第13話 異世界人と『楽園』

 大空を自由に飛ぶ。

 誰もが一度は夢見る奇跡を前に、少年の感動は長続きしなかった。


「ちょ、ちょちょちょ! やばそうなのが、わらわらいるんだけど!?」


 高度1万mに届こうかという遥か上空。魔力で形作られた膜によって気圧や気温の変化から保護されて、悠々と大空の道行きを楽しんでいたはずの少年が慌てて大声を上げる。

 そのすぐ近くを、何時かの日にも目にした記憶のある巨大な翼竜が悠々と通り過ぎて行った。


「ひ、ひぃぃぃい」


 巨大な生物が起こす風圧でバランスが崩れそうになり、シロウは大急ぎで距離を取った。三、四、五……、視界の中に片手で数えきれない翼竜が映る。

 怪しげな二人組に付いてきたら、とんでもない場所に来てしまった。やはり不審者の誘いにほいほい乗るものではなかったのだ。

 少年は今、地上に帰りたい気持ちでいっぱいだった。


「ぷ、くくく、あはははははは!」


 シロウの動揺っぷりを見て、元凶の片割れ金髪の少年が腹を抱えて愉快そうに笑う。


「ちょっと! 笑ってないで説明してくださいよ! 俺たち、なんでこいつらに囲まれてるんですか!?」

「あ、あー、ごめんごめん。今更この子たちに驚くような人、僕の周囲には居ないからさ。ちょっと、くふふ。可笑しくって。ぷふ」

「こっちは食われるかと思ったんですが!?」


 憤慨するシロウの大声に興味を持ったのか、数体の翼竜がゆっくりと迫ってくる。

 まるで、弱った獲物をじわじわと追い詰めるような動作だ。

 怪獣映画でもそうそう見ないような光景に、シロウは恐怖で縮み上がった。


「あわ、あわ、あわわわわ」


 震えるシロウを見かねたのか、様子を眺めていた黒髪の青年が割って入った。


「落ち着くが良い。彼らは決して我々に危害を加えはしない。当然、君にもな」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。この翼竜達は地上と天上を分かつ門を護る、いわば門番として我々が作り出した魔導生物ガーディアンだ」


 魔導生物。

 それは、特定の材料をもとに魔導を極めた人物のみが生み出せる、魔力で動く人造生物である。魂や自我を持たず、創造主によって入力された命令に忠実に行動する。

 その力は制作時に込められた魔力の量で上下し、理論は定かではないが制作する際に命令を達成する強い意思や使命感を合わせて注ぎ込む事で魔力と結び付き、更に力を増すと伝えられている。



「魔導生物? ああ……。なんか、授業で教わったような」

「彼らは、我らの意思を無視して天上に近づこうとする穢れを駆除する為に遥か昔、強い使命感を込めて我々の祖先が放ったものだ。彼らは、聖核を持たぬ者に牙を剥くように指令を受けている。故に、我々に襲いかかる事はない」

「穢れ……? というか聖核って、何の話ですか? 俺、今何も持ってきてないですけど」


 シロウは首を捻る。

 念の為、制服のポケットもまさぐってみるが大した物は入っていない。

 せいぜい、朝にナツキから貰ったカラフルな飴玉の小袋くらいのものだ。


 黒髪の青年はシロウに向けた視線を少し下げると口を開こうとした。

 しかし、時間が差し迫っている事に気付くと小さく首を振る。


「……。いや、細かい事は追々話すとしよう。それよりも、そろそろ時間だ」

「え?」

「目を瞑りたまえ」


 有無を言わせない様子で促す黒髪の青年。

 雲よりも高い大空のど真ん中で、恐ろしい生物に囲まれながら目を閉じるのは結構どころではなく怖い。しかし目の前の青年に逆らった方が後が怖そうなので、シロウは渋々と従った。



