我、敵艦隊ヲ発見ス(一)

 ヨイザカ海軍基地より南西二二〇〇キロメートル、同盟国タンヤンのベイワン港にて補給を済ませた第七艦隊は南へ進路をとり、いよいよシエナ共和国の勢力圏内へと進入した。特に海や空の色が変わるわけでもないけれど、艦隊の空気が引き締まったような気がする。


 〇七三〇マルナナサンマル時、朝食を済ませた私は妹とのひと時を過ごしている。水色のワンピースを着たソロネの長い黒髪を二本の三つ編みにして、さらにくるりと輪を作って結んであげると、実に可愛らしい少女が鏡の中で笑顔を見せた。


「これで良し。今日も可愛いよ」


「わあい! お姉ちゃん、ありがとう!」


 実のところソロネの正確な年齢はわからない。他の悪魔も自分の年齢を覚えている者はいない、彼女らの故郷である魔界とこの世界とでは時間の流れがずいぶんと違うらしいから。

 ともかく彼女の肉体年齢は人間でいうと九歳から十歳くらい、精神年齢もそのくらいだろう。圧倒的な力を持つ第三位階とはいえ、こんな幼い子を戦場に連れて来たことに罪悪感を覚えてしまう。


「あまりはしゃがないで。お部屋が狭いんだから」


 鏡の中で楽しそうにくるくると回るソロネを眺めつつ、次は自分の髪を整える。ショートボブは軽くて気に入っているのだけれど、私の髪は少し伸びてくるとすぐ外側に跳ねてしまうのが難点だ。時間をかけてもしょうがないので手早くいて航空黒衣フライトローブに着替える。今日は〇八〇〇マルハチマルマル時より偵察飛行が予定されているのだ。




 〇八〇〇マルハチマルマル時、戦艦クラマの後部にある十五メートル四方の飛行甲板。誘導員さんのハンドサインに従って中央に移動し、戦闘用AIに命じて離陸準備に移る。


「武装ユニット固定。翼部展開、離陸準備」


『武装ユニットを固定します。翼部展開完了、離陸準備よし』


 誘導員さんが退避、周囲の安全を確認する。やや強い南風、波は高いが発艦に支障は無い。


発艦テイクオフ!」


発艦テイクオフ


 全幅五メートルに及ぶ暗灰色の翼を一杯に展開、ウェリエルの魔力を使用して力場を形成。吹き上げる風を掴み、ただ一度の羽ばたきで艦橋の半ばほどまで舞い上がる。甲板の隅で心配そうに見つめるソロネに手を振ってもう一度力強く羽ばたくと、も言われぬ快感が体を貫いた。どこまでも青い空に飛び出すのは、事情がどうあれ気持ちが良い。




 飛行ユニットを操作する戦闘用AIには自動飛行オートパイロット機能が搭載されているものの、どうにも評判が悪い。風向風速を計算して最適な飛行を行うようプログラムされているのだが、どうしても翼の傾きや羽ばたきが魔女本人の意図しないものになるため気持ちが悪いのだ。自分の足が勝手が動いて走らされるようなものと言えば理解してもらえるだろうか。


 だから私は自動飛行オートパイロット機能を解除して、自らの意思によってウェリエルを操っている。

 手動飛行マニュアルフライトモードと呼ばれるこれは体重移動や四肢の動作をAIが解析し、飛行ユニットに反映する操縦法。体を前後に傾ければ加速と減速、左右に傾ければ旋回、タイミングよくひねれば回転、これらを応用すれば宙返りやバレルロールも可能だ。


〇八四〇マルハチヨンマル、高度二〇〇メートル、敵影なし……っと」


 電波探知機レーダー感知装置センサーの類が使用できない現在、索敵の方法はほぼ目視に限られる。改めて全周囲を見渡し、航空眼鏡フライトゴーグル左下の表示部ディスプレイで高度と現在位置を確認する。敵影どころか魚の影も見当たらない穏やかさだ。

 とはいえ気は抜けない。索敵はもちろん、自分と母艦の位置を常に把握しておかなければならない。もし航空眼鏡フライトゴーグルが故障したり戦闘で破損してしまえば、自らの知識と方向感覚を頼りに何の目印も無い大海原で母艦を探すことになるのだから。




「ウェリエル、今日はいい天気だね」


『当海域の現在の天候は晴れ、気温摂氏二十四度、湿度五十四パーセント』


「ソロネは夏が好きなんだってね。昨日はかき氷を食べて頭が痛くなってたよ」


『本日は聖歴一〇八年九月二十八日、生命兆候バイタルサイン異常なし。頭痛の原因は不明』


 相手は人工知能AIなのだと知りつつつとめて世間話をするが、どうにも会話が噛み合わない。ただ私にとってもソロネにとっても、この背中に背負うものはただの飛行ユニットではない。

 悪魔ウェリエル、無念を残して亡くなったソロネの本当のお姉さん。だから私は自分がどうなろうと、彼女に代わってソロネを守らなければならない。




 水平線のむこうに入道雲が湧いている以外は上も下も真っ青だ。でも皇国近海とは透明度が違うのか、南の海は緑色が混じっているような気がする。


「コナちゃんは何て言ってたっけ、そうだ……」


 肩の力を抜いてぼんやりと風景をながめる、これが索敵の名手であるコナ准尉に教えてもらった唯一のだ。彼女は視力は低いくせに、視力矯正付きの航空眼鏡フライトゴーグルを装着すれば三魔戦随一の目となる。本人は「どうして他の人には見えないのか理解できない」と言うのだけれど――――


 その時、視界の隅に違和感。水平線付近で黒い点が微かに動いたような気がした。


「映像を拡大、画面ディスプレイに投影」


『映像を拡大、画面ディスプレイに投影します』


 眼鏡ゴーグルの左側に大写しされたのは主砲を備えた軍艦が大小二隻。私達以外にこの海域で活動している艦艇はまずシエナ共和国のものに違いない。少しずつ高度を下げつつ近づくと次第に黒い点が大きくなってきた。彼我ひがの距離は約八〇〇〇メートル、高角砲に狙われてもまず当たらない。


「所属と艦名を特定できる?」


『映像を解析中……シエナ共和国ホタン級巡洋艦一隻、およびヘイロン級駆逐艦一隻と推定されます』


 やはり。二隻ということは哨戒中か。有力な情報を得た私は翼を傾け、即座に帰還しようとしたのだけれど――――


『敵航空戦力を確認。第九位階【天使エンジェル】二機と推定』


「えっ!?」


『繰り返します。敵航空戦力を確認。第九位階【天使エンジェル】二機と推定』


 想定外の事態に思わず聞き返してしまい、律儀なAIから再度の返答が返ってきた。おそらく巡洋艦から飛び立ったであろう二つの翼ある人影、まさかこんな小型艦艇に天使が搭乗しているとは思っていなかったのだ。


「赤色信号弾発射!」


『赤色信号弾を発射します』


 敵機発見、救援求む。それを意味する赤い花が夏空に咲く前に旋回を終え、推力を全開。視界左下の現在速度を示す数字が見る間に跳ね上がった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る