第14話 寂しがりやの子ねずみ

 陽が沈み。昇っては、また沈む。

 そうして三日が過ぎても、シロウは戻っては来なかった。



「シロウ君、一体どうしたのかしら……お腹を空かせていないといいけど」


 心配そうに頬に手を当てて、エリスは溜息をこぼした。


「お姉ちゃん……」

「…………」


 食卓に座ったキサラは食器を手に取りつつ、隣に座る姉の顔色をそっと窺う。

 昨夜も、一睡もせずに帰りを待ち続けていたのだろう。元より健康的とは言い難い顔色に目の縁の青黒さが際立ち、自分の姉ながら幽鬼のようだ。


「ねえ。今日は家で休んでいた方が良いんじゃないかしら」

「……ううん。行く。ご馳走様」


 娘を心配する母親の声にも構わず、少女は食事を済ませると席を立つ。

 殆ど手を付けられていない朝食を眺めながら、エリスはもう一つ溜息を増やした。





 ふらふらと、足元も覚束ないまま少女は学園に向かう。

 不安そうに見守る妹の視線にも見向きせず、少女は空を見上げながら歩いた。

 しかし、そこに少女の求める人影は現れない。


 ――もしも、このまま帰ってこなかったら。


 何度も湧き上がってくるその想像を、頭を振って必死に打ち消す。


「……そんなはず、ない」

「お姉ちゃん?」


 微かな呟きを拾って妹が聞き返すが、返事は無かった。




 妹と別れ、がらりと音を立てて教室の扉を開く。


 少女が自分の机に向かう間、ずしりと重苦しい空気が教室を支配した。皆が遠巻きに少女を気にしているが、先日のように周囲を取り囲もうとする者はいない。


「あの……。スツーカさん? その、昨夜もあの方は……」

「…………」

「そ、そう」


 遠慮がちに話しかけてきたマノンの声に、少女は言葉を返さず静かに首を振る。

 少年は未だに帰ってきていない。少女の様子からすると聞かずとも判る事だが、マノンは訊ねずにいられないといった風だった。


「その、ちゃんと寝ているのかしら? 貴女の顔色、酷い事になっているわよ。今からでも保険室で休ませてもらいなさい」

「……ごめんなさい。今日こそ、あの人が戻ってくるかもしれないので……」

「馬鹿な事を言って。そんな顔で出迎えてごらんなさい。彼だって心配するに決まってるでしょう!」


 思わず声を荒げるマノンに対しても、俯いてふるふると首を振る少女は頑なだった。

 睡眠不足で鈍る頭も相まって、他人の忠告を聞き入れるような精神的余裕は今の少女には無い。


「ちょっとマノン。もう良いから行こうよ。どうせこの子聞かないんだから」

「……強情な子ね。とにかく、倒れる前に大人しく寝なさいな」


 取り巻きの少女に腕を引かれ、マノンは振り返りつつも去って行った。

 先ほどの会話が聞こえていたのだろう。今日も少年は姿を見せないままだという事実に、教室のあちこちから生徒達の落胆の声が伝わってくる。


 そうして時計の針は進み。少女はくらくらとする頭を抱えて、講義の時間を過ごす。

 無理して彼女が学園にやって来るのは、ひとえに帰ってくる少年を迎える為だ。彼は遅くなると言っていた。必ず帰ってくるはずだ。少女のもとに。その一心で、少女は辛抱強く待っていた。



 ほんの数日の間、離れ離れになっただけでこれほど打ちのめされている事実に、少女はもしかすると自分はおかしくなってしまったのかもしれないと自嘲する。

 彼と一緒に過ごしている時にあれほど幸せを感じていた心は、今はまるで砂漠の砂のように乾いている。彼と出会う前、つらい、消えてしまいたいと切に願っていたのも今となっては取るに足らない。


 あの日、園内放送が流れて、訪れた男達によって少年が天上に消えていった日。

 それからの彼が居ない生活は、少女に強い喪失感を与えるのに充分だった。


 全てはあの放送が流れてから。あの放送が、少年と少女を引き離したのだ。

 そんな八つ当たりを考えてしまうのは、やはり寝不足のせいだろうか。上手く働かない頭で、少女は取り留めも無くそんな事を考える。



 その時。

 少女の思考を読み取ったかのようにザザ、とノイズが響いた。まるで数日前をなぞるように、園内放送が流れ始める。



「生徒の皆さんに緊急の通達です。まもなく、学園に外部から男性の方が御来訪なされます。先日と同じように皆さんは決して騒がず、ご迷惑をおかけしないように、指示があるまで各自教室で待機してください」



「……ッ!」

「ちょ、ちょっとスツーカさん!?」


 講義中にも関わらず、がたんと勢いよく椅子を倒して立ち上がる。

 慌てたように静止する講師の声を無視して、少女は迷うことなく走りだした。



 無我夢中で、息を切らして廊下を進む。

 元来体格に恵まれない少女は人よりも体力に劣っていた。まして今は体調も最悪と言っていい。ひとたび足を止めたら、すぐにでもその場で倒れ込んでしまう確信があった。それでも必死に足を動かす。


 やがて、少女は正門前に辿り着いた。


 何事かを考えている余裕は無い。其処に少年の姿を視認した時、少女の身体は本能的に動いていた。



「――――シロウさんッッ!!」


 最後の力を振り絞って、少女は一直線に少年の胸に飛び込んだ。

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