大人の世界(一)

 どうしても「がたごと」と表記したくなる音と振動、四角く切り取られた風景。この電車という乗り物は効率に優れた輸送手段であり、鉄製の軌道上しか走れないという致命的な欠陥にもかかわらず旧世紀から変わらず利用されているのだという。


「ソロネ、そんなに楽しいの?」


「うん!」


 ヨイザカ駅を発ってからというもの、ソロネはずっと窓に貼り付いて外の景色を見ている。自分の翼で飛んだ方がずっと速いだろうに、窓から見えるベランダに干してある布団や工事現場の重機、急に現れるトンネルなどが面白いのだそうだ。


「もう少しで着くわよ。忘れ物に気をつけてね」


「はあい」


 いつもお洒落しゃれなユリエ少尉は白いブラウスに紅葉色のフレアスカート、ベージュのカーディガン。ソロネはいつも通り、背中から翼が出せるようにファスナーを取り付けた黒のワンピース。とがった角にかぶせてある黒いカバーも私のお手製で、小さな赤いリボンが可愛らしいと本人もお気に入りだ。




 この日私たちが訪れたのは首都カナデラ。中でもこのカスミザワ区は国政の中心とされる街で、建物は首を横にして見上げても頂上が見えないほど高く、行き交う人々もいちいち数えきれないほど多い。人混みが苦手なソロネは急におとなしくなってしまったが、悪魔である彼女を気にする人はほとんどいない。誰もが何かに追い立てられるようにせわしなく動き回っているのだ。


「手を放しちゃダメだよ。迷子になるからね」


「うん……」


 首都カナデラの人口は一三〇〇万、実にマヤ皇国総人口の五分の一が集中している。これほど狭い場所に人々が集まっているのにはもちろん政治と経済の中心地であるからに違いないが、理由の一つに『首都防衛システム』という対空防御網の存在が挙げられる。高層ビル群の屋上に設置された無数の対空機銃が常に空を睨み、有事の際には有線ネットワークで結ばれたそれらが敵味方を問わず殲滅するという代物しろものだ。ゆえに首都上空は航空機であろうと魔女であろうと、一切の飛行を禁じられている。




 ハイヒールのかかとを鳴らすユリエ少尉に続いて歩くこと数分、私たちが入ったのは『皇国センチュリーホテル』という無難な名称の建物だったのだが、その中身は無難とはほど遠かった。


 磨き上げられた大理石の床、純白のカーテン、暖色の間接照明、小さな噴水に活けられた秋の花々、足元が淡く光るエスカレーター、そして紺色の制服と制帽をきっちりと身に着けた従業員さん。見渡す限り絢爛けんらん豪華な空気に包まれ、これではソロネばかりか私まで緊張してしまう。


 私たちに課せられた任務は簡単だが重要なものだ。午後からの式典でマヤ皇国首相タロー・タモザワから三魔戦に対する感状を受け取るというもので、本来ならユリエ隊長が受け取るべきだと思うのだけれど、先方はなぜか面識もないはずの私とソロネを指名してきたという。

 それに関してなのかどうか、実は朝からユリエ少尉の機嫌が悪い。みんなの優しいお姉さんはそれを顔に出したりはしないのだけれど、ちょっと口数が少ないし目元の化粧が濃い。勘のいいソロネもなんとなく察しているようで、いつもより強く私の手を握っている。




 用意された控室で儀礼用の黒衣ローブに着替え、ソロネの髪を手直しする。もともと長かった髪は肩を通り越して背中まで伸びていて、少し切ってあげれば良かったかと後悔する。でも私たちはフェリペ諸島から帰ってくるなりここに呼びつけられてしまったのだ、とても美容室に行く暇などありはしなかった。


「お姉ちゃんの髪、ソロネがやってあげるね」


「そう? じゃあお願いしようかな」


 大きな鏡の前で椅子に座る私の髪をいてくれるソロネの手つきはたどたどしいし、私の髪は伸びてくると外に跳ねてしまうので、どうしてもまとまりがつかない。それに黒衣ローブの肩が汚れてしまうのも本当は気になるけれど、そんな事より懸命に私を綺麗に見せてくれようとする妹の気持ちが嬉しくて仕方がない。


「はいできた。今日も可愛いよ」


「うふふ、ありがとう」


 いつもの私の口調と、肩をぽんと叩く仕草を真似るのもなんだか可笑おかしくて、つい口元がほころんでしまう。おかげで緊張が少しほぐれた、のだけれど――――




 式典が始まった途端、そんな心の余裕はすぐに吹き飛んでしまった。豪奢ごうしゃ天鵞絨ビロードの幕で仕切られた舞台、いくつものテレビカメラ、客席の最前列には将官級の軍幹部がずらりと顔を揃えている。そして壇上にはマヤ皇国首相、タロー・タモザワの姿。


「これよりフェリペ諸島海域における戦勝式典を行います。第三魔女航空戦隊 ミサキ・カナタ准尉、ソロネ様」


 女性司会者の声にうながされ、緊張のあまり硬直するソロネの手を引いてゆっくりと階段を五段上り、人工の光溢れる壇上へ。初めて直接見る首相の顔はテレビジョンの画面で見るよりも妙につやつやと光って見えた。「あくだいかん……」とつぶやくソロネを慌てて手で制して前に向き直る。


「第三魔女航空戦隊殿、貴殿らはヴィラ島沖海戦にて抜群の軍功を上げ、フェリペ諸島海域における……」


 しわがれた声で感状を読み上げる首相。その紙が手渡されてこれで任務完了ときびすを返そうとしたところ、半ば無理やり両手を握られた。予想外の出来事に驚く私には一切構わず、満面の笑みを客席に向ける老人。


 万雷の拍手とカメラのフラッシュを浴びて、私はようやくユリエさんの機嫌が悪かった理由に思い当たった。

 この人は私なんか見ていない、三魔戦わたしたちを祝福しているのではない。新たな魔女を戦場に送り出し成果を上げた自分の判断を称賛しているのだ。

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