 途端。ふわりと身体が反転する感覚。

 一瞬、落ちているのかと錯覚して思わず藻掻く。

 金髪の少年が安心させるように寄り添い、シロウの肩を支える。



 ――そうして、少しの時間が過ぎた。



 いつの間にか、シロウは地に足を付けていた。

 気が付かない間に地上に戻っていたのか。

 周囲からざわざわと、耳馴染みの無い声が聞こえる。

 最近はすっかり聞かなくなった低い声質。男性の声だ。


「目、開けていいよ」


 耳元で囁かれる少年の甘く悪戯げな声に導かれて、ゆっくりと目を開く。



「え……!?」


 其処には、遙かな大地が広がっていた。


 シロウ達が立つのは屋外に築かれた巨大な祭壇の上。周囲は見晴らしが良く、四方が見渡せる。

 視界の先には何処までも続く地平線が伸び、眼下には果てしの無い草原が広がっている。目を凝らせば、草むらを流れるさらさらと軽やかな風に揺られて動物達が穏やかに過ごしているのが確認できた。


 見上げれば空には雲一つ無く、晴天が世界を照らしている。新たな客人の訪れを祝福するように白い鳥たちの行列がばさばさと羽ばたいて、シロウの目の前を飛び去って行った。


 楽園。自然とその単語が思い浮かぶ。


 呆然と周囲を見回すシロウ。

 その様子を確認して、周囲に立ち並んだ数十人もの男性がゆっくりと膝を地に付けて頭を下げた。


「お帰りなさいませ」


 代表して一人が口を開くと、残りの人々も同じように続いた。

 少年が一歩前に出て軽く手を上げて微笑みかける。


「出迎えありがとね。君達はもう戻っていいよ」


 少年の返答に男達はもう一度頭を下げて、ふわりと浮き上がるとそのまま飛び去って行った。

 少年はシロウに振り返る。


「さて。聞きたいことはあるかな?」


 そう訊ねられて、シロウは困った。

 何しろ、聞きたい事だらけだったからである。


「あ、えっと……。聞きたい事は山ほどあるんですけど。まず俺たち、いつの間に地上に降りてたんですか? 此処っていったい……?」


 シロウが聞くと、少年は我が意を得たりといった表情で口角を上げた。

 どうやら、彼はその質問を待ち構えていたようだ。


「それは気になるよね。良いよ、教えてあげる。まず言っておくけど、此処は地上じゃない。――――『天上の園』だよ」

「地上じゃない? って言っても地面、ありますけど」


 祭壇の上を確かめるように恐る恐る踏み出して、シロウは不思議そうに聞き返す。

 少年は反応の良い教え子に指導する教師のように、うんうんと満足気に首を縦に振った。


「それはそうさ。何しろ『天上の園』は空に浮かぶ大地なんだ。君が過ごしていた地上とは異なる位相に存在する……ね」

「え、えっと……?」


 シロウには理解できなかった。

 空に浮かぶ大地と言われても、異世界に迷い込んで以来そんな物は見た事がない。遥か上空とは言っても、せいぜいが元の世界で例えると飛行機の高度だ。もしもそんなのがあったなら地上から丸見えのはずである。


 よく分からないと言いたげなその表情を見て、少年は説明を続けた。


「あー、つまりね。『天上の園』は地上とはちょっとだけ次元の違う世界にあるんだ。そこに存在するけど、目に見えないし触れない。要は通常の手段では決して干渉できないってこと。行き来できるのは、僕らのような力ある天上の民だけさ」


 そう言って、少年は誇らしげに胸を張る。


「んー。分かるような分からんような」

「深く考える必要はないよ。僕らも『天上の園』の成り立ちや世界の仕組みを解説したい訳じゃないんだ。今日君を此処に連れてきたのは、君に選ぶ機会を与えたいからだよ」


 少年はそう言って、シロウの手をぎゅっと掴んだ。


「さあ、行こう! 僕らの世界を案内してあげるよ!」






 そうして少年に連れられて『天上の園』観光ツアーを始めたシロウ。

 最初は困惑しきりだったシロウだが、未知の世界の散策が段々と楽しくなってくると、やがて率先してあちこちを見て回った。


 きらきらと七色に輝く宝石のような砂の海や、立つ場所によって昼と夜が目まぐるしく入れ替わる日渡りの丘。湖の中に作られた不思議な城を訪ねた際に知り合った壮年の男性に振る舞われた黄金の果実は、えも言われぬ芳醇な甘味だ。


 元の世界に居た時には想像もできないような、様々な未知の体験をシロウは楽しんでいく。思えば。異世界に来たはいいが生活に馴染むのに忙しく、こうして様々な場所を見て回るような事はこれまでしてこなかった。地上にも、見るべき場所はきっとたくさんあるのだろう。いつか誰かと見て回るのも良いなと、シロウは心のノートに書き加えた。



