ヴィラ島沖海戦(三)


『警告、警告。有力な敵対勢力の接近を確認。第五位階【力天使ヴァーチェ】、個体名【サリエル】と推定』


「えっ!?」


『有力な敵対勢力を確認。第五位階【力天使ヴァーチェ】、個体名【サリエル】と推定』


 律儀にも同じ報告を繰り返す戦闘用AIの人工音声を聞いて、「嘘でしょ!?」という言葉を飲み込んだ。もし発していれば三度みたび同じ報告が返ってきたに違いない。




 黒っぽい点のように見えたそれはただ一機、瞬く間に大きさを増して迫り来る。

 暮れなずむ空に浮かぶ姿は外見だけでなく、存在自体が他の天使と一線を画す威圧感を放っている。私は無意識に奥歯を噛み締めていた。


「サリエル……!」


 第五位階力天使ヴァーチェ、個体名サリエル。


 巨大天使ゾギエルのように危険な敵個体は『名ありネームド』と称され皇国軍のデータベースに登録されているため、姿を視認できるほど接近すれば個体名や位階を知ることができる。だがそれが無くとも、その顔と名前は私の脳裏に焼き付いていた。


 全てを失ったあの日、ウェリエルの胸を貫いた天使。ソロネの姉を永遠に奪った怨敵が前触れもなく目の前に現れたのだ。私のこの感情は私自身のものなのか、それともこの身に背負うウェリエルのものなのかわからない。とにかく怒りと憎しみと恨みとが胸に渦巻き、真っ赤な濁流が意識を押し流していった。


「う……あああああ!!」


 ろくに狙いをつけないまま二〇ミリ魔銃を乱射。その弾列は有効射程距離よりもはるかに遠い目標に触れるはずもなく、紫色の空に吸い込まれていった。そればかりか第七艦隊からの対空砲火を嘲笑あざわらうかのように回避運動をとりつつさらに接近する。


 一際ひときわ雄大な体躯、白く輝く翼、緩やかに波打つ白金色の長髪。もしかしてその顔に浮かんでいるのは微笑だろうか。再び湧き上がる怒りに意識が遠ざかる。


「うわああああ!!」


 たぶん何の意味も為さないただの絶叫を上げ、真っこうから二〇ミリ魔銃を連射しつつの正面突撃。たぶんこのとき私はサリエルと刺し違えようとしたのだろう、だが。


『被弾を確認。物理障壁フィジカルコートが消失しました』


 鎧袖一触がいしゅういっしょく。攻撃を視認することもできず、敵の姿勢を変えることすらできず、体を包む七色の被膜が砕け散った。


 速度スピードが違う、威力パワーが違う、おそらく耐久力も。何もかもが段違い、いやけた違いだ。あまりの衝撃と風圧で制御を失った体を立て直した時には、既にサリエルは第七艦隊に突入していた。最も近くにいた駆逐艦ヨルカゼの船体にいくつもの光弾が着弾し、複数の機銃座が吹き飛ぶ。鋼鉄製の機銃が跡形もないのだ、銃座にいた人間など形も残らないだろう。


 揶揄からかうように空を舞うサリエルはさらに巡洋艦ヨウテイの副砲といくつかの機銃を破壊、艦隊中央の航空母艦カデクルに迫るかに見えた。それだけは防がなければならない、カデクルの飛行甲板に損傷を与えられれば出撃中の一式艦上戦闘機が全て着艦できなくなるのだ。私は再びウェリエルの翼に力を込め……その前を黒い影が通り過ぎた。


「どけ。あれは私の獲物だ」


「サツキ少佐!」


 第七艦隊をもてあそぶ天使に肉迫するのは一魔戦副隊長、サツキ少佐。それは猛禽のごとく直線的な軌道を描き、白と黒の機影が交差した。瞬間まばゆい光が散ったのは、光弾が互いの障壁に弾けたものか。


「逃げ回るのもそこまでだ、サリエル」


「逃げ回るだと? 人間風情ふぜいが舐めた口を」


 激しい雑音に紛れて届いたその会話に、私は耳を疑った。


 天使がしゃべった!? それも私達人間の言葉を!? これまで戦ってきた天使の中に意思疎通ができる者はいなかった、いや、そもそも試す余裕がなかった。しかし考えてみればシエナ共和国やルルジア連邦は天使の支配を受け入れているのだ、意思の疎通ができないはずがない。一体彼らは何を考え、どんな思想の下に私達人間をしいたげているのか……


 私はひとつかぶりを振り、長大な二〇ミリ魔銃を肩に担いだ。


「奴らの思想なんて、理由なんてどうでもいい。絶対許さない」


 再び物理障壁フィジカルコートまとって戦闘用AIに静止飛行ホバリングを命じ、狙撃体勢をとる。肺の中の空気を一度全て吐き出し、改めて吸い込む。呼吸を止め引金に指を掛け、視覚以外の感覚を遮断する。


 ウェリエルの羽ばたきも対空機銃の銃声も、もう私の耳には届かない。サツキ少佐と絡み合うように光弾を撃ち交わし魔剣を交差させる、その恨みつのる姿を十字型の照準に合わせ、彼我ひがの距離を計算に入れ弾道を推測する。鍔迫つばぜり合いの末に両者が離れた――――今だ。


 かちり。確かな手応えと共に全身が震えるほどの強烈な反動、赤味を帯びた魔銃弾が続けざまに射出される。私の最大火力、二〇ミリ魔銃の赤い弾列が純白の怨敵に吸い込まれ――――翼を僅かにかすめて紫色の虚空に飛び去った。


 私は油断したのだろうか、無念のうめきを漏らすよりも早く報復の光が眼前を横切った。両手に握った二〇ミリ魔銃の銃身が融解し、内部の魔力が暴発。榴弾りゅうだんの直撃を受けたように吹き飛ばされ、姿勢の制御を失った。


「うあっ!」


『二〇ミリ魔銃の喪失を確認。原因不明の衝撃により翼部損傷、物理障壁フィジカルコートが消失しました』


 紫色に染まる視界がぐるぐると回転し、淡々と事実を告げるAIの人工音声も理解できない。確か機銃座が見えるほどの低空にいたはずだ、これではすぐに海面に叩きつけられて――――


「邪魔をするな。のうちに死にたいか」


「すみません……」


 制御コントロールを失った私をすくい上げたのは、サツキ少佐の力強い左腕。でもその身体が柔らかいと感じたのは彼女が成熟した女性だからだろうか。




「あの!」


 そのまま母艦クラマに降ろされた私は、旗艦ヒラヌマに帰投しようとするサツキ少佐を呼び止めた。


「あのサリエルという天使をご存じなんですか? 他にも意思疎通ができる天使がいるんですか?」


「貴官の知ったことではない」


 にべもない返事に一瞬ひるみかけたが、気を取り直してもう一度。


「あいつはソロネの姉、ウェリエルのかたきです。どんな相手なのか、何を話したのか、教えてください」


「奴は殺すべき敵であり、お前のようなかなう相手ではない。命が惜しければ関わるな」


 それ以上の質問を拒否するかのように、サツキ少佐は飛び去ってしまった。




 この時私は自分の迂闊うかつさを自覚していなかった。私を出迎えるべく甲板かんぱんに上がっていたソロネの姿にも、その後「おかえりなさい、お姉ちゃん」と言った彼女の声が微かに震えていたことにも気付かなかったのだから。


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