ヴィラ島沖海戦(五)

 ウェリエルの武装変更に良い案が見つからなかった私は結局、整備士のユキトくんに相談して推力を二〇パーセント、物理障壁フィジカルコートの耐久力を二〇パーセント強化することにした。ユキトくんはちょうど二十歳で、階級は確か上等兵だっただろうか。小柄で丸眼鏡の真面目そうな印象にたがわず各種ユニットの整備をきっちり行い、後片付けも清掃も丁寧なので魔女からも整備士の先輩方からも評判が良い。


「ミサキは被弾が多いから、火力よりも機動力と防御力を上げた方がいいよ」


「ううん、そうなのかなあ」


「自分を犠牲にしすぎだって、みんな心配してるぞ」


「そんなつもりは無いんだけど……」


「だいたいソロネの方が強いんだから、ミサキが体を張って守る必要なんてないじゃないか」


「妹が傷ついて平気な姉なんていな……あ、ごめん」


 そこで私は失言に気付いた。彼が兵士になったのは子供の頃から虐待を繰り返す親から逃れるためで、海軍を希望したのは心理的にも距離的にも実家から離れるためだと聞いている。親子だから姉妹だから相手を傷つけないとは限らないのだ。


「ウェリエルは俺が面倒見るから、ミサキは少し休んできなよ」


「うん。じゃあウェリエルのこと、よろしくね」




 揺れる艦内で歩くにはちょっとしたコツがいるのだけれど、訓練も含めて二十日の航海を経験した上に通路には必ず手摺てすりがあるので、少々揺れが大きくなったところで無様に転んだりはしない。

 でも軍艦というものをよくわかっていないソロネは時折り何かにつまずいたり、計器類に羽を引っ掛けたりと大変そうだった。部屋で大人しくしていれば良いのだけれど……


「あれ? ソロネ?」


 だが与えられた個室にその黒い姿はなかった。厨房、休憩室、コナちゃんの部屋、およそ彼女が訪れそうなところを巡っても影も形もない。こんな嵐の日にまさかと思いつつ心当たりの最後の場所を訪れてみると、甲板かんぱんに通じる水密扉すいみつひから廊下にかけてが水浸しになっていた。その跡をたどると……


「こんな所にいたの?」


「あ、お姉ちゃん……」


 補修資材や予備の救命具などを収納してある資材庫の物陰に座り込む黒い影に話しかけると、観念したような返事が返ってきた。どうしたのと問うより前に、ソロネの影から切り取られたように音もなく歩いてくる小さな黒い生き物。


「猫!? どこにいたの!?」


甲板かんぱん……」


 話を聞いてみると、ソロネは数日前に甲板の片隅でうずくまっているこの子を見つけた。それから朝食の牛乳を隠し持ってきたり、厨房から残飯をもらってきたりして与えたところ元気になり、でも今朝からの嵐を見て居ても立っても居られなくなって艦内に連れて来たのだそうだ。


 よく見ればソロネの服の裾には爪で引っ掻かれたような跡があるし、そういえばここ数日は挙動不審なところがあったかもしれない。偵察や出撃で妹のことをよく見てあげられなかったのだと反省する。

 とりあえず廊下を掃除して黒猫を部屋に連れ帰り、タオルでよく拭いてあげると甘えたように「にゃあ」と一声ひとこえ鳴いた。


「むー。ソロネが抱っこしたら引っ掻くくせに」


「そうなの?」


 その後牛乳を飲んで眠くなったのか、私の胸に顔を埋めて満足そうに眠る黒猫。もちろん私だって面倒を見てあげたいけれど、無断で飼うわけにもいかない。でもこんな事で艦長の手をわずらわせて良いものか……と困った挙句ユリエ隊長に相談したところ、意外にもあっさり「いいわよ。ついてらっしゃい」と艦長への取り次ぎを引き受けてくれた。


 ユリエさんが言うには、軍艦に猫などの小動物が紛れ込むことはまれにあるそうだ。荷物を運び入れる際に一緒に入ってきてしまい、中にはそのまま幸運の象徴として飼われることもあるのだとか。もしかしたら許可が下りるかもしれないと言ってくれたのだけれど……




 戦艦クラマ艦長のチョウジ中佐は五十代半ばだろうか。半白髪の頭髪を角刈りにしたいかにも叩き上げの軍人といった風貌で、はっきり言ってしまえば私はこの人が怖い。なんでも無茶な作戦を強行しようとした統合本部に怒鳴り込んだとか、腕は良いが素行の悪い撃墜王エースを一喝したとか、そういう類の噂に事欠ことかかない人物なのだ。ユリエ少尉が艦長室の扉をノックして返ってきた「どうぞ」という声も低く、お腹に響くような印象だった。


「あの……第三魔女航空戦隊、ミサキ准尉です。艦長のお手をわずらわせてしまい申し訳ありません」


「構わん。何事か?」


 この人やっぱり怖い。白い士官服を一分の隙もなく着こなした初老の軍人さんが背筋を伸ばしているのを見て、私は「やっぱり何でもありません」と言いかけた。だがソロネのすがるような目を見て勇気を振り絞る。


「あの、甲板かんぱんでこの子を発見しまして、雨に打たれて可哀想だったものですから、その、艦内でお世話をしてもよろしいでしょうか?」


 じろりと私から猫に視線を移す艦長。やっぱり怖い、いくら何でも無理なお願いだったかと諦めかけたものだけれど。


「ふむ。『クロ』だな」


「はい?」


「名前は『クロ』でどうか?」


「は、その、ええと……」


予想だにしない答えに戸惑ったのは私、代わりに割り込んだのはソロネ。


「だめー! この子は『ロクエモン』なの!」


「そうか、困ったなあ。どうしてもか?」


「どうしても!」


 ロクエモンという名前は確か、コナちゃんの部屋で見た『スペースゾンビざむらい』という映画の主人公の名前だ。ともかく意外なことにチョウジ中佐は猫を飼っても良いかどうかには一言も触れず、ソロネと一緒に黒猫の名前を決めてしまった。

 それどころか孫を見るお爺ちゃんのように目を細めて「ちゃんと面倒を見るんだぞ」と念を押す始末で、私はいささか拍子抜けしつつ艦長室を後にした。廊下に出たところで笑いをこらえかねたようにお腹を抱えるユリエ少尉。


「意外だった? 艦長はお孫さんが生まれたばかりでね、子供には甘いのよ」




 どうやら安心したのか、私の胸の中で大きく欠伸あくびをする黒猫。こうしてロクエモンは三魔戦の魔女達の使い魔となった。

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