敵ノ防衛線ヲ突破セヨ(四)

 聖歴一〇九年二月中旬。私は確かに故郷イナ州の上空にるはずなのだが、感傷に浸る暇など一切ありはしなかった。

 雲と空が重なり合う曇天どんてんの下、雪と土が混じり合う泥濘でいねいの上。高度は僅か八〇メートル、秋には黄金色の穂を実らせたであろう麦畑には今、無数の履帯キャタピラによる傷跡が刻まれている。


 眼下には泥の中を逃げ惑うルルジア軍のT-3中戦車、通称【びっくり箱】。車体下部に弾薬庫がある構造のため、引火すれば砲塔部が上部に吹き飛んでしまうことから名付けられたものだが、その際に中の乗員がどうなるかを考えれば不謹慎と言わざるを得ない。

 その側面に照準を合わせて引金を絞れば軽い反動と軽快な連射音がこの身に届き、目標右側の履帯キャタピラが弾け飛んだ。移動のすべを失った戦車からはおそらく乗員が上部ハッチから脱出するのだろうが、それを見届ける間も惜しんで次の目標へ。


 茶色の平べったい虫のようなシルエットはBNP-1歩兵戦闘車、通称【油虫ゴキちゃん】。三〇ミリ機関砲を主力とする強力な戦闘車両だが、対空装備は貧弱で魔女わたしたちに対しては無力と言って良い。直上から七・七ミリ魔銃弾をばら撒けば乗員は車両を放棄して泥濘の中を逃げ出した。


「ふう、次は……」


 荒い息をきつつ額の汗を拭う間にも、物理障壁フィジカルコートにいくつもの敵弾が弾けて甲高かんだかい音を立てる。見れば地上の歩兵からの小銃弾、極めて軽微な損傷とはいえ放置するわけにもいかない。


『複数の着弾を確認。物理障壁フィジカルコート損傷率……』


「着弾および損傷率報告不要。八〇パーセントを超えたら教えてちょうだい」


『着弾および損傷率報告、設定を変更しました』


 弾雨の中でやけに重たい体を励まして回避運動を交えつつ上昇、高度五〇〇メートルで今度こそ呼吸を整える。




 私達三魔戦は先月、Nil-24攻撃ヘリコプター、通称【ワニさんクラカヂール】を複数撃破した。今度はその低空域に魔女を投入して対地攻撃を仕掛けるというのが陸上軍司令官ガイ・テラダ大将発案の戦術だった。

 航空機に匹敵する機動力と火力、物理障壁フィジカルコートによる耐弾性能を併せ持つ魔女は対地戦闘においても強大な戦力であることは間違いない。実際こうして戦果を重ね戦線を大幅に押し上げている、のだけれど……


「魔女殿、ザリュウガク方面より機影六! 天使と思われます!」


「了解しました!」


 通信兵からの近距離通信を受けて意識を空に向ければ、確かに翼ある影が数個こちらに接近しつつある。


「ウェリエル、前方の機影を拡大。特定をお願い」


『画像を拡大します。第八位階【大天使アークエンジェル】一機、第九位階【天使(エンジェル】五機と推定』


「赤色信号弾発射!」


『赤色信号弾を発射します』


 体が重い。呼吸が整わない。ウェリエルの翼部損傷も完治していない。連日の出撃と慣れない対地攻撃が心身に重くのしかかり、思考を鈍らせている。それでも敵を迎え撃つべく体を叱りつけ、ウェリエルの翼を励まして高度を上げる。

 相対距離一三〇〇メートル。たとえカンナちゃんでも一対六では勝負にならないだろう、有効射程外から魔銃弾をばら撒きつつ高度を上げて逃走に移る。


 数回に渡り交戦したナナイケ基地航空隊と天使は互いにその数を減らし、大規模な空戦を交えることは少なくなったけれど、こうして数機程度の小集団で散発的に現れては私達を追い回し、こちらの地上部隊に攻撃を加えて去っていく。彼らの動きは人間の作戦行動と全く噛み合っていないのが救いでもあり、かえって予測不能であったりもする。


物理障壁フィジカルコート損傷率増大。八〇パーセントを超過しました』


「もう少しだから頑張って、ウェリエル!」


『指示が不明瞭ふめいりょうです。単語ワードを変更してください』


「頑張って」などという具体性にとぼしい言葉に対して戦闘用AIは行動することができず、定型文の返答が返ってきた。既に敵の射程に入りつつある私としてもこれ以上不毛なやり取りをする余裕は無く、ただ回避運動の合間に威嚇射撃を行うのみ。悪くすればあと一発の直撃弾を受けただけで物理障壁フィジカルコートが消失してしまうのだ。


「ミサキちゃん、大丈夫!?」


 天使の群れに向けて撃ち上げられた二条の弾列。サクナ准尉とナナミ准尉が彼らに回避運動をいたおかげで若干の余裕が生まれ、物理障壁フィジカルコートを再展開することに成功した。再び輝きを取り戻した七色の障壁に安堵あんどの息をつく。

 こうして私と同じように地上に展開していた僚機が合流。さらに三時方向から見慣れた機影が三つ、戦艦クラマで待機していたカンナ少尉以下の魔女に違いない。新手あらての出現で追撃を諦めた天使はザリュウガク方面に去り、私はようやく全身の力を抜いた。


「ありがと、みんな……」


 疲労を覚えた私はウェリエルを自動操縦オートパイロットに切り替え、仲間達の援護を受けてようやくの帰投。

 皇国軍大攻勢の代償は一割に及ぶ陸上戦力の喪失と、航空戦隊の疲弊という形で現れつつあった。

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