皇国魔女航空戦隊(四)

 聖歴一〇八年夏、ヨイザカ海軍基地。勇ましく喇叭トランペットが奏でられる中、輸送艦隊が続々と入港してくる。


 油槽船タンカー一、輸送艦五、巡洋艦二、駆逐艦六。いずれも穴だらけで酷い有様だ、一隻も欠けることなく到着したのは奇跡と言って良いだろう。血と脂と海水にまみれたまま舷側で敬礼する乗組員を基地職員が帽子を振って出迎える。


 やがて舷梯タラップが渡され、まず運び出されたのは担架に乗せられた怪我人、続いて細長い黒い袋。その中身が何であるか、もはや新兵ではない私は知っている。これは戦争であり生存競争であり、犠牲が避けられないことも。


 巨大なクレーンがゆっくりと動きだし、船内のコンテナを吊り上げては地上に下ろす。フォークリフトとトラックが縦横無尽に走り回る。私の胴回りよりも太いホースが油槽船タンカーに接続され、ポンプが喉を鳴らすような音を立てる。

 私がしばらくそれを見ていたのは別に暇だからではない、大空に散った仲間が命を賭けて守ったものをこの目で見ておきたかったからだ。彼ら彼女らのおかげで救われた命がある、届けられた物資がある。そうとでも考えなければやってられない、というのが正直な気持ちだ。




 格納庫のさらに奥にある収納庫で私を待っていたのは、両側に暗灰色の翼が生えた黒いランドセル。他の飛行ユニットが蝙蝠こうもりを思わせる黒い翼であるのに対して、『彼女』は形状だけを見れば天使のそれのようだ。声をかければ人工音声による返答に合わせて小さな緑色のランプが明滅する。


「お待たせ、ウェリエル。ごめんね、また被弾しちゃって」


『【ウェリエル】翼部損傷七カ所、回復フェイズ実行中。魔力残量十七パーセント』


「完全回復までの時間は?」


『翼部修復完了まで約四十九時間、魔力回復完了まで約三十時間と推定』


 彼女が言う通り翼部の損傷と魔力は時間をかければ自己回復するが、筐体きょうたいやケーブルなどの人工部は整備が必要になる。本来は整備士さんが破損や摩耗を確認して必要ならば部品を交換してくれるのだけれど、私はできるだけ自分の手で整備を行うようにしている。それに体に合わせて細部の調整を行うのは魔女本人にしかできない仕事だ。


 専用の赤い工具箱を開き、十七ミリのソケットを取り出してラチェットレンチに装着。カリカリと小気味良い音を立てつつボルトが回り、ユニットの蓋が開いた。ボルトで固定されたいくつかのプレートを外すと緩衝材の奥に見え隠れするのは奇妙な存在感を放つ黒い立方体、無数のケーブルに繋がれたこれが『彼女』の本体。


 この飛行ユニットはかつてソロネの姉、ウェリエルと言う名前の悪魔だった。




 ◆




 もう五年も前のことだ。マヤ皇国は天使に従属するルルジア連邦の攻勢を受け、本島を除けば最大の島であるイナ州を失陥した。


 故郷を追われた私は家族とともに船で本島に逃れようとしたが、敵の軍艦と天使は民間船であろうと見境なく攻撃してきた。私達の乗った船は敢えなく撃沈され、海に放り出された私はどちらが上か下かもわからない水の中で必死に手を伸ばし、偶然捕まえた船の破片にしがみついてようやく海面から顔を出した。


 その目に映ったのはさらなる絶望。私と同じように波間に漂う生存者達を、群がる天使が次々と光の剣で滅していったのだ。畑の雑草を抜くように丁寧に、何の表情も感情も浮かべずに淡々と。

 一人、また一人。ただ自分の番を待つばかりの私は、そのとき空を眺めていた。きっと最期くらい綺麗なものを眺めていようと思ったのかもしれない、その視界に暗灰色の翼を広げる何かが飛び込んできた。




 ――――悪魔だ。もちろんその存在は知っていたけれど、間近に見るのは初めてだ。天使によって魔界を追われ、皇国と共に戦う空の勇士。


 魔銃の赤い弾列が空を裂き、天使の群れを薙ぎ払う。力強く羽ばたいて上昇すると次は翼を畳んで弧を描きつつ速度を増し、敵を振り切って反撃の一連射。まともに浴びた天使が海面に落ちていった。


「がんばれ、悪魔さん、頑張って……!」


 それはきっと復讐の言葉だった。父と母と妹を海の藻屑に変えた敵への、必死に生きようとする人達の命を雑草のように刈り取った天使への。


 だが私のその思いも、空の勇士の身体とともに少しずつ削られていった。天使の光弾を、敵艦の機銃を浴びつつ単身で奮戦するもやがて魔銃弾が尽き、それでも赤く輝く魔剣をかざして何体もの天使を葬り――――ついには一際ひときわ大きな天使の剣に胸を貫かれ、私の悪魔さんは奇妙なほどゆっくりと海面に落ちてきた。


「悪魔さん、しっかりして!」


 片手で船の残骸にしがみついたまま、もう一方の手で懸命に黒い体を引き上げる。その血が私の服を濡らして、悪魔の血も赤いんだなと当たり前のことを今さら意識した。

 赤い瞳の綺麗な顔。長い黒髪を海水に浸し、力なく微笑むその顔は優しかった。


「悪魔のために泣いてくれるの? 優しいんだね」


 自分が泣いていることにも、この人が私達と同じ言葉をしゃべったことにも驚いた。私は今まで悪魔という存在のことを何も知らなかったのだ。


「……優しいあなたにお願い。妹に伝えてくれないかな、寂しい思いをさせてごめんねって」


 そして、私達と同じように酷い怪我をすれば死ぬことも。私と同じように姉妹がいることも。寂しいとか辛いとかいう感情があることも。


「はい。妹さんのお名前は?」


「ソロネ……」


 そこで言葉は途切れ、空は轟音で埋め尽くされた。敵を追い散らす戦闘機の編隊は頼もしかったけれど、もう少し、もう少しだけ早く来てくれたら。そう思わずにはいられなかった。


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