ヴィラ島沖海戦(十二)

 皇国軍第七艦隊は航空母艦アンシャンを始めとするシエナ共和国艦隊を撃滅し、フェリペ諸島海域の制海権を奪取した。


 余勢を駆った同艦隊はヴィラ泊地の重要拠点に艦砲射撃を加えた後、陸上戦力をもってこれを占拠。港湾施設および滑走路を確保した。

 この際私達は艦内待機、不測の事態があれば参戦するよう命じられていたのだが、結論から言えばそのような事態には至らなかった。ヴィラ泊地の守備隊の多くは逃走、僅かに残った者も程なくして降伏したからだ。


 魔女一人の戦力は空戦においては戦闘機一機に等しく、陸戦においてはそれを上回る。歩兵戦闘車に等しい火力と装甲を有する人間大の目標が圧倒的な機動力で俊敏に飛び回るのだから、通常兵器でそれを捉えるのは困難を極める。こちらとしても小銃しか持たない人間に対して過剰すぎる武器である七・七ミリ魔銃を向けずに済んだのは幸いだった。




 聖歴一〇八年一〇月一八日、晴れ。ちょうどヨイザカ港を発って一ヵ月が経過したこの日、『すい作戦』成功の祝賀会が開かれた。

 場所はなんとヴィラ港に停泊した航空母艦カデクルの甲板上。接収したばかりの拠点よりもよほど安全であるし広さは十分すぎるほど、と考えれば軍幹部が集うには絶好の場所なのかもしれない。


 白いクロスが敷かれたテーブルの上には若鶏の姿揚げ、白身魚のソテー、豚肉と夏野菜の素揚げ、ベーコンと豆のピラフ、根野菜のスープ、麦酒に米酒まで。艦上ということでもっと質素なものを予想していたのけれど、ここぞとばかりに食料やお酒が拠出された上に現地で新鮮な食料を調達できたため、このような豪華なものになったそうだ。


 純白の海軍士官服と軍帽は常夏の海と空によくえて、普段は海水と油にまみれて駆けずり回っている皆さんもなんだか凛々りりしく見える。私はといえば儀礼用の黒衣ローブまとい、テーブルの端から順番に一口ずつ食べては幸せそうな溜息を漏らすソロネをぼんやりと眺めていた。


「まだ食べるの? それ三周目じゃない?」


「うん。おなかすいたあ」


 ソロネは南国らしい色とりどりの果物が気に入った様子だけれど、中には苦いものもあったようで「んぅん♡……んぅん?」と言ったきり固まってしまい、二周目からはその果物、ピンクグレープフルーツだけを飛ばして回っている。


 以前聞いたところではソロネの故郷である魔界には調理という習慣がなく、果物や生物をそのまま食していたらしい。だが生き残りの悪魔達が現世に来て百年余り、彼女らはすっかりこちらの生活に適応しているどころか、口を揃えて以前の食生活に戻ることなど考えられないと言っている。




 空の青色が濃い。常夏とこなつの島と言っても良いこのヴィラ島は十月といえど日中は汗ばむほどで、寒暖の差が激しいイナ州出身の私などには羨ましいと思ってしまうのだけれど、こちらはこちらでハリケーンやスコールといった厄介な天候が多い。どちらがかと問われれば難しいところだ。


 このヴィラ泊地を含むフェリペ諸島には、制海権確保のため第七艦隊の半ばが残る。戦艦ヒラヌマ及び一魔戦十二名、巡洋艦二、駆逐艦四、航空母艦カデクルに搭載されていた戦闘機のうち十八機がそれだ。ヴィラ泊地は今後本国からの増援を受けてさらに周辺地域を制圧していくための拠点となる。


 本国に帰還するのは戦艦クラマ及び三魔戦十二名と悪魔ソロネ、航空母艦カデクル及び残りの艦載機、駆逐艦四。私達は残留部隊に揶揄からかい半分で羨ましがられつつ、手紙などを託されて帰途に就く。


「サツキ少佐、お怪我はもうよろしいんですか?」


「ああ」


 若鶏のモモ肉を食いちぎりつつ短く答えたのは歴戦の撃墜王エース。サリエルとの交戦で負傷した左腕にはまだ包帯が巻かれたままで明らかに不自由そうなのだが、否定するのも面倒といったところかもしれない。


「いろいろとお世話になりました。何度も助けて頂いて、ありがとうございます」


「……ふん」


 普段はぼろぼろの航空黒衣フライトローブや飛行服を愛着しているサツキ少佐も、今日ばかりは左胸に銀糸で魔女航空戦隊の隊章が刺繍ししゅうされた儀礼用の黒衣ローブを身に着けてオトナの魅力をかもし出している。


 皇国民の大半は私達がこの可愛らしくも優雅エレガント黒衣ローブを着て戦っていると信じているようだが、現実は大きく異なる。

 出撃の際にまと航空黒衣フライトローブは見た目よりも分厚く対候性に優れ、上空の低温に耐えるため裏起毛が施されていたり電熱線が入っていたりするし、武装に引っ掛けたり風圧でばたついたりしないよう袖や裾が工夫されている。装飾の欠片もない機能性一〇〇パーセントの代物しろものなのだ。


