ザリュウガク沖海戦(一)


 四月を迎え、春と呼ぶには早いもののようやく寒さが緩んできたこの日。戦艦クラマに久々の朗報が舞い込んできた。

 後部飛行甲板に輸送ヘリコプター【シロナガス】が着艦し、前後三枚ずつのローターが巻き起こす風に栗色の髪をなびかせて、『みんなの素敵なお姉さん』が帰ってきたのだ。


「隊長、おかえりなさい!」


「ユリエ少尉、お待ちしてました!」


 モデルさんのようなゆっくりとした歩みを待ちきれず、まとわりつくように出迎える三魔戦の魔女達。少し出遅れてしまった私にも、人垣に埋もれて見上げるソロネとロクエモンにも、一人一人に触れて「ただいま」と微笑ほほえむその姿はやっぱり素敵で、通り過ぎた後にはふわりと大人の香りが漂った。


「やあ。休暇はもう終わりでいいの?」


「ごめんねアメコ、嫌な役を押し付けちゃって。大変だったでしょう」


「さあ? みんないい子だったよー」


 これで隊長の任を外れるアメコ少尉は相変わらずとぼけているけれど、この人を本当に『ダメ子』だと思っている隊員はもういない。精神的支柱を失い欠員と疲労で崩壊寸前だった三魔戦を、彼女は隊長代理を務めた一ヵ月ほどで見事に回復させたのだから。

 その間、自身は上層部ににらまれ、一時的とはいえ部下に嫌われ、地上部隊から恨まれ続けたにもかかわらず、私達のことだけを考えてずっと守ってくれた。この人もユリエ少尉に劣らない『みんなの素敵なお姉さん』であることを、もう誰もが承知している。


 さらにユリエ少尉が体を開くと、飛行甲板の上に現れた懐かしい顔が三つ。


「本日をもってナナミ准尉、コナ准尉、アイ准尉も三魔戦に復帰します。編成は後で伝えるわね」


 言うが早いか、黄色い歓声と共に揉みくちゃにされる三人の魔女。被弾の傷跡も、にじんでいた疲労も、影を落としていた不安も、もうどこにも見当たらない。私は先日の意趣返しとばかりにコナちゃんに抱きついて、意外な存在感を主張する二つの膨らみを思い切り掴んでやった。


「おうおうミサキ、ずいぶん元気じゃないのよ」


「コナちゃんこそ! ずっと待ってたんだからね!」


 一時は隊長を失い副隊長を奪われた三魔戦はにわかに活気を取り戻し、新たに一歩を踏み出した。私達は今それを肌で感じている。




 年度替わりという訳でもなかろうが、この日は連合艦隊の人事に大きな変更があった。


 ザリュウガク攻略軍総司令官カナメ・ミギタ大将が更迭こうてつ、新たにイサミ・ツキジマ大将が着任。先月の皇国議会総選挙までに十分な戦果を上げられなかったことが原因だという噂はさすがに飛躍しすぎだと思うけれど、損害をかえりみずひたすらに前進を命じる前任者の姿勢は前線の兵士から評判が悪かった。


 その総選挙においては、やや議席を減らしたものの皇民党が引き続き政権をになうことになった。選挙直前になって急に内閣支持率が持ち直したのはカンナちゃん率いる特魔戦の活躍のおかげではないか、などという話もあるが、政府直属の魔女戦隊をマスコミがこぞって報道したとはいえ、果たしてそこまでの影響があるものかどうか。


 ともかくシロナガスに続いて着艦した要人輸送ヘリコプターから姿を現したイサミ提督は、ほとんど全ての頭髪が抜け落ちた頭、しわの寄ったひたい、小柄な体躯、六〇代どころか七〇代と言われてもおかしくない、何というか『普通のお爺ちゃん』だった。どうやら古い知り合いなのか、わざわざ甲板まで出迎えたチョウジ艦長が感極まった様子で固く握手を交わしていたのが記憶に残った。




