第47話 異世界人と明るい食卓

「はあ……ようやく夏休み前の試験が終わった……」


 シロウは家に戻るとリビングのソファに倒れ込んだ。

 ここ最近の試験勉強からようやく解放されて、清々しい心地と言いたいところだが、今はただ疲れた頭をゆっくりと休めたかった。


「お、お疲れ様。シロウさん」

「スツーカもね。まったく、なんで異世界に来てまで試験勉強しなくちゃいけないんだか……」


 はぁ~~、と天井に深く溜息を吐いて、シロウはソファの上で脱力した。

 家主であるエリスのこだわりによって選び抜かれた上質なソファの弾力が、疲れた身体を優しく支えてくれる。


「シロウさんが元居た世界にも、やっぱり試験とかあったんですか?」

「そりゃあね。学期毎に中間とか期末テストがあるし、他にも全国模試に受験に……。まあ、この世界と大して変わんないかな」

「や、やっぱりどの世界も世知辛いんですね……」

「まったく」


 隣に座るスツーカと二人で、しばしの間ゆったりと過ごす。

 最近は勉強に追われてあまりこうした時間が取れなかったが、時には何もせずにのんびりと過ごす時間も必要だ。


「……あ。そういえばナツキが、試験も終わった事だし今度みんなで遊ぼうってさ」


 シロウは試験が終わってのびのびとしているナツキの顔を思い出す。


「ナ、ナツキさんというと、こないだの明るくて派手な見た目の人……ですよね」

「そうそう。スツーカはこないだの勉強会で始めて会ったんだよね?」


 ナツキとスツーカは同じ学園に通う生徒とは言えど教室が違うので、これまでに顔を合わせた事が無くても不思議はない。


「は、はい。……私、知り合いが少ないので」


 スツーカは申し訳なさそうに目を逸らす。


「まあまあ。これからだって。それより、良かったらスツーカも一緒にどう?」

「い、行きます。シロウさんと一緒なら、あんまり話した事のない人でも怖くないですから……そんなには」

「あはは。ナツキは見た目ちょっとギャル系なだけで、全然怖くないから。安心していいよ」

「は、はい」


 少しずつ人間関係を広げるよう努力しているスツーカだが、まだまだ教室のカースト上位に位置していそうな相手は荷が重いようだ。

 思えばこないだの勉強会でも、彼女はナツキの陽の気にあてられて縮こまっていたような気がする。


(明るさというか、騒がしさでいえばフィーナの方がよっぽどなんだけどな……)


 お互いに小動物みたいな二人だし、気が合うのかもしれない。

 そんな失礼な事を考えながらだらりと過ごしていると、やがて玄関から扉の開く音がして、明るい声が家の中に響いた。


「ただいまー! あ、お兄ちゃんとお姉ちゃん。二人で何やってるの?」

「おかえり、キサラ。それが、何もやってないんだなこれが」

「えー? 何それ」


 けらけらと笑いながら荷物を下ろしたキサラが、シロウを挟んでスツーカの反対側に座る。


「ふいー、それにしても最近暑くなってきたよね。もう夏も間近って感じ」

「だなあ。キサラは夏休みどうやって過ごすんだ?」

「あたしは夏休みも修行するよ! なんたって、立派な狩人になるって大事な目標があるからね!」


 キサラは目を輝かせて腕を振り上げた。

 彼女はご近所の狩人を師と仰ぎ、日々技術を学ばせてもらっている。


「キサラは凄いよな。俺たちより年下なのに、既に将来の夢に向かって努力してるなんてさ。俺も見習わないと」

「えー? そうかな。あたしはやりたい事をやってるだけなんだけど……。でもいいや。もっと褒めて、お兄ちゃん!」

「おお、えらいえらい。キサラはえらいなぁ」

「えへへ」


 シロウが頭を撫でると、キサラは目を細めて満足げに笑った。


「本当にえらいよ。暑い中修行なんてしてたら汗かくだろうになあ」

「……あたし、汗臭い?」

「ん? いや、別に気にならないけど」

「…………ちょっと、汗流してくる! お兄ちゃん、また後でね!」


 キサラは猫のような素早い身のこなしでシロウから離れると、瞬く間にその場から姿を消した。一瞬の出来事に、引っ込める間もなかったシロウの手が所在無さげに宙をさまよう。


