第15話 子ねずみに捧ぐ

「随分と時間がかかってしまってすまなかったな、クサカ殿。本当はもっと早く奴を撃退して、君を送り届ける予定だったのだが」

「いえ。それどころじゃなかったですし。なんでか知らないけど、何日も飲まず食わずでも平気でしたから別に大丈夫です」

「『天上の園』に居る間は、我々が戦士としての責務を全う出来る様にと与えられた主の祝福によって、食べずとも飢餓に悩まされる事は無い。無論、娯楽としての食事を楽しむことは出来るがな」


 数日山の上に放置された末に、ようやく地上へと帰り着いたシロウは送迎の役目を果たしたオニキス達と学園の前で立ち話をしている。今は平日の昼前なのでスツーカ達は学園の中に居るだろうが、数日ぶりの再会にシロウは二の足を踏んでいた。


 というのも、連絡の手段が無かった上に自分が原因ではないとはいえ数日間も無断で外泊(と言っていいのかは不明だが)していたのだ。出会い頭に怒られるような気がして、何となく顔を合わせるのは躊躇われる。


「わざわざこんな穢れた世界に帰らなくてもいいじゃん。あのまま僕らと一緒に天上に居れば良かったのに。良い場所だったでしょ?」

「いや、確かに綺麗な場所だし観光はすげー楽しかったけどさ。でもあそこに居たら敵と戦わなきゃいけないんだろ? 俺戦士じゃないし。戦うのとか怖いって」

「ちぇー」


 唇を尖らせて、拗ねたような態度でトパーズが小石を蹴る。帰っている最中にも何度か誘われたが、やはり今からバトル展開に身を投じる気にはなれない。それに、これは数日の間にうっすらと理解した事だが、どうやら天上の民は随分と地上に偏見を持っているらしく、会話していると度々侮蔑の感情が顔を出す。シロウとしてはどうにもやっていける気がしなかった。


「やはり、我々と共に来る気はないか」

「すいません。でも、代わりにちょっと考えてる事があって――」


 オニキスの誘いを断ったところで、少年の懐に頭から飛び込んでくる小柄な人影があった。それは先ほど顔を合わせづらいと考えていたばかりの相手、スツーカだった。


「――シロウくんっ!」

「おわっ、スツーカ?」


 少女は少年にひっしりとしがみつく。それは、たかが数日ぶりとは思えないほどの熱烈な歓迎だった。「もう、黙って数日もどこに行ってたの」「ははは、ごめんごめん」程度の軽いやり取りを想像していた少年は目の前の現実に困惑する。


「ちょ、ちょっと一体どうしたの……え、あれ。泣いてる?」


 少年の胸の中でぐすぐすと鼻を鳴らしている少女。その様子は明らかに平常ではない。まさか、少年が居ない隙にまた同級生に嫌な思いをさせられたのだろうか。

 シロウがそんな事を考えている間にスツーカは落ち着いたようで、少しだけ身体を離して口を開いた。


「……おかえりなさい」

「あ、うん。ただいま……って、大丈夫?」


 数日ぶりに再会した少女は、改めて見ると記憶よりも随分と顔色が悪い。まるで何日も寝ていない人のようだ。何しろ普段少女の家で暮らしている時、夜はさっさと自室に戻ってしまう彼女の事だ。睡眠不足という事も無いだろうがと少年は考察する。


 ちなみに少女がさっさと自室に引き籠るのは、夜に少年と顔を合わせていると何やら恥ずかしくなってしまうからで、睡眠時間が人より長いという理由ではない。


「だ、大丈夫。私は平気、です。それよりも、帰ってきてくれて、よかった……」

「いや、そりゃ帰ってくるけども。あ、でも遅れるって事しか伝えてないもんな。まさか何日も帰れないとは思わなくてさ。ごめんね」

「い、いいんです。帰ってきてくれれば、それで」


 少年がぺこりと頭を下げると、少女は濃い隈のできた目尻を細めてにこりと微笑んだ。何やら様子はおかしいが、どうやら怒ってはいないようだ。少年は気付かれないようにほっと息を吐く。



 しかし。安心するのはまだ早かったようだ。

 少女は少年に対しては優しく微笑んでいたが、次の瞬間には表情に力を込めて、天上人たちの方に一歩進み出た。その顔からは、強い決意が滲んでいる。

 どうやら自分達に何か言いたい事があるらしいと察して、オニキスが冷徹な視線を向けた。


「我々に何用か。本来、必要が無い限り地上の民の戯言になど耳は貸さんが、今回はクサカ殿の知己であるから特別に赦そう。用があるなら云ってみるが良い」

「ス、スツーカ?」


 シロウは慌てて両者の顔を見比べた。何しろ天上人は地上人を酷く嫌っている。話しかけられただけでも嫌悪に表情を歪ませるほどだ。スツーカが何か失礼な事を言うとは思わないが、下手な事を言えば最悪、無礼討ちになりかねない。シロウは先刻までの闘争の舞台で、オニキスが強大な力を振るい敵の尖兵を薙ぎ払っていた光景を思い返して肝を冷やした。


