第二章 星形城砦ヲ攻略セヨ

ラビットガール


 故郷のイナ州に比べればとても冬とは呼べないヨイザカ市のこの季節も、木枯こがらしが吹き始めるとさすがに寒さを覚える。魔女達は航空黒衣フライトローブの中に伸縮性に優れた長い下着インナーを着込んでいるし、本来なら氷雪吹き荒れる極低温にも炎渦巻く高温にも耐えられるはずの悪魔ソロネも私が編んだ毛糸のパンツを愛着している。彼女の場合は周りに合わせて「寒い寒い」と言っているだけかもしれないけれど。


 聖歴一〇八年十二月十五日。『帥』作戦終了から二カ月が経ち、しばしの休暇を終えた私たちは既にそれぞれの艦に戻り訓練を再開している。

 ただ、その内容が気になるといえば気になる。発着艦訓練はもちろんのこと、地上目標に対しての強襲、地上部隊との連携に重点が置かれているようなのだ。近いうちに地上拠点を目標とした制圧作戦が発せられるのではないかとの憶測が飛び交っているのはそのためだ。




 一六二〇ヒトロクフタマル時、この日の訓練を終えて戦艦クラマの甲板から艦内に入ろうとした時、ちょうど航空母艦カデクルに着艦しようとする一式戦闘機が目に入った。それは失速寸前の速度で降下し、揺れ動く母艦の甲板に音も無く降りると機体後部のフックをケーブルに引っ掛け急制動。熟練の戦闘機乗りでも恐怖を覚えるという空母への着艦を完璧に遂行したその丁寧な機動から、私はその操縦士が誰であるかを確信した。


 濃緑色の機体が滑るように移動を終えて風防が開くと、中から現れたのは女性としても細身の体躯、ヘルメットの横には水兵セーラー服を着たウサギのステッカー。やはりそうかと大きく手を振る。


「カオルさん! お疲れ様です!」


 全長二五七・五メートルの巨大な船体を揺らすほどの強風の中でもなんとかその声が届いたか、ヘルメットを脱いだ女性は照れたように微笑み控えめに手を振ってくれた。

 カデクル戦闘隊カイト小隊、カオル上等兵。数少ない女性の戦闘機乗りだからではなく、私は彼女に対してちょっと特別な思いがある。




 あれは『すい作戦』開始の前夜だったか、何故だか不安になった私は宿直の整備士さんに無理を言ってウェリエルに会いに行った。


 怖い。自分が死ぬことがではなく、ウェリエルから受け継いだ思いを果たせないことが。私は強くらなければならない、ウェリエルの代わりにあの天使サリエルを滅して――――

 だが収納庫に収められた暗灰色の翼にそっと触れると、返ってきたのはぼんやりとした『否定』の意思。気のせいかもしれない、特殊ユニットに意識が宿っているなど出来の悪い与太話よたばなしだ。でも私は彼女に認められたい、代わりにソロネを守ってあげられるのだと信じてほしい。


「私じゃ駄目なの? ウェリエル……」




 その帰り道で長椅子ベンチに一人座る彼女を見つけたのは偶然ではない、女性用兵舎と格納庫を繋ぐ導線のうちで夜中に街灯がいているのはこの道しかないのだから。


ラビットガールウサギちゃん……?」


 つい私がつぶやいた彼女の暗号名コードネームは、きっと失礼なものだ。それが撃墜数ゼロ、被撃墜数ゼロという臆病な戦いぶりに由来していることは既に広く知られているのだから。


 きっと眠れずに兵舎から抜け出して来たのだろう。肩に掛かるほどの長さの髪は乱れているし、服装も部屋着のままだ。時刻はとうに〇一〇〇マルヒトマルマル時を回っている、外に比べれば極めて治安の良い基地内といえどさすがに放っておくわけにもいかない。


