第46話 学生の本分はお勉強
ぽたり、ぽたり。
深く暗い地下の奥底に、秘宝は眠っている。
身が腐り落ちて異臭を放つ屍の竜が守る黄金の財宝は、その輝きに相応しい所有者を静かな地の底で待ち望むだろう。
宝を最初に手にするのは何者か。
それは冒険者の間で古来より語られる伝説。
時に御伽噺とも揶揄される、その古い伝承を信じて探し続けた者が唯一人、地の底の舞台へと足を踏み入れた。
「……ふふ。ようやく見つけた。あれが『秘宝』……となると、あの山みたいなのが宝の番人ってこと、かな」
見上げても全体を掴み切れないほど悠々たる躯の巨体。
その全身から立ち上る禍々しい死の気配に、女性の足が思わず竦む。
この場所に到るまでの道程も決して楽では無かったが、眼前の試練と比べれば取るに足らないものだったと言わざるを得ない。
「まあ、秘宝を求めるからには当然、覚悟もしてたけどね」
段々と濃くなっていく瘴気を切り裂くように、女性は手にした武器を一閃する。
相手が身動ぎしないことを確認すると、彼女は目を閉じてゆっくりと呼吸した。
強敵を前に、精神統一は欠かせない。目的を間近にしてこそ、平常心を忘れてはならないのだ。
「……もうすぐだから。待っててね、———」
誰にともなくぼそりと宙に呟くと、彼女は鋭く地を蹴って巨山に躍りかかった。
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「シロウ様、シロウ様。 そろそろ起きて下さいまし」
「——んぁ?」
ゆさゆさと背中を揺さぶる小さな手の感触に、シロウは夢の淵から強制的に引き起こされた。
今まで覆いかぶさっていたテーブルの端には盛大に涎がこぼれている。
寝ぼけた頭では判然としないが、どうやら居眠りをしていたようだ。
何やら夢を見ていたような気がするが、思い出せそうにもない。
「……あ、ああ。フィーナ。おはよう」
「はい、おはようございます。……ではありません! せっかくこうして集まったというのに、肝心のシロウ様が寝ていては、わたくしちっとも面白くありませんわ!」
「集まるって……?」
顔を上げると、見慣れた自分の部屋が視界に入った。窓の外はすっかりオレンジ色の夕焼けに染まっている。
そのままシロウがきょろきょろと周りを見回すと、ノートや教本類の散らばったテーブルを囲む友人達の視線が、自分に集中している事に気が付いた。各々が異なる表情を浮かべてシロウを見つめている。
「シーたん。おはよ~。よく眠れた?」
ニヤニヤと愉快そうな顔で声をかけてきたのはナツキだ。
彼女は机に頬杖をついてシロウの顔を覗き込んでいる。
「……おはよう、ナツキ。なんでそんなに楽しそうなの?」
「それはね、シーたんが涎垂らしてぐーすか寝てる貴重な光景を堪能してたからかな。いやー、寝顔のシーたん子供っぽくて可愛かったなぁ」
「こら、ナっちゃん。クサカ君をからかっちゃ駄目だよ」
「はーい。怒られちった」
「クサカ君、大丈夫? もしかして、疲れてるとか?」
「あ、うん。大丈夫」
からかい口調でシロウを弄ぶナツキに注意を飛ばしたコペが、一転して心配そうにシロウを気遣う。何故、彼女達がここに居るのだろうか。
「シ、シロウさんは、勉強会の最中に寝落ちしちゃったんです。覚えてますか?」
「あ、そっか。そういやそうだった」
寝ぼけ頭のシロウは、気を回したスツーカの説明でようやく現状を理解した。
頭を使う作業は苦手なシロウとフィーナが、勉強の得意なクラスメイトに試験の対策を教えてもらおうと勉強会を開いたのだ。
「試験前だから勉強を教えてほしいって、シーたんが頼んできたんだからね? なのにアタシらをほっぽって寝ちゃうなんてさぁ」
「う。ご、ごめん」
意外にも普段から試験の点数は要領良く上位をキープしているナツキが、不満を口にした。本日の教師役として、シロウは彼女とコペの幼馴染コンビを家に呼んだのだ。
シロウは謝罪の言葉を口にするが、ナツキは納得していない様子だった。
「だーめ。許してほしかったら、今度アタシらとも一緒にお出かけしてくれないと」「え?」
「ちょ、ちょっとナっちゃん?」
「ほら、こないだだってフィーナと休日に遊んでたんでしょ? この子だけ特別なんて、ちょおっとズルいんじゃないかな~」
