮想現実ゴーグルを額の上にずらした部屋の主が現れた。やっぱり一日中ゲーム三昧ざんまいだったのかと呆れつつ室内へ。


「はいこれ夜食。どうせご飯食べてないんでしょ?」


「てんきゅー。持つべきものはリア友だねえ」


「また対戦ゲームしてたの?」


「んーにゃ、基地と違ってネット繋がってないからね。オフゲで我慢するっきゃないのよ」


 そうだった。旧世紀には人工衛星を経由して世界中が通信ネットワークで繋がっていたと聞くけれど、天使によって頻繁に電波が妨害される現在でそれは物の役に立たず、地下に張り巡らされた光ケーブルが通信の主流になっている。ただし島国であるマヤ皇国においてそれは国内や一部地域のみにとどまり、当然ながらこのような艦上でネットワークに接続することはできない。だからなのか、部屋に据え付けの棚の中には据置き型・携帯型を問わず各種ゲーム機とソフトが雑然と押し込められている。


「ちょっとかぶってみ? ハマるから」


「あまりそういうのに興味は……きゃああああ!! 何これ! 何なの!?」


 無理やりVR仮想現実ゴーグルをかぶせられた私の目の前に現れたのは、極めて布面積が小さい水着? 下着? を身に着けたポニーテールの女の子。現実感がないくらい細いウエストにはちきれんばかりのバスト、半分丸出しになったヒップといった格好で幾分か恥じらいつつ、何故か椅子に座って勉強をしているようだ。南国リゾートを思わせる音楽にじって頭の後ろからコナちゃんのケタケタという変な笑い声が聞こえてくる。


「『エリカの夏休み』っていうエロゲ。家庭教師になって女子高生とひと夏の思い出を作るってやつ」


「なんで!? 全然わかんないんだけど!?」


 どうしてこんな水着で勉強しているのか、あまりに現実感のないこの体型は何なのか、何故コナちゃんがこんなゲームをしているのか、何一つ理解できる要素が無い。おまけにわざわざ私にそれを見せる神経も。


「いやあ、昔はこういうのたくさん作られたらしいよ? あまりにも過激すぎて規制されたけど」


「ソロネにも見せてー」


「絶対ダメ!!」


 手を出そうとするソロネを押しのけてゴーグルを突き返し、おにぎりと漬物だけの夜食を押し付ける。「いいからこれでも食ってろ」などとつい乱暴な言葉が喉まで出かかったけれど、妹の前ではしたない言動をしてはいけないと懸命に飲み込んだ。


「今さらだけどさ、ミサキの趣味って何?」


「え? 特には……読書とか?」


『悪魔のおにぎり』を頬張ほおばりつつ聞いてきたゲーム女子。けれど問われるまでもなく、私に趣味と呼べるようなものは無い。読書といっても年頃の女の子が読むような詩集や恋愛小説などでははなく、艦内の図書室から借りてきた『複葉機図鑑』とか『蒼天のサムライ』とか、何とも色気のないものだ。実はそれさえもあまり手を付けていなかったりする。


「ふうん、まあいいけど。旧世紀にはプロゲーマーっていうのがいたらしいよ? 私それになろうかなー」


「また嘘ばっかり」


「ほんとだって。それどころか素人しろうとがゲームして実況するだけでお金もらえたらしいよ?」


「ソロネもやる! ソロネもゲームしてお金もらう!」


「おー。一緒にやろっか」


「もう。適当なことばかり言って」


 でも、とふと思う。もしコナちゃんが言うことが本当ならば、平和で豊かで余裕があって色々な価値観があって、とても幸せな時代だったに違いない、と。


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