「あの、こんな時間にどうされたんですか?」


「あ……! 申し訳ありません!」


ラビットガールウサギちゃん』は私の姿を認めると、弾かれたように立ち上がり敬礼した。

 ずっと年上に違いないこの人が私に対してかしこまった態度をとるのは、ひとえに階級のせいだ。こんな軍隊という組織の特殊性をもどかしく、あるいは寂しく思う。私はこの人を怖がらせたいのではなく、ただお話がしたかっただけだというのに。


 彼女がノートに何かを書き留めているのにも気付いてはいた。

 遺書か、と思った。自室の机に、あるいは私物の奥にそれをしのばせておく人は多い。もし帰って来ることができなければ同僚が回収して遺族に手渡したり、遠方であれば郵送したりするのだ。


 ただ意外に思ったのは、彼女が顔を伏せて泣いていたこと。操縦士パイロットであるからには航空予備学校で航空力学や航法や操縦の技術だけでなく厳しく軍規を叩き込まれ、さらに艦上戦闘機を駆るとなれば発着艦や空戦機動による強烈なG重力加速度に耐えうる強靭な肉体と精神が求められる。

 それらを有しているはずの彼女がこれほど打ちひしがれているのには、余程の心残りがあるのだろうと思った。密かに慕う人がいるのか、それとも心の支えを失ってしまったのか。


「それは誰に?」


「う、これは……」


 誰に宛てた遺書か、なんて尋ねるつもりはなく、単に話のきっかけが欲しいだけだった。


 だが私の予想は大きく外れた。彼女は遺書ではなく架空の物語をノートに書き留めていて、それが未完に終わることを何よりも恐れていたのだ。

 たぶんそれを見せてくれたのも階級のせいで、私はこのとき職権乱用に近いことをしてしまったのかもしれない。そのお話は私にとってちょっと刺激的で、肌寒い深夜だというのに顔が熱くなってしまうような内容だったのだけれど、それだけになんだか続きが気になって落ち着かない気分になってしまった。


 旧世紀にはそれこそ掃いて捨てるほど作られたという素人の創作物も、今ではそれを手掛ける人はほとんどいない。それを発表する場もなければ受け取る側に余裕もなく、たまに見かけるものは国威発揚や政治思想満載の代物ばかりで、手に汗握るような英雄譚も、読んでいるこちらが恥ずかしくなるような恋物語も新たに作られることはないのだ。




『そういえばさ、ミサキの趣味って何?』


『ところでミサキ准尉、きみの趣味は何かな?』




 コナちゃんにもルミナ少佐にも同じことを聞かれたけれど、私に定まった趣味は無い。明日をも知れぬ身で、妹を守らねばならない身でそれは無意味なことに思えたからだ。


 でもこの人は違う。『ラビットガールウサギちゃん』は、ただ臆病なだけの生き物ではなかった。怖くて当たり前だ、彼女は多くの敵を撃ちとすために生きているのではなく、生きてかなえたい夢があるのだから。

 この人は新たな物語をつむぐことができる。それは多くの軍人が夢見る撃墜王エースになることよりも、いかに多くの命を奪うかばかり考えることよりも、ずっと素敵な夢ではないだろうか。


 だから私はこの人の名前を知りたいと思った。ノートを見られてしまった気恥ずかしさからか顔を伏せて、でもそれは確かに私の耳に届いた。

 カオル上等兵、その名前は撃墜王エースとして歴史に残ることはなくとも、胸が高鳴るような物語のつむぎ手として残されるに違いない。





 ――――この日一七〇〇ヒトナナマルマル時、三魔戦隊長ユリエ少尉の口からようやく次の作戦が明かされた。


しょう作戦』。作戦目標はイナ州南部、星形城塞ザリュウガクの攻略。


 両親と妹、それからウェリエルが沈んだあの海峡を、私は五年ぶりに越えることになる。




 ◆




 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。


 この回に登場したカオル上等兵は、本作の二次創作である『街灯の下の友達』


 https://kakuyomu.jp/works/16818093085155330983


 を書いてくださった京野 薫様の許可のもと、主人公の名もなき女性戦闘機パイロットを逆輸入させて頂きました。素敵な二次創作を頂きましたこと、掲載の許可を頂きましたことに改めてお礼申し上げます。


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