 一三〇〇ヒトサンマルマル時。そのイサミ大将が艦隊の全員に向けてお話があるとの事で、私達三魔戦はいつもの更衣室兼待機室に集まった。発足当初の十二名からはカンナちゃんが抜けたものの、今はアメコ少尉、セリナ准尉、スミレ准尉を加えてむしろ満員だ。座る場所が無いというわけではないけれど、私とソロネは何となく壁にもたれかかって天井のスピーカーを見上げていた。


「艦隊の諸君、わしはこのたび総司令官を拝命したイサミ・ツキジマ大将である。諸君らには少々手を止め、老人の長話に付き合ってもらいたい」


 後でユリエ少尉に聞いたところ、このイサミ大将という人は若い頃に艦隊を率いて南洋諸島の防衛に活躍した人物で、『南洋の虎』と呼ばれる猛将だったらしい。ただその後は上層部にうとまれ、僻地へきちを転々とするのみで目立った活躍はない。その人がなぜ今になって最前線の指揮を執ることになったのかは、ユリエ少尉にもよくわからないとの事だった。


「わが軍は現在、ザリュウガク城塞の攻略を作戦目標としている。その理由は政権維持のためでもなければ内閣支持率向上のためでもない」


 人数に比べて狭い部屋がざわついた。アメコ少尉などは締まりのない顔で笑いをこらえている様子だけれど、この発言は大丈夫なのだろうかとさすがに心配になってしまった。マヤ皇国は法律で言論の自由が保障されており、他者の名誉を傷つけたり風説の流布るふでもしなければ罪に問われることはないが、文民統制シビリアンコントロールを旨とする民主国家の高級軍人が公然と政府を揶揄やゆするなど豪胆にも程がある。


「知っての通り、ザリュウガク城塞は北にイナ州全域を、南にスルガ海峡を望む重要拠点である。これを確保すればスルガ海峡以南の脅威が去り、機を見てイナ州全域奪還に向かうことが可能となる。また、広大な農業地帯であるイナ州の奪還が成れば食料の安定供給に繋がり、今を生きる皇国民の生活を利することになる。これが我々の戦うべき理由である」


「侵略者であるルルジア連邦軍、その背後に控える天使どもに対して、私怨は一度置いてもらいたい。我々は皇国軍人であり、作戦目標は明らかだ。目標を達成する手段は既にこの老人の頭の中にあり、あとは諸君らの協力を得てこれを完遂するのみである。皇国のより良い未来のため、今を生きる国民のため、共に力を尽くそうではないか」


「具体的な作戦行動は後ほど、通常の指揮系統にのっとり伝達する。諸君らの健闘に期待する」




 この日この時、これまでソロネに対する愛情と敵に対する怨恨をかてにして戦ってきた私の前に、明確な目標と目的が提示された。

 両親と妹を冷たい海に沈めた天使に対しても、故郷を蹂躙じゅうりんした敵兵に対しても、恨みを一時忘れろという。そんなの無理と反射的に思ったものだけれど、落ち着いて考えてみればその通りだ。皇国軍人である私にとって大切にすべきは今を生きる国民であって、個人としてはソロネや仲間達、第二の故郷と言えるヨイザカ港の人々がそうだ。


 私は先日のスルガ海峡海戦において、私怨に駆られるあまりウェリエルを損傷させ、ユリエ少尉を危険にさらしてしまった。復讐の熱は一時的に力を与えてくれるかもしれないけれど、結局は目標を達成するさまたげになってしまうのだ。

 司令官は勝つための手段は考えてあると、そう言った。怨恨をあおったり精神論を振りかざすばかりだった多くの指揮官よりも、よほど信用できるのではないだろうか。


 ふと右手に柔らかさを感じて目を向ければ、思考の海に沈んだ私をソロネが心配そうに見上げていた。

 微笑とともにその手を握れば、確かなぬくもりが返ってくる。私が受け入れるべきは過去の冷たい恨みではなく、今ここにある温かさだった。海峡に漂う無念の思いに縛られていた私は、いつしかそれを忘れてしまっていたのかもしれない。

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