 はらはらとシロウが見守る中、少女は胸に手を当ててすぅ、と大きく息を吸うと、普段からは考えられないほどに全力で声を張り上げた。


「あ、あの。……お、お願いします。シロウ君を連れていかないでくださいっ!」


 少女が叫んだ後、しんと辺りが静まる。

 天上人たちの冷たい視線。それを小柄な身体で真っ向から受け止めて少女は強い眼差しで返す。精いっぱいの勇気を振り絞ったのか手をぎゅっと握り、先ほどまで痛々しいほどに悪かった顔色を紅潮させてオニキスの顔を睨み付けた。


「シ、シロウ君は私たちに、……わ、私に、必要な人、なんです。お願いします。一緒に居たいんです。彼を、取り上げないでください」


 途切れ途切れながらも何とか言い切ると、少女は大きく頭を下げた。

 オニキスは無言でその後頭部を見つめる。その表情からは何を考えているのか読み取れない。隣でトパーズが苛立ちまぎれに口を挟んだ。


「は? ねえ、ちょっと。何勝手な事言ってんの? 君達みたいなのが、彼の居場所を決めようなんて――」

「待て、トパーズ」

「え、何でさ。悪いのはこの地上人……ちぇ、分かったよ」


 前に進み出ようとしたトパーズをオニキスが腕を掲げて静止する。遮られたトパーズは文句を言いながらも強く反発する気は無いようで大人しく引き下がると、代わりにオニキスが進み出た。


「地上の民よ。我々に護られるだけの惰弱な存在でありながら、随分と無礼な口を叩くものだ。お前が如き野に巣食う矮小なねずみ一匹に、そのような主張をする権利はない。この者の居るべき場所は主が定めし天上なのだ」

「ま、待ってよオニキスさん。俺は――」

「あ、あの、私――」


 冷酷な言葉を浴びせるオニキスに流石にシロウが口を挟みかけ、少女もどうにか言葉を返そうとする。しかし、オニキスの言葉はそこで終わらなかった。


「……しかし。最終的に己の所在を決める権利は、本人以外には無い。クサカ殿。その大いなる力を持って君はどうしたいのか、どうか我々に教えてほしい」

「俺は……」


 オニキスの問い掛ける視線を受けて、シロウは僅かに考えた。

 答えなら、最初から決まっている。本当にそれでいいのか改めて考えてみても変わりはしない。

 やがてシロウは頷くと、スツーカの隣に寄り添って口を開いた。


「俺は、彼女と居たいです。この場所で、新しくできた友達や家族と、一緒に過ごしていきたいんです。大いなる力が俺に眠ってるとか、実はまだよく分かってないけど。でも、スツーカが一緒に居たいって言ってくれるから。俺も彼女とここに居ます」


 言いながら、シロウは少女の手を握った。少女の顔が先ほどとは違う理由で紅潮していく。


「仮に天上で防人と成らずとも、君の力は地上を思うがままに、自分の色へと変えられるだろう。君の価値は計り知れないほどだ。そのように世界を左右するほどの力を授かっておきながら、君はその子ねずみの為に己を捧げるというのか」

「そうですよ。俺は今の生活が気に入ってるんです。だから、世界とか何とか、申し訳ないけど知ったことじゃありません」


 はっきりと告げるシロウの言葉を受けてオニキスは深く息を吐くと、ほんの僅かに微笑んだように見えた。


「……そうか。ならば、これ以上は我々がいくら言葉を費やしたとしても徒労だろう。トパーズ。我らの用は済んだ。帰るぞ」

「ええ、それでいいの!? オニキス!僕はシロウも天上に来るべきだって……」

「トパーズ」

「う……はーい。分かったよ、もう」


 オニキスの絶対零度の視線が突き刺さると、トパーズは渋々と言った様子で従う。シロウを無事に送り届けた以上、これ以上彼らは地上に用は無いようで、速やかに天上に戻るべく身体を浮き上がらせた。


「それじゃあね、シロウ! いつでも『天上の園』まで遊びに来てよね。僕がまた案内してあげるからさ!」

「それでは失礼する。クサカ殿、君の道行きに幸多からん事を祈っている」

「あ。二人ともごめん、ちょっと待って!」


 そうして去ろうとする彼らをシロウは慌てた様子で呼び止めた。不思議そうな表情で二人が引き返してくる。


「どうした、クサカ殿。まさか、先の今で意見を翻したという訳でもあるまい」

「え。シロウ、やっぱり天上に来る気になった!?」

「じゃなくて。さっきも言いかけたんだけど、ちょっと考えてる事があってさ。その事で二人にも相談したくて」


 そう言うと、シロウはくるりとスツーカの方に振り向いた。その顔には笑みが浮かんでいる。


「良ければ、スツーカも……、というか、学園の皆にも手伝ってもらえると嬉しいんだよね」

「え?」


ぽかんと口を開けるスツーカの顔を見て、少年は楽しそうに笑った。

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