皇国魔女航空戦隊(七)

 ヨイザカ港に面した飲食店街。初見の観光客が訪れるにはちょっと古ぼけた食堂にて、ソロネはまだ海軍カレーを口に運び続けていた。彼女は食べる量が多い割に一口あたりの量が少なく、おまけに猫舌なので食事に時間がかかるのだ。テレビジョンの中では相変わらずコメンテーターとかいう人達が戦争に対する私見を述べている。


『――――ですから新しい常識を受け入れさえすれば、国民の安寧あんねいが保たれる訳ですよ。戦争などというものはいつの時代も無益なもので……』


 このマヤ皇国は北方のルルジア連邦、西方のシエナ共和国、二つの大国と継続的な戦争状態にある。先日出現した第三位階天使ゾギエルはこのうちシエナ共和国を支配する主要な天使のうちの一体と推定されるが、機密保持に厳しい全体主義国家であるため確証は無い。

 これに加えて大平洋だいへいようを挟んだガリア合衆国、彼らは天使の支配を受け入れ、一年あたり人間一万人につき一人の生贄いけにえを差し出すことを申し出たことでその存続を認められている。


 彼らに共通しているのは数億の人口を抱える大国であり、植民地を有していること。もちろん公式に認めてはいないものの生贄いけにえは植民地の住民から選ばれ、本国の国民が犠牲になることはない。

 マヤ皇国も本島南方の広い地域に植民地ではないが勢力圏を抱えており、もし天使の支配を認めることになればそこの住民が生贄いけにえに捧げられることになるのだろう。自分達に危害が及ぶことなく安寧あんねいが得られるのだから、そのような意見が出るのも無理はない――――犠牲になる側の嘆きと怒りを無視すれば、あるいは恥とか良心とかいうものを投げ捨ててしまえば。




 いつしかテレビジョンの画面は切り替わり、マヤ皇国首相タロー・タモザワの姿が映し出された。黒縁眼鏡をかけた七十代のお爺ちゃんで既に七年間この地位にある、十六歳の私にとって首相といえばこの人だ。


『……我が国が置かれた状況は非常に厳しいものであります。近隣諸国と連携し、関係省庁と緊密に連絡を取り合い、対話と協調を絶やすことなく、緊張感を持って状況の把握に努めるものであります』


 要するに「頑張ります」という内容の言葉を延々と吐き出すお爺ちゃん。

 マヤ皇国は千年来続く『皇帝』の血筋が残されてはいるもののそれは象徴的なもので、現在では国政に関わることができないと法律で明言されている。国政は国民による投票で選ばれた代行者がそれを行う、つまり民主主義国家なのだけれど……


「お姉ちゃん、この人『あくだいかん』なの?」


 可愛らしい人差し指でテレビジョンを指すソロネに、頬杖をついていた右腕が外れてと頭が落ちてしまった。髪の毛の先が食べ終えたカレーの皿に入りそうになって慌てて頭をもたげる。

 またこの子はどこからか変な言葉を覚えてきたようだ。最近はテレビジョンで時代劇や漫才をよく見ているけれど、何がどう面白いのかはよく理解できていない様子で、むしろコナ准尉が面白がって変な言葉を教えたりしている。またあいつかと、私は心の中で同僚のおかっぱ頭をひっぱたいた。


「ううん、悪代官じゃないんだけど……まあ、悪い人かな」


 これは人によって色々な捉え方があるだろうけれど、現在の首相の評判はかなり悪い。国民に負担をることはないと言っておきながら実質的に増税したり、特に効果の出ていない少子化対策にお金をどんどんぎ込んだり、自分達は支援者からお金を受け取っておいて担当者の責任であると言い逃れたり、内閣支持率が二十パーセントを切っても何故か平然としているという話だ。


「悪い人なのに、みんなこの人の言うこと聞いちゃうの?」


「それはこの人が選挙で選ばれたからで……」


「どうして選挙で悪い人を選んじゃったの?」


「うっ、それは……」


 どうしよう、正論すぎて何も言い返すことができない。

 妹の素朴な疑問にちゃんと答えることができないのは姉として情けない。でも私だってまだ十六歳だ、分からないことなんてたくさんある。どうしてなんだろう、どうして国民の大部分から選ばれないような人が代表に……

 などと私がぐるぐると頭の中で答えを探しているうちにカレーを食べ終えたソロネは、小さな唇をとがらせてストローをくわえた。コップの底のメロンソーダが勢いよく吸い込まれ、残された氷がからりと涼しな音を立てる。


