ヴィラ島沖海戦(十)

 死闘の場に割り込んだ一式戦闘機はそのまま高速離脱、優れた旋回性能と技量を示すかのように軽やかに旋回を済ませて再び突入せんとする。三人の魔女と一人の悪魔に加えて一式戦にまで囲い込まれた天使サリエルはさすがにひるんだように見えた。反撃もままならず複数の射線から逃れるべく回避運動に集中する。


 ようやく余裕ができた私は周囲の状況を確認。他の一魔戦と天使の戦闘は未だ続いているものの、こちらの航空優勢は明らかだった。なぜならば……




 甲高かんだかい風切り音に続いて重々しい着水音、そしてくぐもった破裂音。航空母艦アンシャンの左舷ひだりげん至近に巨大な水柱が上がり、周辺に時ならぬ驟雨しゅううをもたらした。

 あれは五〇〇キログラム級爆弾の至近弾、三魔戦の護衛を受けて敵艦隊直上に到達した九八式艦爆がその腹部に死の象徴を抱えて次々と降下ダイブしているのだ。


 急降下爆撃。高度四〇〇〇メートルより進入角度六〇度で急降下、対空砲火の中を徐々に増速しつつ高度五〇〇メートル、時速四五〇キロメートルで爆弾を投下した後高速離脱する。それは生還率と引き換えに命中率を向上させるという、狂気の突撃と言う他にない攻撃法。ただしその威力は絶大なもので、 重要区画バイタルパートに命中すれば一弾をもって巨艦を撃沈せしめる可能性すらある。特に九八式艦上爆撃機が急降下の際に発生させる独特の風切り音は『悪魔の笛』と呼ばれ、敵軍兵士にとって恐怖の象徴になっているのだという。


 続々と降下ダイブするカデクル艦爆隊、だが敵艦隊とてただの的ではない。集中する対空砲火を浴びて一機、また一機と黒煙を噴きつつ海に没していく。アンシャンを中心に輪形陣を成すシエナ共和国艦隊は頑強な抵抗を見せ、また一機が虚しく空中で爆発四散した。


 だがこのとき爆撃とは別の水柱が上がり、その余波が輪形陣の外周を成すヘイロン級駆逐艦を揺動させた。皇国軍第七艦隊が水平線に姿を現し、砲撃の雨を浴びせかけたのだ。その一弾が直撃したヘイロン級が瞬く間に海中に没し、近距離通信を魔女達の歓声が満たす。


 危機に陥った艦隊を振り返り、私達を背にしたサリエルが視界に捉えたのはまさに理想的な角度で急降下ダイブしてくる九八式艦爆。天使はそれを撃ち抜かんと三度みたび翼を折り畳み、先程と同じ放射状に広がる光の羽根を射出……


「させない!」


「そうはいくかあ!」


「喰らえ!」


 三人の魔女が三様の叫びとともに放った三条の弾列は狙いたがわず天使の背中に弾け、光の羽根を浴びることなく急降下ダイブを続けた九八式艦爆は予定の高度で五〇〇キログラム級爆弾を投下。風切り音とともに落下したそれは航空母艦アンシャンの船体中央に吸い込まれ――――


 空を震わせるほどの轟音、しばしあって噴き上がる炎と黒煙、海に降り注ぐ破片、微かに耳に届くのは悲鳴か絶鳴か。

 飛行甲板の中央に開いた大穴は敵機の発着艦が不可能になったことを意味し、天に届かんばかりの黒煙は艦内の航空燃料に引火したことを示している。もはやアンシャンは航空母艦としての機能を喪失し、たとえ沈没をまぬがれたとしても波間に漂う巨大な墓標となるのみだろう。


 耳に残る残響と視界を埋め尽くす黒煙。力天使ヴァーチェサリエルは舌打ちを残して飛び去り、残った天使の群れもそれを追うように空の彼方に消えた。

 主力艦を失い天使に見捨てられたシエナ共和国艦隊は潰走、皇国第七艦隊は追撃に移った。つまり航空戦力の役目はここまでだ。




 一つ大きく息をいた私は、魔女から姉へと自らの役割を切り替えた。


「ソロネ、どうして出てきたの。クラマで大人しく待ってなさいって、お姉ちゃん言ったよね?」


「ごめんなさい。だって……」


 答えはわかっている。力天使ヴァーチェサリエル、ソロネの姉ウェリエルの仇が敵艦隊にいることを知られてしまったのは私が原因なのだから。


「だって、ここで会ったが百年目、なんだもん」


 ちょっと時代がかった表現に力が抜けそうになったものだが、姉として言うべきことは言わねばならない。


「ロクエモンのお世話はどうしたの? ソロネがいなかったらあの子も寂しいでしょ」


「だって……」


 私はちょっと首をかしげたかもしれない。素直なこの子が二度も口答えをするなんて珍しいことだったから。


「ソロネも、お姉ちゃんが帰って来なかったら寂しいから」


 風が流れた。濛々もうもうたる黒煙を吹き払うことも、未だとどろく砲撃音を掻き消すこともできない風は、すすと汗にまみれた私達の髪をなびかせるにとどまった。


「お姉ちゃんは帰ってくるよ。ソロネのところに、必ず」


 その弱々しい風を受けるために広げなければならないウェリエルの翼の代わりに、私は自分の両手で妹を抱き締めた。



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