 手持ちの肉を食べ終えて指についた脂を黒衣ローブで拭ったサツキ少佐は、さすがに不愛想すぎると思ったのか話題を提供してきた。


「あのガキの様子はどうだ?」


「元気ですよ。あの通り」


 私が視線を送った先ではカンナ少尉が、艦隊司令サダミツ中将や一魔戦隊長ルミナ少佐と臆することなく会話している。その様子を見てのことか、それとも『あのガキ』と言っただけで通じたことが可笑おかしかったのか、微かに頬を緩めたように見えた。


 そのサツキ少佐の両肩が、後ろからかなり強めに叩かれた。飛行服に飛行帽というで立ちの、背の高い男の人だ。


「よう! うるわしき孤高の魔女殿、ご機嫌はどうかね?」


「たった今悪くなったところだ。だいたい貴様が何故ここにいる、祝賀会に参加できるのは士官のみのはずだ」


「士官になったことはあるぜ。三回ほどな」


 おどけるように広げた両腕の袖口を見ると細線三条、曹長を表す階級章。上下関係の厳しい軍隊で五つも階級が上の相手にこんな態度をとる人などいるものだろうかと目を丸くする。


「なあ、可憐な魔女ちゃんに紹介してくれよ」


「変な虫を後輩に押し付ける趣味は無い」


「変な虫とか言うなよ、頼むよサツキちゃあん」


 ちっ、と舌打ちしつつ右手の親指でその人を指すサツキ少佐。


「私達がサリエルと交戦中、一式戦で割り込んできた馬鹿者がいただろう。それがこいつだ」


 この人がそうか。『変な虫』、『馬鹿者』、さらには『こいつ』と呼ばれた曹長さんはにやけた顔をそのままに直立し、私に向かって敬礼した。


「ミサキ・カナタ准尉、カイト・ムラマサ曹長であります。どうぞお見知り置きを」


「ど、どうも……私のことをご存知なんですか?」


 一応敬礼を返しつつ聞いてみると、見た目通りとても不真面目な答えが返ってきた。


「それはもう。カンナ・イリエ少尉、コナ・アガサ准尉、リンカ・イザキ准尉……そしてソロネちゃん。小官は三魔戦の『箱推はこおし』であります」


「はあ……」


 言葉の意味がわからなかったので後でコナちゃんに聞いたところ、『箱推はこおし』とはグループ全員を好きになる人のことなのだそうだ。


 そしてカイト曹長。やはりこの人が通算七十二機撃墜、航空母艦カデクルに搭乗していた中でも最も優れた撃墜王エースであり、敵機ばかりか自分の搭乗機もことごとく破壊してしまうことから『破壊王クラッシャー』とも、都合三度准尉に昇進したもののそのたびに問題を起こして降格したことから『万年曹長』とも呼ばれていることも、本人の口から教えてもらった。




 しばらく私はそのカイト曹長に捕まっていたのだが、彼が「あ」とつぶやいたかと思うと突然解放された。

 入れ替わりに現れたのは一魔戦隊長ルミナ少佐。通算二〇二機、いや、このヴィラ島沖海戦でさらに撃墜数スコアを伸ばして二〇四機撃墜の生ける伝説。こそこそと人陰に隠れるカイト曹長の様子を見るに、この人が苦手なのだろうか。


「失礼。ミサキ准尉、少し時間を頂いてもいいかな?」


 ぴんと伸ばされた背筋、綺麗にかれた艶やかな黒髪、堂々とした歩調。その圧倒的な存在感は後光が差すかのようで、どこか近寄りがたい雰囲気をかもしてさえいる。

 どうやら彼女はわざわざ私に話しかけるために近づいてきたようで、緊張のあまり直立不動で敬礼するのが可笑おかしかったのか、柔らかな微笑を浮かべた。


「きみがウェリエルを背負っていると聞いてね。彼女とは何度か作戦行動を共にしたことがあるんだ」


「ウェリエルと……?」


 ルミナ少佐はウェリエルの最期を聞かせてほしいと願ったし、私はウェリエルがどのように生きてきたかを教えてほしいと伝えた。それを少しでも知ることが、死してなお眠ることもできない彼女へのつぐないだと思ったからだ。お互いが知る限りのことを伝え合い、一段落したところで少佐は唐突に話題を変えた。


「ところでミサキ准尉、きみの趣味は何かな?」


「え? 特には……」


 戸惑う私をよそに、ルミナ少佐は何故か得心がいったようにうなずいた。


「やはりな。ウェリエルもそうだった」


 ウェリエルは妹のこと、守るべき人々のことばかりを優先させて、自身のことがおろそかになっているように見えた。それを危惧していたのだがやはり不安が的中してしまった、そして今日私と話してみたところ、ウェリエルと同じ印象を抱いたのだという。


「だからきみにはソロネくんだけでなく、自分のことも大切にしてほしい。老婆心ろうばしんながら、戦場を共にした者の提言だ」


 私の肩を軽く叩きつつそう言い残して、ルミナ少佐は人垣の中に消えた。




 その背中を見送った私は、意外と背が小さいんだなと全く関係のないことを考えた。


 圧倒的な存在感のためだろうか、たった今まで一回りも二回りも大きく見えていたものだけれど、私と同じ黒衣ローブに包まれた姿は周りの士官よりも頭一つ分ほど低く、伝説の撃墜王エースも普通の女性であることを改めて認識したものだ。

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