大人の世界(二)

 私に続いて花束を受け取ったソロネをもカメラの閃光フラッシュの餌食にして、どうやら満足した様子のマヤ皇国首相タロー・タモザワ氏は壇上で演説を始めた。


「去る一〇月二日、我が軍は遥か南方のヴィラ島沖海戦において劇的な勝利を収め、フェリペ諸島海域の奪還に成功致しました。国民の皆様にこの勝利を報告しますとともに、作戦に参加した勇敢なる兵士達に……」


「――――この輝かしい勝利はひとえに国民の皆様方のご理解とご協力の賜物たまものであり、国軍の最高指揮官たる首相として誠に喜ばしく……」




 長い。挨拶を始めてもう五分は経っただろうに、首相のお話は一向に終わる気配がない。おまけに内容が全く頭に入ってこないのは何故だろう。緊張が解けて眠くなったのか、頭がかくんと前に落ちてしまったソロネの背中をさすってなだめてもまだ終わらない。


「――――ゆえに神聖なる国土を守護するのは当然の義務であり、過去の英霊に守られた皇国は必ずや最終的な勝利を手にすることでありましょう。国民の皆様には一時的なご負担を頂くことになるかもしれませんが、何卒なにとぞご理解のほどをお願いするものであります」


 再び沸き起こる万雷の拍手、続けざまに焚かれる閃光フラッシュ。ようやく終わったと安堵した半面、私は若干の違和感を覚えてもいた。

 この人は先日テレビジョンの中で、外圧に対して対話と協調などと言っていなかっただろうか? 政治家の言動の矛盾を一々いちいち気にしてもいられないけれど、ヴィラ島沖海戦での勝利がこの変化を呼んだのだとしたら。どのように自分達に影響するのか、結果的に何をもたらすのか、きっとまだ誰にもわからない。




 ずいぶんと大袈裟おおげさに紙切れ一枚と花束を受け取り、今度こそようやく解放されたと控室で一息ついた私達だったが、間もなく扉を叩く音がして再び辟易へきえきすることになった。扉を開ければ見知らぬ男の人の顔。


「ミサキ准尉、首相が別室でお待ちです。すぐにお越しください」


 やばい、と思ったのはこの人が原因ではなく、背後からカツカツというハイヒールの音が聞こえてきたためだ。足音がいつもより大きく鋭い、『みんなの優しいお姉さん』が本当は怒ると怖いということは三魔戦の全員が知っている。


「そのような予定はありましたか? 私には知らされていませんでしたが」


「いや、既に首相がお待ちで……」


「しかも今すぐにですって? 事前の連絡もなく急に呼びつけるとは失礼にも程があります。一国の首相であれば猶更なおさら、規則と礼儀を守るべきでしょう」


「あ、あの、私、行きますので……」


 私がそう言ったのは、ユリエ少尉の剣幕に押されてしどろもどろになってしまったこの人が気の毒だったからだ。きっと指示されて私を迎えに来ただけなのだから、板挟みになってしまうのは可哀想すぎる。




 安堵あんどした様子の男性に連れられて入室したのは、ひときわ豪華な内装が施された一室。十メートル四方ほどの部屋の奥で偉そうに座っているのが先ほど会ったばかりのマヤ皇国首相、タロー・タモザワ氏だ。


「やあ、よく来てくれたね。座りたまえ」


 申し訳ないのだけれど、この一言だけで私はこの人を嫌いになってしまった。人を呼びつけておいて、椅子の上で足を組んでふんぞり返ったまま「~たまえ」と言われて頭にこない人がいるだろうか。


「失礼します」


 表情を消して客椅子に座る。柔らかくて肌触りが良くて、きっと高価な品なのだろう。首相の他には私を囲むように議員らしき人が左右に三人ずつ座り、部屋の入口では私服警官SPなのか私兵なのか、体格の良い人が左右を固めている。


「知っていると思うが、こういう者だ。よろしく頼むよ」


 言葉と共に差し出されたのは『マヤ皇国首相 タロー・タモザワ』と書かれた名刺。友達に自慢できるよとも言われたが、全くもって私にそんな趣味はない。

 だがこの失礼な老人よりも私に強い印象を与えたのは、その隣に座る人物だった。若々しい、といっても四十代前半だろうが、年齢とは関係なく活力と自負心と自尊心が人の形をしているかのようだ。


「首相秘書官 ユキヒト・キタノガワ……?」


 実際のところ具体的な話を私に持ちかけてきたのは、このユキヒト氏だった。その話とはマヤ皇国政府直属の魔女戦隊を立ち上げる計画。

『特別親衛魔女戦隊』、通称『特魔戦』。ユキヒト氏が指揮をるその部隊は軍を介さず皇国政府の命令のみに従い、あらゆる皇国の敵を討つ。私にはその中核隊員メンバーになってほしいとの事だった。


「ミサキ准尉、きみは特別な魔女だ。きみの特殊ユニットはウェリエルという名前だそうだね、皇国の未来のために力を貸してくれ」


 当然ながら私は即答しなかった。話が急すぎるし大きすぎるし、この人達は極めて胡散臭うさんくさい。それに私は自分が特別な魔女だという認識はない、私が特別だとすれば……


「既に内定している隊員メンバーの中には、きみも知っている魔女もいる。それにこの話は妹さんのためにもなるだろう」


 やはり本命はソロネか。私が特別な魔女だという理由を探すとすれば、ソロネの姉であるウェリエルを背負い、その代わりを務めているということだけだ。

 この一言が私の態度を固めさせた。大切な妹を、ソロネを政治家の道具にされてたまるものか。


「……少し考えさせてください」


 そう言って立ち上がった私は、表情を隠すのに必死だった。


「良い返事を期待しているよ」


 そう言って差し出されたユキヒトさんの手を握り返したのは、そうしなければ人として失礼だと思ったからだ。思想的にも人格的にも全く信用ならないこの人の手を握ることは二度とないだろう。




 ようやく解放された私はこの鬱憤うっぷんをユリエ少尉に向けて吐き出そうと思ったのだけれど、結論から言えばそれはかなわなかった。よほど首相が気に食わなかったのか皇国酒を少々飲みすぎな様子のユリエ少尉をなだめ、疲れたのかすっかりな様子のソロネの面倒を見るのに必死だったから。


 大人の世界は色々あるのだなあと、この日私はしみじみ思った。


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