そうして気が付けば、日が落ちようとしている。シロウが夢中になっている内に、ずいぶんと時間が経過したようだ。


「あ、やば。遊び過ぎた。そろそろ帰らないとまずい時間だ。ごめんトパーズ。俺もう戻らないと」


 様々な場所を見て回る内に、すっかりと仲良くなった少年――トパーズに申し出る。

 トパーズは頷くと口を開いた。


「そうだね……。せっかく来てもらったけど、あまり遅くまで付き合わせるのは悪いか。じゃあ最後に、付いて来てほしい場所があるんだ」

「え? まだ行ってない場所?」

「今日観て回った場所なんて、ほんの一部だよ。次はまた別の場所を案内してあげるね。これから行くのはオニキスの所さ」


 オニキスというのは、シロウをここまで連れてきた黒髪の青年の名前らしい。

 彼は祭壇の上で見学ツアーに旅立つシロウ達を見送った後、何処かに移動したようだった。


 シロウがトパーズに連れられて上空を飛んでいくと、丘を一つ二つ越えた先にやがて広大な山地が見えてくる。山頂には霧のような薄雲がゆるゆると流れ、青々とした山肌が見るにも美しい。

 その頂に、彼は佇んでいた。


「オニキス! お待たせ~」


 山頂に降り立った少年が声をかけると、オニキスは鋭い視線をぎろりと向けた。


「随分と待たせるな」

「ごめんってば。それより向こうの様子は?」

「予定に変更は無い。そろそろだ」


 二人だけで為される会話の応酬に口を挟む余地も無く、シロウは手持ち無沙汰に空を眺める。今日だけで、随分と空の旅に慣れ親しんだものだ。

 今頃、地上では皆どうしているのだろう。シロウは未だにあまりよく分かっていないが、トパーズによると現在、シロウと地上の少女たちは別の世界に居るらしい。

 そう考えると自分一人が切り離されたようで何となく物寂しい。

 元々違う世界からやってきた異邦人であるはずのシロウだが、知らない間に随分と馴染んでいたようだ。


「シロウ」

「あ、何。どうしたの?」


 ぼうと遠くを見つめていたシロウは、声をかけられて我を取り戻した。

 振り返れば、オニキスとトパーズがこちらを見つめている。


「待たせて悪いね。もうすぐ始まるよ」

「始まるって何が?」

「ま、言葉で説明するより実際に見た方が早いさ。……もう来たからね」


 トパーズがそう言うや否や。

 ズン、と世界が揺れたような感覚がシロウを襲った。


「な、なんだ!?」


 思わず姿勢を崩してふらつく。

 空に浮かんでいるはずの『天上の園』が、ぐらぐらと揺れているような感覚。

 そんな有り得ないはずの事態は、より不可解な現象によって塗り替えられた。


 ――空が、ひび割れている。


 その時。ひびの隙間から、ぬっと巨大な腕が伸びた。

 腕は藻掻くようにして、空に開いた裂け目をどうにか広げようとしているようだ。

 時折、裂け目の奥に本体と思われる巨体がちらちらと見える。

 あまりに異様過ぎる化け物だ。


「ちょ、ちょっと!? 何かとんでもないの出てきてるんだけど!?」


 シロウは巨大な腕を指差して叫ぶ。

 目がおかしくなるようなそのサイズ感は、生物としてのスケールが違う。

 ゲームで言えば、どう見てもラスボス級だ。


「我々が見せたかったのは、あれだ」


 何事も無いようにオニキスが言った。

 その様子は落ち着き払っており、この空の様子がイレギュラーで無い事を物語っている。

 落ち着いてみてみれば、トパーズも隣で平然としている。

 どうやら、二人の態度から判断するにシロウが大騒ぎする必要はないようだ。


「……ん、んん。それで、あれは一体何なの?」


 一人で騒いで恥ずかしくなったシロウは、咳払いを挟んでから訊ねた。


「不明だ」

「え」


 端的な返答に、シロウは困惑する。

 流石に言葉足らずと思ったのか、オニキスは重ねて口を開いた。


「……我々もあれの正体は知らない。遥か古来より存在し、時折ああしてこの世を破壊する。よって『世界を喰らう者』と我々は名付けた。放置しておくと、奴は世界を滅ぼす。天上も地上も諸共にな。故に抵抗せねばならん。我々天上の民とは、奴のような存在から世界を護る為の防人なのだ」

