第39話 異世界人と新たな男性

 やがて、長い杖を手にした女王とその両脇に控える二人の王女が現れると、自然と場の騒めきが収まっていく。


「皆の者、本日はよくぞ集まった。あらかじめ厳命しておくが、いったん儀式が始まれば途中に席を立つことは消して許されぬ。所用のある者は必ず今の間に済ませておくことだ」


 言い終わると女王は杖を床にカツンと打ち立て、用意された席へと静かに腰を下ろした。

 それきり、教会内に静寂が訪れる。

 皆が目を瞑り、両手を合わせて顔の前に掲げる。

 まるでその場に居る誰もが、天へと祈りを捧げているようだ。


(なんだか、異様な雰囲気だな……)


 隣を見れば、フィーナとスツーカも同じように祈っている。

 何やら知らない間に自分だけが取り残されている事に気付いたシロウは、ひとまず周囲の見様見真似で場に溶け込む事にした。


(なむなむなむ。……これって、天上人に祈る時間って事なのかな。……あの二人、元気にしてるかなあ。シロウMarkⅡ、大事に扱ってくれてるといいけど。時々送られてくる手紙には結局、返事を返せてないけどいいんだろうか)


 周囲に合わせて祈る振りをしながら、取り留めもない事を考える。

 そうして幾ばくかの時間が過ぎ去った時。

 女王の持つ杖の先端が、仄かな光を発した。


「――来た」


 女王は凛として立ち上がると、大きく腕を振り臣下に向けて呼びかけた。


「皆、まもなく待ち人が訪れる。心落ち着けて拝謁の時を迎えるのだ」

「はっ」


 やがて。

 杖の先から溢れんばかりの光が迸ると、女王は大きく杖を掲げて祝詞を唱えた。


「天から遣わされし輝かしき者よ! どうか尊き御身を一時地に降ろし、偉大なる主の授けし恵みを、遍く大地に分け与えたまえ!」


 カツン。

 杖底で床を叩く硬質な音が辺りに響く。女王は静かに教会中央に佇む女神像の前に立つと、片膝をついて首を垂れた。

 その振る舞いはシロウが想像していたよりも神事に近しい。女王は地上の民にとって神の如き存在である天上人に祈りを捧げるべく厳かに儀礼をこなしている。


 昔、シロウも正月などに神社へとお参りした時は神様に何となく祈りを捧げていた。しかし、宗教や神学に縁の無かった彼のそれはあやふやで不確かな"神様"という概念に対する祈りだった。


 しかし目の前の彼女たちは違う。

 天上人という形ある神の代行者に祈りを捧げている彼女たちは、あの頃のシロウとは比べ物にならないほど真摯で、敬虔だ。


 シロウがその場の織りなす雰囲気に圧されていると、ついに女王の杖から溢れだす光の眩しさが頂点を越え、目を開くのも困難なほどの輝きを放った。


(ま、まぶしっ)


