第12話 子ねずみ達の空騒ぎ

 シロウが来訪者に連れられて行った後。

 教室では、取り残された生徒達がいったい何事かと騒めいていた。

 何しろ、男性が重要な用件も無く地上に降りてくるはずが無いのだ。

 とすると、その用件とは。


 最初に二人の見目麗しい男性が現れた時は思わず目を奪われていた少女達も、彼らの目的を耳にしてからは一転してそれどころでは無くなっていた。


「さっきの人達、クサカ君を迎えに来たって言ってたよね……」


 ぽつり、と。

 最前列に座る短髪の少女が誰にともなく呟く。


「セ、セリナ先生! さっきの男性方がおっしゃっていたお迎えとは、どういう意味なのでしょうか! も、もしかして。シロウ君はこのクラスから、いいえ。この学園から去ってしまうのでしょうか?」


 その後方で眼鏡をかけた少女が教壇に向けて声を上げる。

 不安げなその声を聞いてか、生徒達のざわつく声が一回り大きくなった。


「み、皆さん落ち着いて。クサカ君から学園を辞めるようなお話は、先生聞いていません。ですからどうか、落ち着いてください」


 セリナがそう声をかけると、場が一旦静まったかに思えた。

 しかし、少女達の不安は拭えようはずもない。何故なら、一度男性がそうしようと考えたなら、学園側の意向や規則など何の障害にもならないからだ。


「せっかく、クサカ君と一緒に楽しい学園生活が送れると思ったのに……」


 長い金色の髪を頭の両端で結んだ少女が淡い夢を打ち砕かれた落胆に大きく肩を落とす。

 少女達の騒ぎはシロウからすると「何を大袈裟な」と言いたくなるかもしれないが、『男性がわざわざ地上まで迎えに来た』というのは、地上の人々にとってそれほど重大な事実なのである。


『天上の園』は、詳細こそ不明だがこの世の楽園だと地上では伝えられている。きっとシロウも、元々はそこで暮らしていて。そして、何らかの用で地上に降り立った時、不慮の事故か何かで記憶を失ってしまったのだと少女達は考えていた。


 たまたま、楽園での幸せな記憶を失っていたからこそ、少年は束の間地上に留まっていたに過ぎない。それはまるで、傷付いた鳥が翼を休めるように。

 彼らによって、天上の園に導かれた時。その輝き、価値を思い出した時。

 シロウはきっと、彼らに誘われて本来居るべき場所に帰ってしまうに違いない。


 そんな動揺と恐怖は、少女たちの間で瞬く間に浸透していった。



「やだ……やだよぉ……」


 少年の一つ前の席に座る、制服を着崩した少女が彼の机を撫でながら涙をこぼす。

 たまたま席が近かった事もあり、幼馴染と共に同級生達の中でも一際少年と近しく過ごしてきたこれまでの学園生活は、僅かな期間とはいえ、少女にとって何よりもかけがえのない大切な時間となっていた。



