イナ州南岸ニ橋頭保ヲ確保セヨ(一)

 聖歴一〇八年一二月一八日、『しょう作戦』は静かに発動された。


 大規模演習と偽り出航した戦艦クラマ、航空母艦カデクル以下八隻から成る第七艦隊は見送りもなく母港ヨイザカをち、進路を偽装するため沖合を東へ二〇〇キロメートル。ここでようやく下士官以下にも作戦内容が伝えられ、にわかに進路を変えて北上しつつある。


 これに対しては当然ながら不満の声が上がったものだが、それが作戦行動に支障をきたすほど大きくはならなかった。何しろ既に艦隊は海上にあり、目的地に向かって突き進む以外の選択肢は無いのだ。

 乗員には家族に宛てた手紙をしたためる時間が与えられ、それはここまで同行してきた郵便船で本国に送られる。手紙が家族の元に到着する頃には既に作戦が開始されているだろう――――




 同日一一四〇ヒトヒトヨンマル時。私は一二〇〇ヒトフタマルマル時からの緊急出撃スクランブル当番に備えて定刻二〇分前に三魔戦更衣室兼待機室の前に立ち、ハートマークの『男子禁制』というマグネットプレートが貼りつけられた扉を叩いた。


「開いてるよー」


 というコナ准尉の声にソロネと顔を見合わせ、同時に首をかしげる。緊急出撃スクランブル当番は六時間交代の二人体制で今回の相方はリンカ准尉だったはずだが、何か事情があって交代したのだろうか。


 だが私の予想は外れた。まず目に映ったのはクッションを抱いたまま腹這はらばいで対戦ゲームをするカンナちゃんとコナちゃん、テーブルの上のお菓子を食い散らかしつつ談笑するヒナタちゃんとミクルちゃん、専用の茶色いクッションの上で丸くなる黒猫のロクエモン。相方のリンカ准尉はロッカーを開けて着替えようとしているところだった。


「もう。たまには片付けなさいよ」


 乱雑に置かれていたゲームソフトを重ねてテーブルの上へ、お菓子の包み紙を分別してゴミ箱へ、脱ぎ散らかした靴下を拾ってコナちゃんとカンナちゃんの頭の上へ。この子達を放っておくと部屋がゴミだらけになってしまうのだ。


「ミサキはみたいだなー」


「母ちゃん、腹減ったー」


 などと寝転がったまま甘えたことを抜かす二人の背中を踏みつけて、航空黒衣フライトローブに着替えるために自分のロッカーへ。




 隣で苦笑を浮かべるリンカ准尉は一つ年上の十七歳、こうして見るとアコ准尉の次に女性らしい体つきをしている。背が高くてショートヘアが良く似合う、小娘ばかりの三魔戦の中では抜群に大人らしい女性だ。普段ユリエ少尉とお話する内容も服装やお化粧に関することだったりして、聞いているとなんだか自分まで大人になったように思えてくる。


 後ろではしばらく黒猫のロクエモンがソロネに追い回されていたようだが、着替えを終えたリンカ准尉が両手を広げるとその中に飛び込んでいった。

 ロクエモンが一番懐いているのはアコちゃん、リンカちゃん、その次に私、最も嫌われているのがカンナちゃんとソロネ。並べてみると胸の大きさの順番にぴたりと当てはまるのだけれど、これは偶然なのかどうか。


「ねえ、ミサキはイナ州の出身なんでしょ? どんな所なの?」


 リンカちゃんのその言葉に、室内の全員が耳をそばだてる気配がした。


 普段から仲の良い三魔戦はこの部屋を溜まり場にすることもあるけれど、これほどの人数が一度に集まるなどこれまでなかったはずだ。もしかすると今回の作戦にも、極寒で知られるイナ州の気候にも不安を覚えているのかもしれない。


「うーんと、子供の頃に住んでたのは北の端の方でね、冬は吹雪ばっかりで海も凍っちゃって……」




 旧世紀の時代から長らくマヤ皇国領であったイナ州は東西約五〇〇キロメートル、南北約四〇〇キロメートル、面積約八五,〇〇〇平方キロメートル。地図上では左下が突き出た菱形をしている、本島を除けば最大の島だ。


「吹雪で学校が休みになったりもするんだけどね、それでも高校生のお姉さんとかは素足にスカートで……」


 その広大さゆえ地域によって差が大きいものの、四季の変化に富む皇国本土以上に気候の変化が激しく、一年の寒暖差は最大七〇℃に及ぶ。大地は肥沃ひよくで水源も豊富であることから、牧畜を含む農業、漁業、林業といった第一次産業を中心にそれらの加工品を作製、本土に輸送する一大食糧地帯となっていた。


「なのに夏は暑くてね、妹と一緒に海に入って昆布とか貝とか獲ったりして……」


 その長閑のどかな大地が一変したのは五年前。にわかに発したルルジア連邦の大艦隊が天使の群れを伴って現れ、軍人、民間人を問わず全ての皇国民をき潰して回ったのだ。

 皇国軍の防衛部隊は善戦したものの多勢たぜい無勢ぶぜい、加えて軍幹部の装備品横流しが明るみに出て中将二名が更迭こうてつ、さらにそれが政界に飛び火して一大汚職事件となる政治的混乱に発展、大幅に士気が低下した皇国軍は敗走を重ねてついにはイナ州全域を失陥するに至った。このルルジア連邦大攻勢における皇国側の死者および行方不明者は約十七万人、そのうち七割が民間人であったと記録されている。


「何もないところだけど食べ物はおいしくて……でも……」


 一度目をつむる、心がざわめく。


 このふねが向かうスルガ海峡のどこかに両親と妹が沈んでいる。天使と手を結んだ侵略者から故郷を取り返し、生まれ育った町で摘んだ花を手向たむける、そのためにも負けられない。




 子供の頃の話をしていたはずが、私はいつしか黙り込んでいたようだ。気付けば皆の耳ばかりか全ての視線が集中していた。


 何か言わなければ。もはや作戦は始まっているというのに動揺を悟られては、ただでさえ不安を抱えている皆を心配させてしまう。何か、何かユリエ隊長のように気の利いたことでも――――




 無理に作り笑いを浮かべようと唇をゆがませた、そのとき不意に背中に回された手からはぬくもりが、頬に触れた明るい茶色の髪からは洗髪剤シャンプーの香りが、それぞれ伝わってきた。


「頑張ろうね、ミサキ」


 私の体を柔らかく包んでくれたリンカ准尉から体温とともに伝わってきたのは、同情や憐憫れんびんではなく共感と慈愛。


 故郷や家族を失ったのは私だけじゃない、魔女なんて大抵みんな同じような過去を抱えている。私達の年頃であれば、もしこれまでの人生に何事もなければ可愛らしい制服を着て学校に通って、勉強をしたり部活に励んだりお洒落しゃれをしたり、あるいは恋をしたりといった青春を送っているはずなのだから。


「……うん」


 ちょうど良い高さにある肩に額を預けて、私はしばし彼女の黒衣ローブを握り締めた。




 第七艦隊は予定海域にて第八艦隊と合流。会敵予想時刻まで、あと二十六時間。

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