「はぇー……」


 シロウの口から思わず間抜けな声が出る。

 どうやら、見た目もラスボスなら設定もラスボス級という事らしい。

 それは分かったが、しかし。


「えっと、それで。あの、なんで俺はこの場に連れて来られたのかなって……。 そろそろ帰りたいんですけど」


 シロウはおずおずと申し出る。

 ラスボスが暴れだして大変なのは分かったが、残念ながらそんな事を教えてもらってもシロウにはどうしようも無い。

 この前など野良兎相手の戦いを見物して大盛り上がりしていたような一般人だ。

 世界を滅ぼすような相手に出来ることなんて無いのである。

 言葉を飾らずに言えば、場違いなのだ。


 シロウの言葉を受けて、オニキスが向き直った。

 どうやら、ここからが本題らしい。


「類稀なる力を携えて異世界より誘われし者よ。君に力を貸してほしい」

「無理です」


 即答だった。

 当然だ。一般の学生に無茶を言うなという話である。

 口振りからすると、どうやら目の前の青年はシロウの事情を知っているようだが、今はそれを気にしている場合ではない。


 返事を予想していたのか、オニキスは首を静かに振った。


「君には力がある。地上はおろか、この天上の何者よりも強い力がな。それは奴のような怪物に対抗する為に、主が与え給うた贈り物だと私は考えている。君は、誰よりも強い戦士となれる」

「いやいやいや。急にそんな事言われても……」


 困る。

 そもそも、力があろうが別に戦いたくなんてないのだ。

 残念ながら、シロウに英雄願望は無かった。


「第一に。奴を放置すれば、やがて世界が滅ぶ。それは地上も同様だ。……このような言い方は卑怯だが、君の周囲の者も皆死ぬ事になるぞ」

「うっ……」


 続けざまに放たれたオニキスの言葉は、的確にシロウの急所を抉った。

 この世界にやってきて新たに出来た大切な友人や家族。

 彼女たちに危険が及ぶのは許容できない。


「ぐぬぬぬぬ……」


 頭を抱えて苦悩するシロウの耳に、何かが爆発したような轟音がびりびりと響く。

 見上げると、大地から飛び立った幾人もの天上の民達が、『世界を喰らう者』と戦闘を始めていた。


「我々も行くぞ、トパーズ。シロウ殿にはここで我々の戦いを見届けてもらいたい」

「りょーかーい」

「え!? ちょっと、置いていかないでほしいんですけど!」

「心配しなくてもいい。この場所には結界を張ってある。流れ弾くらいなら防げるだろう」

「いや、そういう話じゃなくて、あ、ちょっと!?」


 シロウの懇願も虚しく、二人もまた決戦に参加すべく飛び立っていった。





 突然上空で始まった、世界の存亡を賭けた戦い。

 それに巻き込まれようとしているシロウの心境は一つだった。


「帰りたい……」


 山頂で独り、膝を抱えて座り込みながらシロウはぼやく。 

 今すぐ学園に帰って、教室でみんなに会いたい。

 家に帰って、新しくできた家族の顔が見たい。


 何故、突然バトルファンタジーの世界観に迷い込んでしまったのか。

 ほんの数時間前までは、もっとほのぼのと生活していたというのに。


 見上げると、甚大なる破壊力を有した魔力の帯が空のあちこちで七色に咲き乱れている。事情を考慮しなければ、何と美しい光景だろう。

 写真にでも収めて、スツーカに見せてあげれば喜ぶだろうか。


 狙いの逸れた魔力の波動が上空から降り注いで大地をぐらぐらと揺らし、直撃した山の上半分を消し飛ばした。轟音が響き渡り、大気がビリビリと震動する。

 やがて、力尽きた天上の民達が何人か落ちてきた。生きているのかと遠目に心配していれば、すぐに起き上がって再び戦場に飛び立っていく。



 地上の民曰く、『天上の園』は争いの無い至上の楽園だと云う。

 しかし今、遥か上空で行われる神話のような争いを死んだ魚のような目で眺めながら、シロウはぼそりと呟いた。



「『天上の園』は、地獄だ……」

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