ナツキはフィーナをビシリと指さして言った。
「あ、いや。この間のは遊びというか、ちょっと用事があって……」
「まあ! わたくしは特別ですの? それってなんだか良い響きですわ~!」
弁解しようとするシロウを尻目に、フィーナは両手を合わせて嬉しそうに笑う。
「フィーナはちょっと黙ってて。じゃあ、その前は? スツーカちゃんと三人で、仲良くお買い物デートしてたってタレコミが入ってるんですけど~?」
「うっ」
彼女の追及に思わずシロウは言葉を詰まらせた。
あの日は随分と注目を集めていた自覚があるので、ナツキの知り合いに見られていても不思議ではない。
どうやらナツキはあの時に誘われなかったのが不満のようだ。
「わ、分かったよ。試験終わったらどっか遊びに行こうか」
「え? マジで!? やったー! シーたん大好き!ちゅっちゅー」
「おわっ、よせ。迫ってくるなって!」
抱き着こうと迫ってくるナツキの肩を押し返すと、あっさりと引き下がったナツキはこれ見よがしに溜息をついた。
「は~あ。ちぇー。やっぱりフィーナは特別かあ」
「ええ、勿論! わたくしとシロウ様は特別! ですわぁ~~!」
「い、いや。そんなんじゃないって」
「はいはい、慌てなくていいからさ。コペ、アタシら周回遅れだよ~。頑張って挽回しないと~」
ナツキは嘆く振りをして隣のコペに抱き着く。
今日の彼女は普段より妙に絡み癖が強いような気がして、シロウは内心で小首を傾げた。
「もう、ナっちゃんってば」
呆れたような声を上げつつも、コペはその頭を優しく撫でた。
彼女達はとても仲が良い。幼馴染の間柄だと聞いているが、元の世界でそのように仲の良い友達というものが居なかったシロウとしては、若干羨ましく感じるほどだ。
「み、皆さん。お勉強の手が止まっているようですけど、大丈夫……ですか?」
「あ、そうだ。余計な話してる場合じゃない。せっかくこうして集まったんだから、勉強しないと」
「ん、じゃあ続きから。シーたんは寝てたんだから、もっぺん頭からやり直しね」
「うへぇ……」
おそるおそる口を挟んだスツーカの言葉で、少年少女は再び勉強会へと意識を戻す。
そうして時折脱線しながらも、彼らは真面目に試験勉強に勤しんだ。
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帰り道。
そろそろ日が沈もうとする時間帯。
ナツキとコペが、人通りの少ない小道を歩いていた。
「……ねえねえ、見てた?
シーたん、アタシが迫った時ちょっと赤くなってたよね? ね?」
「うん、見てたよ。……今日は、ナっちゃんにしては頑張ってたね」
コペが返すと、ナツキは恥ずかしそうに頬を染めた。
「いや。だ、だってさ。フィーナだけ羨ましいっていうか、そのぉ……」
ナツキはもじもじと言いにくそうに指を突き合わせた。
常日頃の彼女とはどこか違う様子を幼馴染のコペだけは知っている。
二人きりの時、彼女は意外と純心なのだ。
「ふふ。ナっちゃんもしたいんだ? キス」
「も、もう! はっきり言われるとアタシがはしたない娘みたいじゃん!」
「あはは、ごめんね。新鮮で、ついからかっちゃった」
頬を赤くして抗議するナツキを受け流しながら、コペは楽しそうに笑った。
「……別にいーし。今度、シーたんと遊びに行く時コペは混ぜてあげないから」
「あー。ごめんってば。謝るから許して?」
「……ふふ。ま。今日は機嫌がいいかんね。特別に許したげる」
嬉しそうな表情で浮かれて歩く親友の背を見ながら、コペは少し足を緩めた。
彼女の目から見てもフィーナは近頃、急激にシロウと親密になったように見える。ナツキにしても、その様子に触発されたのか徐々に彼への態度を変えつつある。
彼女達は日々、少しでもシロウとの距離を詰めようと積極的にアピールしている。
コペの頭の中に先ほどの言葉がリフレインした。
「周回遅れ、かあ……」
「コペ、どしたん? お腹でも痛いん?」
「あ、ううん。何でもないよ」
そうして、夕暮れの中を二人は歩いていった。
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