皇国魔女航空戦隊(六)

 かき氷よりも青い空、綿あめよりも軽い雲、地平線の向こうへ続く道、妹とお揃いの麦わら帽子。ショートパンツから覗く足に力を込めれば、細いゴムの車輪が焼けたアスファルトの上を駆け抜ける。旧世紀なら夏休みの絵日記に切り取られそうな一日だ。




 ツインテールの黒髪と白いワンピースを風になびかせ、推進力のつもりか背中の黒い翼をぱたぱたと動かすソロネの肌に傷は見当たらない。自転車の荷台で私にしがみつく小さな手にも、時折り覗く細い足にも。

 だがそれは表面上のことであり、第三位階天使ゾギエルと死闘を繰り広げたその体には深い傷が刻まれ、魔力はほぼ枯渇している。完全に回復するには半年以上かかるだろう、というのが昨日行われた医学的検査メディカルチェックの結果だった。


 ただ入院加療が必要という訳でもないらしく、こうして二人でお出かけすることができたのは幸いだった。寂しがり屋で人見知りなこの子は体よりも心のケアが重要なのだから。

 ちなみに今日のお出かけにはコナ准尉も誘ってみたのだけれど、「暑いからイヤ」との事だった。きっとまた空調の利いた部屋でカーテンを閉め切ってゲーム三昧ざんまいの一日を送っているのだろう。


「あ、ユリエ少尉」


「ほんとだ」


 栗色の髪をなびかせて赤いオープンカーのハンドルを握るユリエ少尉。普段よりちょっと濃い目の化粧を施した彼女は自転車に二人乗りする私達を見つけて二本指を立て、「チャオ」とか何とか言いつつ爆音と共に通り過ぎた。隣に座っていた男の人は先月と違うような気がする。




 今から百年以上前、人の世は一度終わりを告げた。蒼天の彼方から襲来した天使の群れによって、突如として絶対的支配者の座から蹴落とされたのだ。

 その最初の一撃はこの世界に住まう人間の三分の一を淘汰とうたしたと伝えられるが、真偽のほどは定かではない。ともかくいくつもの国や地域が消滅し、九十億とも百億とも言われる人口は半減した。文明は大きく後退し、国同士の連絡網は寸断された。


 公式に現存している人間の国家は十五、その勢力は大きく三つに分かれている。


 一つ、天使に迎合しその支配を受け入れた国々。


 二つ、地理的な優位性や独自の高い技術力により一定の国土を確保した国々。


 三つ、悪魔と呼ばれる者達と共闘することで天使に対抗するすべを得た国々。


 私達が住むマヤ皇国はその三つ目だ。当時の皇国民に悪魔に対する恐怖や嫌悪が無かった訳ではなかろうが、彼らへの憐憫れんびんと互いに追い詰められた状況がその手を結ばせた。何しろ彼らの故郷である魔界はこの世界に先んじて天使に蹂躙じゅうりんされ、僅かな生き残りが人間に助けを求めてきたのだから――――




 ヨイザカ市は南北に長いマヤ列島本島のほぼ中央南側に突き出た半島に位置する港町で、人口約四十万。古くからの軍港があり、造船業や自動車産業で栄えたことに加えて海産物が豊富に採れるため地域の中核都市となっている。観光も含めたこれらの産業は天使の襲来という未曽有みぞうの大災害で一時的に衰退したものの、現在ではほぼ旧世紀の水準にまで回復している。これはマヤ皇国が大平洋だいへいように浮かぶ島国であり、主要な大陸から離れているため天使の優先攻撃目標から外れていたことが理由とされている。


 市街地にはいくつもの複合型商業ビルが建ち並んでいるが、海と山に挟まれているため平地に乏しく、階段と坂道とトンネルだらけで幹線道路は一本だけ。良く言えば歴史的情緒のある、悪く言えば古臭い、人口の割には交通の便が悪い町として知られている。




 デパートの地下で揚げたこ焼きとホットドッグを、コンビニでスムージーを、キッチンカーでチョコバナナクレープを手に入れたソロネはご満悦の様子でそれを頬張ほおばりつつ、次に目に付いたお店でフルーツ大福を……


「ちょっとソロネ、多くない!?」


「え? あう、ごめんなさい……」


 入手した食べ物を一口ずつ順番に食べていく彼女は自分の両手では足りず、私の左手にはチョコバナナクレープが、右手で押して歩く自転車のかごには揚げたこ焼きが入っている。一口ごとに「うぅん♡」とか「はふぅ♡」などと漏れる幸せそうな溜息が可愛らしくて今まで黙っていたのだけれど、これ以上はさすがに手の本数が足りない。


「たくさん食べてもいいけど、一つずつにしようね」


「はあい」


 人間とは比較にならないほど身体能力の高い悪魔は必要とするエネルギー量も段違いらしく、ソロネも例外ではない。しかも可愛らしいお口で少しずつ延々と食べるものだから、いつまで経っても食事が終わらない。食べる姿が可愛らしくてつい買い与えてしまうのだけれど、しつけのことを考えると少し控えた方が良いのかもしれない。

 それにお金のこともある。士官である准尉の給料はかなり良いし、宿舎での生活は家賃も光熱費もかからないけれど、こう無尽蔵に食べられてはいくら何でも困ってしまう。




「あらソロネちゃん。カレー食べてく?」


「うん!」


 言ったそばから馴染みの食堂のおばちゃんに声をかけられ、ふらふらと店に吸い込まれていく妹。

 背中の黒い翼に頭から突き出た二本の角、誰がどう見ても悪魔という彼女だけれど、軍事拠点に近いヨイザカでは軍と悪魔が町を守ってくれているという意識が強く地元民で悪魔を恐れる者は少ない。だが皇国全体がそうという訳ではなく、観光客の中にはソロネを奇異の目で見る者もいる。


 そればかりか小声で言葉を交わし、そそくさと店から出ていく者も。私はそれを少し悲しく、悔しく思う。誰のためにこの子が必死で戦い、あれほどの血を大平洋だいへいように流したのか。これまでに何人の悪魔と魔女が空に散っていったのか。いくつの遺体袋が輸送艦隊から運び出されたのか――――みんな、皇国に住む人達の生命と生活を守るためだ。




 突然耳に届いた「戦争反対!」の声に振り返ると、そこには店内の壁に掛けられたテレビジョンが白っぽく日焼けした姿をさらしていた。画面の中では手に手にプラカードを持った市民が拳を突き上げつつ「戦争反対!」「悪魔と手を切れ!」と連呼している。


『国内各地で戦争に反対する市民集会が開かれました。こうした市民の声は徐々に広がりを見せ、和平への動きが……』


 おそらくAIであろう抑揚の無い女性アナウンサーの声がそれに続く。私だって戦争には反対だ、それどころかヨイザカ基地の誰一人として好きで戦争をしている人などいない。この人達は誰に向けて叫んでいるのだろうか、悪魔と手を切れば平和が訪れると本気で考えているのだろうか。


 牛乳とサラダがついた昔ながらの海軍カレー、牛乳が嫌いなソロネはそれを私に押し付けてメロンソーダを注文するのがお決まりだ。大きなじゃがいもを小さく割りつつ少しずつ口に運ぶソロネはしばしその手を止めていたが、目が合うとにっこりと微笑んだ。賢い子だ、きっと自分が置かれた立場を理解した上で、私を心配させないようにこのような表情を選んだのだろう。だから私は敢えてテレビジョンのニュースとは関係のない言葉を選んだ。


「気を付けてね。服にカレー落としたら染みになっちゃうよ」


「はあい」

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