 思わず両腕で顔の前を覆う。

 やがて光の波動が収まり、教会内の明るさが元に戻るとシロウは恐る恐る腕を降ろす。

 すると、女王の前に先ほどまでは存在しなかったはずの見目麗しい男性が立っていた。


 祈りを捧げる女性達の物言わぬ緊張が教会内部を包む。

 男性は長く燃え盛るような赤い髪を煩わしそうにかき上げると、跪く女王を冷たい眼光で見下ろしながら言葉を放った。


「ふん、此度も出迎えご苦労な事だ。貴様が今代のエルジナ国王か」

「はっ。以前にも、お目にかかった事がございます」

「何?」


 その言葉に多少の興味が湧いたようで、男性はじろじろと無遠慮に女王の姿を眺める。


「……ああ。そういえば前回、王の隣に控えていた若い娘が居たな。あの内の一人が貴様か」

「左様にございます」

「すると、その両隣に居るのが貴様の娘。次期女王の候補というわけだな」

「はい。御身より向かって右に控えるのが第一王女エルダリア。左が第二王女エルティリカとなります。娘たち、顔を上げてご挨拶申し上げなさい」


 女王が呼びかけると、頭を伏せていた年若い二人の美しい王女が初めて天上人に顔を向ける。

 王女たちは初めて目にする天上人の作り物めいた美に一瞬うっとりと陶酔しかけたものの、数秒もすると正気に戻り焦ったように挨拶を始めた。


「だ、第一王女エルダリアでございます。我が国が尊き天上の御方をお迎えできた事、光栄の至りですわ」

「第二王女エルティリカ、御前に。この度はどうか我が国で、心ゆく迄ゆるゆるとお寛ぎ下さいませ」

「娘たちはいずれも次代の国を率いるに相応しい人物となるべく幼少の頃より教育を施しております。どうかお見知りおきを」


 女王と王女が再度、深く頭を垂れる。


「ふん」


 男性は面倒そうに鼻を鳴らすと、女王の後ろに跪く二人の王女に目を向けて言い放った。


「……いいだろう。前回と同じくこの私自ら、貴様らの内どちらがこの国の次代に相応しいか"視"てやろう。光栄に思うが良い」


 そう言うと、間もなく男性の目が金色に光り輝く。

 その身に宿した膨大な魔力が瞳に集中しているようだ。


 男性はまるで品定めでもするかのような冷淡な表情で王女達を見つめる。

 誰かがゴクリと息を呑む音。皆がはらはらと事態を見守る中、やがて男性が人差し指で片方を示した。


「次代の女王は貴様だ。我が眼で"視"る限り、統治するには問題の無い資質を備えている。将来産まれてくる子もみな優秀だ。……対してそちらの貴様は、やや優柔不断が過ぎるようだな。慈悲のみで王は務まらぬと知れ」

「は。光栄でございます。次代を担う者として、地上の安定に尽力すると誓います」

「……御言葉、肝に銘じます」


 選ばれた第一王女エルダリアが深々と礼を述べ、一方の第二王女エルティリカが恥じ入るように頭を伏せる。


「御言葉、承りました。必ずやご意向に沿うように万事恙なく遂行いたします」

「ふん。まあ、貴様らがどうしようと俺の知った事ではないがな」


 そうして天上人の鶴の一声により、至極あっさりと王国の次代女王が決まった。

 しかし、誰一人としてその決定に異を唱えるものは居ない。

 天上人の決定は絶対だ。


 代表して女王が深く頭を下げると、男性は興味を失ったように視線を外す。

 するとその先に、彼の興味をくすぐる人物が居た。その場に自らを除いてただ一人の男性、シロウである。


 男性は女王をその場で置き去りにすると足早にシロウの元へ歩み寄った。

 彼はシロウの肩をがしりと掴むと、それまでの様子とは打って変わって愉快そうな笑顔を浮かべた。


「おお、貴様が例のクサカシロウか! 噂は聞き及んでいるぞ!」

「え!? あ、はい。俺がシロウですけど……。噂って?」


 いきなり場に現れた居丈高な男に迫られたシロウは、たじたじになりながらも何とか聞き返す。男性はシロウの様子など気にせずに、肩を掴んだままマイペースに続けた。


「トパーズの奴が言いふらしていたぞ。我らの戦いに力を貸してくれる異邦人だとな。特に、貴様が寄越したという例の。あの、何と言ったか……」

「シ、シロウMarkⅡのこと……ですか?」


 恐る恐る訊ねると、男性の表情が一段と明るくなる。


「そう! シロウMarkⅡなる奇っ怪な名称のおかしな魔導生物だ。あれの活躍は目覚ましい。かの邪悪との聖戦において、あの魔導生物の壮絶なまでの暴れっぷりは我らも頼もしく感じているほどだ。そう、例えばあれは一月前の戦いの時だった。奴は同胞に迫りくる魔物を腕に込めた魔力の一振りで粉々に討ち滅ぼすと、そのまま宙に浮かぶ連中の親玉に一撃を……」


「ちょ、ちょっと待って下さい! ……その話、長くなります?」

「む? 話としてはこれからなのだが……。まあ、またの機会にするとしようか」


 場の空気を気にもかけずに、シロウMarkⅡの武勇伝を語り始めようとする男性をシロウはどうにか押し止める。

 このまま周囲を置き去りに延々と話が続いてはたまらない。

 男性は残念そうにしていたが、シロウが続きを望んでいない様子を見て諦めたように引き下がった。


「そういえば、自己紹介がまだだったな。俺の名はルベライト。烈火の赤を冠する者。異邦人よ、良かったら覚えてくれるとありがたい」

「ど、どうもルベライトさん。久坂史郎です。よろしくお願いします」

「以前から貴様とは是非一度会ってみたいと思っていた。かの魔導生物を寄越してくれた感謝を述べねばならんとな。これは友好の証だ」


 男性――ルベライトの差し出した手をおずおずと握ると、がしりと硬く握り返された。彼の手は名に相応しい熱を持ち、激情がその内に眠っている事を伝えてくる。


「……おお」

「これは……なんとも……」


 堪え切れず、再び教会中に小さなどよめきが広がる。


 男性同士の友好の握手。

 例え王族や貴族であっても本来なら決して見る事の出来ない尊い光景を、人々は息をごくりと呑んで静かに見守るのだった。


「…………」


 ただ一人、不安げな眼差しを向ける女王エルメリアを除いては。

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