ザリュウガク沖航空戦(一)

 輸送艦撃沈による物資の不足に激怒した陸上軍司令官ガイ・テラダ中将は、第七・第八連合艦隊司令官カナメ・ミギタ大将に掛け合い、これまでスルガ海峡東側に位置していた戦艦クラマ、航空母艦カデクルをはじめとする第七艦隊を沖合の輸送航路上に配置して警護に当たらせた。


 これにより、クラマを母艦とする三魔戦は対地攻撃を行う前線まで一五〇キロメートル余りを往復することになる。ただでさえ飛行ユニットの魔力枯渇と魔女自身の疲労が深刻な状況でこの決定は辛いけれど、背に腹は代えられないということなのだろう。




 聖歴一〇九年二月二三日。この日は朝から白く輝く太陽が顔を覗かせ、長かった冬の終わりを予感させる陽射しが降り注ぐ穏やかな気候となった。


 だがそれは人間と天使の闘争がんだことを意味しない。今日もユリエ少尉の隊は敵陸上部隊に対して対地攻撃を加え、クラマ艦内ではカンナ少尉の隊が臨戦待機している。視界良好な好天の下でむしろ戦闘は激しさを増し、北の大地に新たな血を染み込ませることだろう。




 私が〇九〇〇マルキューマルマル時を過ぎても寝台から起き上がることができなかったのは、疲労に加えて頭痛と悪寒おかんを覚えたためだ。

 頭から爪先まで体を丸めて毛布にくるまっても寒気が収まらない、体じゅうの関節が痛い。どうやら風邪をひいたかな、医務室に行かなければと思いつつもなかなか目を開けることができない。でもサクナ准尉を臨時小隊長とする私の隊は一二〇〇ヒトフタマルマル時まで休息なのだから問題はない、もう少し休んで落ち着いたら医務室に風邪薬をもらいに行こう……


 などと毛布の中でさなぎのように丸まっていたところ、艦内電話の呼び出し音が鳴り響いて飛び起きた。毛布にくるまったままで耳に当てた有線式受話器の向こうからはサクナ准尉の声。


「ミサキ? 休息中悪いけど、すぐ準備して。司令部から緊急出撃命令、内容は……」


 方位角三-五-〇 ザリュウガク方面より敵機多数接近中、攻撃目標は航空母艦カデクルと推定される。三魔戦全機は直ちに出撃せよ――――


「了解!」


 私は条件反射でそう答えた。ウェリエルの翼に空母カデクルの、第七艦隊の命運がかっているのだ、少々の体調不良くらいで休んではいられない。夜着代わりのスウェットを脱ぎ捨てていつもの航空黒衣フライトローブに着替えると、白い首巻マフラーと手袋を掴んで駆け出した。




 ウェリエルを背負い、いつもの武装ユニットを手にして甲板に上がった途端、空を震わせる轟音に身をすくめた。

 戦艦クラマの一五・五センチ副砲が火を噴き、対空機銃が続けざまに薬莢やっきょうを吐き出している。まさかと空を見上げれば、今まさに黒煙を噴いて海に墜ちていく深緑色の一式艦上戦闘機。


「近い……!」


 甲板上から視認できる距離で黒い翼と白い影、赤い光と白い輝きが交差している。ここまで艦隊に接近されているとは思わなかった、それほど敵の動きが早かったのだろうか。


「アイちゃんはまだ?」


 サクナ准尉に尋ねられたけれど、姿を見ていない私は首を横に振るしかなかった。そういえば彼女はしばらく前から疲労が抜けていない様子だったけれど、大丈夫だろうか。


「すみません、お待たせしました」


 ややあって昇降装置エレベーターから姿を現した魔女は、もともと小さな体をさらにやつれさせているように見えた。顔色が悪い、つぶらな黒い瞳がうるみ、呼吸をするだけで肩が上下している。


「よし行くよ。全機発艦!」


 サクナ准尉が、次いでナナミ准尉が混戦の空に翔け上がる。


「アイちゃん、大丈夫? 具合悪いんじゃない?」


「大丈夫です。ご心配おかけして、すみません」


 カンナちゃんと並ぶ三魔戦最年少、十五歳。誰よりも小さな魔女は律儀におさげ頭を下げた。


「三魔戦十番機、アイ准尉 【ゼロ式】発艦します」


 まだ幼さの残る声をかすれさせて舞い上がったその姿は、いつもよりも小さく見えた。


 サクナ准尉はアイ准尉の不調に気が付かなかったのだろうか。いや、気付いたところで出撃以外の選択肢などありはしなかった。第七艦隊が、母艦クラマが失われてしまえば私達も共に冬の海に沈むしかないのだから。

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