「修行の成果が出てるな……」

「で、ですね」


 シロウとスツーカは互いに顔を見合わせると、茫然と呟くのだった。




「ご馳走様でした」

「ごちそうさまでしたー。お腹いっぱーい」

「ご、ごちそうさま」


 綺麗に食べ尽くされた晩御飯の食器を回収しながら、エリスが微笑んだ。


「うふふ、お粗末様でした。シロウ君が来てから、お料理の作り甲斐があって嬉しいわ」

「エリスさんの料理、美味しいですから。食べすぎちゃって何だかすみません」

「まあ。そんなの、ちっとも気にしなくていいのよ。いっぱい食べてくれるのを期待してたくさん作ってるんだから」


 エリスはその言葉通り、嬉しそうに笑う。


「ほんとほんと。お兄ちゃんが来てからお母さん毎日張り切ってるもんね」

「いつも美味しいものを食べさせてもらえて、大感謝です」


 シロウは感謝の気持ちを込めて頭を下げた。

 家に住まわせてくれているばかりでなく、こうして毎日の食事にまでも心を配ってくれて、本当に感謝しかない。

 シロウの言葉に、エリスはふるふると首を振る。


「ううん。感謝したいのはこっちの方。だって、シロウ君が家に居てくれるだけで毎日の生活に潤いがあるもの。それに、この子達もとっても楽しそうにしてる。それはきっと、シロウ君のおかげだもの」

「お、お母さん……」


 エリスがスツーカの顔を温かい眼差しで見つめた。

 きっと、シロウがやってくる前の彼女の境遇に、何か思うところがあったのだろう。

 今はすっかりと安心したような顔を見せている。


「そうそう。お兄ちゃんがいてくれるから、クラスでもたくさん自慢できるんだよ」

「何を言われてるか怖いんだけど……」

「えー? 本当の事しか言ってないよ? お兄ちゃんは妹が大大大好きで、あたしがどれだけ甘えても受け入れてくれるんだよって」

「別に間違ってないけど、なんか語弊がある気がする……」


 微妙な顔を浮かべるシロウを、キサラは軽く笑い飛ばした。


「にひひ、まあいいじゃん。……あ、それよりさ。お兄ちゃんって、次はいつギルドに顔出す予定?」

「え? ……まあ、試験も終わったし。夏に向けて、何か俺でも出来る依頼を探そうかと思ってたところだけど」


 ギルドとは、冒険者たちがクエストを求めて集う施設だ。

 シロウも以前に冒険者として登録して以来、たまに顔を出しては簡単な依頼をこなして小遣い稼ぎをしていたりする。


「あのね。実は、師匠がお兄ちゃんに会ってみたいって言いだして」

「師匠って、キサラに狩人の技術を教えてる人?」

「うん、そう。近所のお姉さんなんだけど、とっても格好いい人なんだよ!」

「へえ」


 キサラの師匠については前から話には聞いていたが、実際に会った事はない。

 近所に住んでいるとはいっても、どうやら彼女はあまり自宅に寄り付かない生活をしているらしく、今日まで偶然に遭遇する事も無かった。


「ねえ、お願いお兄ちゃん! 師匠、あたしがお兄ちゃんを独占してるって拗ねちゃって。このままだとあたしの夢が遠のいちゃうの!」

「キサラの師匠か……興味はあるけど……ってちょっと、おい、揺らすなって」

「お~ね~が~い~」


 思い切り肩を揺さぶられて、シロウの頭が前後にがくがくと振れる。

 小柄とはいえ体育系のキサラは思いのほか力が強く、シロウの三半規管が悲鳴を上げる。


「わ、わかった。わかったから! 食べた後に揺さぶるのは止めろっての! リバースするから! ヤバイから!」

「あ、ごめんねお兄ちゃん」


 シロウの悲鳴を聞いて、キサラはパッと手を放した。


「はあ、はあ……酷い目に遭った……。

 そ、それで? 俺はいつギルドに行けばいいの?」

「うーん、そうだなあ。今度の休日なら師匠も王都に帰ってきてると思うんだけど。

 どうかな?」

「了解。じゃあ、次の休日に顔出してみるよ」

「ほんと!?」


 シロウがそういうと、キサラは喜色満面で抱き着いた。


「わーい、やったー! やっぱりお兄ちゃんは妹が大好きだよね~!

 あたしのお願いなら、なんでも聞いてくれるんだもん!」

「だから語弊があるような……まあ、いいか」


 わざわざ否定する事もないか、とシロウは溜息を一つこぼしてから受け入れた。


「も、もう。キサラは甘えん坊なんだから」

「あら、たまにはスツーカもあんな風にシロウ君に甘えてみたら?

 ママの見立てでは、きっと喜んでもらえると思うわよ」

「お、お母さん!」


顔を赤らめたスツーカが思わずシロウから目を逸らす。

どうやらまだ、彼女の方から甘えるには心の準備が足りていないらしい。


「ふふ、やっぱり二人とも楽しそうで、ママも嬉しいわ」


頬に手を当ててエリスが笑う。

こうして、今日も平和に一日が過ぎるのだった。

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