「…………」


 そしてそれは、少年の隣の席に座る少女も同様に。

 少年たちが出て行って以来。少女は俯いて一言も発さない。


 まるで、言葉にする事で不安が現実となってしまうのを恐れるように。

 少女は口を頑なに噤んだ。



 ---------



 その頃。

 少し離れた、スツーカの教室では。


「ねえ、ちょっとさっきの。どういう事!?」


 机の周囲に、クラスメイトが集っている。

 かつて、スツーカの周囲にこれほど大勢の人間が集まった事があっただろうか。


「あ、あの……みんな、お、落ち着いて……」


 蚊の鳴くような声で平静を呼びかけるが、興奮する彼女達に届いた様子はない。

 何事か、と問われれば原因は明らかだ。

 先ほど少年がスツーカの教室に顔を出して、帰宅が遅れる旨を伝えてすぐに去って行った。

 おりしも、思わぬ来訪客に学園全体が息を潜めていたタイミングだ。

 当然、何か関係があると考えられる。


 生徒達を代表するように、マノンが体を乗り出した。


「スツーカさん。貴女はシロウ様から何か聞いていないのかしら? ……あの方々が、態々彼をお迎えに来られた理由を」


 マノンはあの方々、と言った所で少し視線を逸らして、何かに耐えるようにしばし窓の外を見つめた。どこか悲しそうで、あるいは悔しそうな横顔。


 あの方々というのは当然、先ほど学園にやってきた二人組の男性だ。

 この教室に居る女生徒のほぼ全員が、シロウ以外に見たこともない生身の男性。

 天上の楽土に住むと言われる、言葉通りの天上人。彼らは地上に住む全ての女性にとって、憧れの存在だ。何時の日か彼らに拝謁する栄誉を目指して、日々努力を続ける夢見る少女が数多くいる。マノンもその一人だ。


 そんな彼らが教室の前を横切る時などは、決して失礼の無いようにと、クラスの皆が声一つ出さずに見送った。


 しかし、その片割れである金髪の少年は先ほどこの教室を覗き込んでいた際に、ひときわ熱心に視線を向けていたマノンと目が合い。

 うげ、とでも言いたげな嫌悪感たっぷりの表情を浮かべたのである。まるで汚い物でも目にしたかのように。


 憧れの対象から一方的に拒絶されるのは、とてもつらい事だ。

 彼女の受けた精神的苦痛は想像して余りある。


 思えば、スツーカは幸運なのだろう。異世界からやってきたばかりの彼と初めて出会った時、スツーカを見つめるその瞳に蔑視の色など決して浮かんではいなかった。


 少女は幸せだった。

 あの少年はいつも楽しそうで、優しくて。暖かかったから。


 もしも立場が逆なら、スツーカはきっとマノンのように平静を保つ事は出来なかっただろう。


 けれど。

 彼女には同情するが、残念ながらスツーカは質問に対する答えを持ち合わせていなかった。


「……わ、分かりません。私も、な、何も聞いていなかったので」

「そう……」


 消沈した様子で答えるとマノンは静かに窓の側に近寄る。

 傷心の彼女に明確な答えを返せないのを申し訳なく思うが、今その答えを誰よりも知りたがっているのは、スツーカ自身なのだ。


 天上人がシロウを連れて行った理由。

 皆が口々に「天上へと連れ帰ったのだ」と噂している。


 そんなはずはない。何故なら彼は天上人ではなく、異世界人なのだから。

 いくら性別が同じだからといって、彼が天上の園に迎え入れられるかどうかはまた別の話、のはずだ。

 スツーカは自分にそう言い聞かせる。


 それに、彼は言った。「今日は家に帰るのが遅くなるかも」と。

 という事はつまり、待っていればそのうち帰ってくるという事に他ならない。


 きっと大した用事ではない。きっと彼は、明日以降も地上で生活を続けるのだろう。そうしてスツーカの隣にずっと居てくれるはずだ。

 何も心配する事は無い。彼と離れ離れになる事なんて、有り得ない。

 少女は祈るような気持ちで少年を想う。



「……あっ」


 その時。窓の外を何気なく眺めていたマノンが、不意に声を上げた。

 一体、どうしたというのだろう。


 マノンの視線を追いかけて窓の外に視線を動かすと、その先で大空に浮かぶ三人の人影を捉えた。

 学園からそれなりに距離は離れているが、少女は数週間ずっと見てきたのだ。見間違えるはずもない。


「……シロウさん?」


 少女はがたり、と音を上げて席を立ち窓の近くに駆け寄る。

 日頃は極力目立たないように行動する少女だったが、この時ばかりは平静では居られなかった。


 そして、スツーカが見上げる中。

 先を行く人影に導かれてシロウは見る間にぐんぐんと上昇すると、やがて天上に吸い込まれていった。

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