イナ州南岸ニ橋頭保ヲ確保セヨ(五)


 時刻は既に一七二〇ヒトナナフタマル時。北緯四一度を越えるスルガ海峡において、太陽は既に水平線のむこうに沈んでいる。みぞれ舞う曇天どんてん相俟あいまって、視界は一秒ごとに暗さを増していく。


 眼下の海面は紫から黒にその色を変えつつあり、空もそれを追うように夜を主張し始める。薄く天蓋てんがいを覆う雲は星明かりを地上に届けることさえ拒否しているかのようだ。


 汎用はんよう飛行ユニット【ゼロ式】は皇国の技術力の結晶であり、天使に対抗するための最も優れた装備だけれど、性能は第九位階【天使エンジェル】と同程度。もともと優れた性能を有していた上に第八位階に昇格したウェリエルと比べてしまえば、それは非常にもどかしい。この暗い海のむこうで友軍の魔女が、もしかすると同期の子が天使の追撃を受けているかと思えば尚更なおさらだ。




 高度一二〇メートル、現在速度時速二八〇キロメートル。推進機スラスター無しの水平飛行では限界に近い速度だ、今更いまさらながらにウェリエルを損傷させてしまった自分が恨めしい。彼女が使えさえすればもっと……


「十二時方向に火箭かせん


 つぶやくようなコナ准尉の声に顔を上げると、微かにそれを視認することができた。水平線付近で複数の白い光の線が伸び、すぐに消えていったのだ。

 既に日没を迎え発着艦が極めて困難になった現在、この空域に敵味方の艦載機かんさいきは存在しない。天使も魔女も結局は視覚に頼っている以上、もうすぐ交戦が難しくなるだろう。


 またしても前方に数条の白い光が走り、海面付近に虹色の飛沫が散った。直撃弾を浴びた物理障壁フィジカルコートが悲鳴を上げているのだろう。私はこちらが捕捉されるのも構わず射程外から威嚇射撃を行い、近距離通信を開いて呼び掛けた。


「こちら第三魔女航空戦隊、ミサキ准尉! 接近中の魔女、貴官および敵機をを捕捉した!」


 この状況、必ずしも敵機を撃墜する必要はない。これで敵が逃げてくれれば良し、交戦するとしても友軍機を護りつつ後退すれば良いのだけれど……


「……サキ……?」


 瞬間、背筋が凍った。酷い雑音の中、確かに覚えのある声が耳元のスピーカーから途切れ途切れに聞こえてきたのだ。


「エリカ!? 頑張って、助けに来たよ!」


「……て……たの? ……い、……ど……」


 綺麗だけれど抑揚にとぼしいその声は、共に『魔女の森』で学んでいた頃、戦闘用AIと国営放送のアナウンサーの物真似で皆を笑わせていた頃と同じものだ。表情を変えずにぼそりと面白いことを言っていたことも、彼女が買ったちょっと大人で生々なまなましい漫画を皆で回し読みしたことも、私は覚えている。忘れるものか。


推進機スラスターは!? 残ってないの!?」


「……って……い……」


 海面付近に白い光の線が伸びて、その先に七色の花が咲くのを私はこの目で見た。

 物理障壁フィジカルコートが砕け散ったであろうその光は線香花火のようにはかなく消えて、その場に残ったのは一面の暗黒。

 それきり途切れたままの通信、夜の中に上がる着水音。私は届くはずのない声を一杯に張り上げた。


あきらめないで! 必ず助けるから!」


 通常推力を全開にして時速三〇〇キロメートルを超えるところまで増速、七・七ミリ魔銃弾をばら撒きつつ上昇すれば二機の天使が追尾してきた。


「後方の天使の位階はわかる!?」


『画像を認識できません。位階不明』


 ゼロ式のAIに尋ねてみたが、さすがにこれほど暗くては位階を判別できないようだ。でも一人の魔女を二機で追うなんて下っの第九位階に決まっている。早く片付けてエリカを助けに行かなければ……


「武装を魔剣サーベルに変更!」


『武装を魔剣サーベルに変更します』


 ランドセルから魔剣サーベルの柄を抜き放つが早いか急制動、多少の被弾に構わずその赤く輝く刀身を天使に叩きつけた。戦車の装甲すら数秒で溶断するそれは、だが同様の白き聖剣によってはばまれた。


「くうっ……!」


 刀身を押し戻され、そればかりか弾き返された。それを二度、三度と繰り返しても結果は変わらず、危うく失速しかけて懸命に立て直す。これはゼロ式が力負けしている!?


『画像解析完了。第八位階【大天使アークエンジェル】と推定』


 私は焦燥しょうそうのあまり敵を見誤ってしまった。着水したエリカを一刻も早く救出しなければならないというのに、格上を相手に第九位階相当のゼロ式では太刀打たちうちできない。やっぱりウェリエルがいないと私なんて……


「あっ……!」


『被弾確認。物理障壁フィジカルコート損傷率五十七パーセント』


 後悔の念にとらわれた私はさらにミスを重ねた。動きが鈍ったところを挟み込まれて後方から被弾、とどめとばかり前方からは大天使アークエンジェルが聖剣をかざして肉迫する。


推進機スラスター開け……!」


 おそらくそれは間に合わなかった、だが貴重な一瞬を稼いでくれたのは下方からの弾列。コナ准尉の放った魔銃弾が大天使アークエンジェルの太腿部にはじけ、無視できない損傷を与えて動作を鈍らせたのだ。


 辛うじて天使の挟撃から逃れた私はコナ准尉に背中を預け、肉声で感謝を伝えた。返ってきたのはやはり肉声、だがその内容は私への苦情だった。


「あのさあ。ミサキ、私のこと忘れてない?」


「後にしてくれない? 今は……」


「その事だけどさ。友達を助けたいなら、まずあんたが生き残りなよ。わかる?」


 部屋でゲームをしているときと変わらない落ち着いたその声は、すっかり視野が狭くなっていた私の胸にみるようだった。この子の言う通りだ、焦っても良いことはない。それは僚機まで危険に晒す愚かな行為だ。


「うん……ごめん」


 落ち着きを取り戻した私は一つ深呼吸、手短に謝った。


「おけ。じゃあいつも通りね、やる事は変わんないよ」


「ん」


 私達は同時に翼をひるがえし、天使の光弾に虚空を貫かせて左右に飛んだ。


 打ち合わせなんていらない。返事は一音でいい。

 この子はただの同僚じゃない、何度も共に死線をくぐった相棒だ。お互いが考えていることなんて、手に取るようにわかる。

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