「ふうん。ソロネも悪い子になっちゃおっかなー」


 今度はストローに息を吹き込み、ごぼごぼと品の無い音を立てるソロネ。つまらなさそうに細められた目が赤みを帯びてきらりと光る。

 いけない、人間を遥かに凌駕りょうがする身体能力を有する上に空を飛び強力な殺傷能力を持つ悪魔が、あの巨大な第三位階天使ゾギエルでさえ退しりぞけてしまう彼女が、ほんの少しでも人間に対して悪意を持ってしまったら。人間の愚かさに失望してしまったら。簡単に舞台をひっくり返してしまう力が、この子にはある。


「だめだよ? ソロネがいい子だからみんな仲良くしてくれるんだよ」


「だってソロネ、悪魔だもん。その気になったら人間よりずっと……」


「ソロネ!」


 禁忌の言葉に思わず立ち上がり、大きな声を出してしまった。古びたテーブルと椅子ががたりと音を立て、いくつかの視線が集まる。私自身もその音に驚いたのだけれど、それ以上におびえた様子を見せたのは可愛らしい悪魔の方だった。


「ご、ごめんなさい……」


 小さな体をさらに縮こまらせてテーブルの下で両手を揃え、目を伏せるその様子に半ば安堵あんどし、半ば後悔する。言い過ぎてしまっただろうか、怖がらせるつもりはなかったのに。


「ごめん、お姉ちゃんも言い過ぎちゃった。今日は一緒に悪いことしよっか」


「ほんと!? お姉ちゃんも一緒に『あくだいかん』になるの? なにする?」


「ううん、例えばね、ええとね……」




 きらきらと目を輝かせるソロネに負けた私はこの日、なんとフライドチキンとドーナツとハンバーガーを五人分ずつお持ち帰りにしてしまった。栄養のバランスも何も考えずにあぶらっこいものとジャンクフードばかり買うなど、なんていけない子なんだろう。


 そればかりではない。陽が沈む寸前まで遊んで自転車を立ち漕ぎして門限の五分前にようやく基地の門をくぐった、これからが本番だ。


「ふっふっふ、待ってたよー」


 息を切らせて帰って来た私達を兵舎の個室に招き入れたのはコナ准尉。雑然としたその部屋で異様な存在感を放つ巨大ディスプレイには、悲鳴を上げる金髪の女性とともに『孤高のスペースゾンビざむらい』というおどろおどろしいタイトルが大写しになっていた。


「おおー!」


「すごーい!」


 天使が現れる前の旧世紀には映画やドラマ、ゲームなどのエンターテイメント作品がそれこそ無数に作られ、今でもその一部はサーバーに保存されていて、地下に埋設された光ケーブルを通して受け取ることができるのだ。月額二九八〇〇イェンというかなりの高額ではあるもののサービスは継続されており、コナちゃんはそれを利用してクソゲー収集とこのようなZ級映画と呼ばれる作品の鑑賞を趣味にしている。


 右手にハンバーガー、左手にフライドチキン、目の前のガラステーブルにはドーナツと真っ黒な炭酸飲料、大画面には月面に腐汁をまき散らしつつ謎の異星人をばっさばっさと斬り捨てるゾンビざむらい。まさに暴挙といえる悪行あくぎょうに我らが悪代官様はすっかりご満悦まんえつだ。小さなその頭を撫で回すのはコナ准尉。


「ふふふ、いやつじゃ」


「ういやつ?」


「そう。『いやつ』ってのはね……」


「ちょっと! ソロネに変なこと教えてるのあんたでしょ!」




 さらにさらに。消灯時間ぎりぎりまで食べて飲んでしゃべった私達は慌てて歯を磨きパジャマに着替え、個室を与えられているにも関わらずソロネは私のベッドに入ってきた。


「えへへ。今日はたくさん『あくだいかん』しちゃったね」


「うん。ソロネも私も、とっても悪い子」


「『あくだいかん』って楽しいなあ」


「楽しいに決まってるよ。だって私達、悪魔と魔女なんだもの」


「えへへ。おぬしもワルよのう」


「ふふふ。お代官様ほどではございません」


 こうして私はこの日、夜の香りがする小さな体を抱き締めて眠りについた。


 ああ、私達はなんて悪い子なんだろう。




 ◆




 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。身に余るほどのフォロー、評価、ハート、コメントを頂きまして恐縮です。

 空戦ファンタジーという初めて挑戦するジャンルなので手探りな部分はありますが、皆様に楽しんで頂けるよう努力して参りたいと思います。


 これからもどうか、悪魔ソロネと魔女ミサキの物語を応援して頂けますようお願い致します。

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