閑話 異世界人と女性たちの日常 その2

エリュシア魔導学園に通う学生たちは、大別して二つに分類される。

すなわち、クサカ・シロウと同じ時を過ごせる一部の勝ち組と、それ以外の大多数で構成される負け組である。


彼女——リリザは今年で三学年目。そろそろ、卒業後の進路が頭をよぎる時期に差し掛かっていた。


「はあ……」

「何、リリザ。アンニュイな溜息ついちゃって。お財布でも落とした?」

「違うっての。……私はなんで後二年遅く生まれなかったのかなって思ってさ」

「ああ、なぁんだ。またその話か」


リリザは呆れるような表情で肩を竦める友人を恨みがましく睨みつけた。


「なんだとは何よ。私らの学年は大体みんな同じ事考えてるでしょ」

「まあ、そうだけど。でも、ウチらだって一年だけでも同じ学園で過ごせるんだよ? それだけでも十分恵まれてるっしょ」

「それはそうなんだけどさあ……」


リリザは口を尖らせて愚痴を漏らした。

「理不尽だ」と感じる気持ちは抑えられない。今年の一年生は、これから三年間も夢のような時間を過ごせるのだ。二年生だって、自分たちに比べれば一年多く充実した学園生活を楽しむことができるだろう。それに比べて、三年生はどうだろうか。


「彼とお近づきになろうにも、教室は一番離れてるし。年齢だって、彼から見たら私らなんておばさんと言っても過言ないじゃん?」

「いや明らかに過言だろ。二つしか離れてないっつの」

「はあ……人生はなんでこんなに辛いんだろう。こんなに苦しいのなら、私は花に生まれたかった」

「重症だな、おい」


リリザが不貞腐れていると、後ろから別の友人が割り込んでくる。


「でもさ、例の噂があるじゃん?」


彼女はリリザの顔を覗き込んで言った。


「噂?」

「ほら、彼は年上好きだって話。噂によるとあれ、ガチらしいよ」

「ええ、本当に? あ、でもここ最近はもう一人の転入生とイチャついてるって聞いたけど」


リリザの聞いた話では、その転入生は同年代と比べても一回り小柄で、どちらかというと妹系らしい。もしもそれが本当なら、彼が年上好きという話も信ぴょう性が疑わしくなってくる。


「ああ、それね。なんでも、気軽にちゅーできるような間柄らしいよ」


真剣な目で語る友人の言葉に、リリザは唖然とした。


「は? それは流石に嘘じゃん。いくらシロウ君が女にも優しい男の子だからって、流石にそこまでされたらキレるっしょ」

「いや、それがまんざら嘘じゃないんだって。後輩に見たって子いっぱいいるよ」

「有り得ないって。噂が全部ホントなら彼は年上好きで、親しい相手にはキスもオッケーってこと? いくら何でも都合良すぎだわ」


リリザは呆れたように頭を振った。いくら何でも、そのような事が有り得るはずがない。そんな女子にとって都合の良い男は、創作物の中にしか存在しないのだ。


「……ワンチャンあるんじゃね?」

「は?」

「いや、だってさ。ウチら彼より年上だし。どうにか仲良くなってガチでお願いすれば、一回くらいさせてもらえるんじゃね?」

「なっ、ば、お前。……マジで言ってる?」

「……あくまで、可能性の話だけど」


リリザは一瞬言葉を失ったが、その可能性が脳裏で静かに膨らんでいった。

果たして、そんなチャンスが本当にあるのだろうか?


「…………」

「……あれ? ちょ、ちょっとリリザ。ほんの冗談だからね? 本気にすんなよ?

……なあ、聞いてる?」


次の講義が始まるまで、彼女の心の中で葛藤が続くのだった。




時は過ぎて、昼休み。

リリザは購買にやってきていた。


「おばちゃーん。まだパン残ってる?」

「ああ、ちょっと待ちな。ええと……、これが最後の一つだね」

「お、ラッキー。じゃあ、それ下さい」

「あいよ……あら、シロウ君!」


購買のおばちゃんの弾んだ声に反応してリリザが振り返ると、そこには彼女が一方的によく見知っている少年が立っていた。当然、シロウである。


「こんにちは。パン買いにきたんですけど、売り切れちゃった感じですか?」

「ああ、ごめんねえ。うちのパンはいつもすぐ無くなっちゃうのよ。シロウ君が来ると分かってたら事前に取り置いておいたんだけどねえ」

「ああ、いえ。気にしないでください。たまには購買を覗いてみようかなと思っただけなんで」

「そうかい。すまないね」


あっさりと引き下がったシロウは、一緒にやってきたクラスメイトの元に戻った。


「やっぱ遅かったみたい。もうパン売り切れだってさ」

「あら、そうなんですのね。ならやっぱり、わたくしのお昼を分けてさしあげますわ。ご一緒にいただきましょう? うちのメイド長はお料理の腕も一流ですから、きっとシロウ様もご満足いただけますわ!」

「ありがたいけど、フィーナの弁当は毎回豪華すぎて気後れするんだよ……。第一、フィーナは小食だから分けるほど量が無いだろ?」

「むぅ、シロウ様が物足りないのはいただけませんわね……」

「ま、せっかく作ってもらった弁当を家に忘れた俺が悪いんだし。一食くらい抜いても死にはしないって」


何となしに会話を聞いていたリリザは自分の手に握られたパンを見下ろした。

もしかすると、これは天がリリザに与えた好機ではなかろうか。


「あ、あのさ……君、ちょっといい?」

「俺っすか?」


なけなしの勇気を奮い立たせてリリザがおそるおそる少年に声をかける。

いきなり上級生に話しかけられたシロウは、少し面食らった様子で振り向いた。


「う、うん。君。……そ、その。良かったら、これ……」

「え?」


いきなり買ったばかりのパンを目の前に突き出されたシロウは、困惑した様子でリリザとパンを交互に見る。もしかして、突然過ぎて不審者だと思われただろうか。

リリザの心臓は、爆発寸前とばかりにどくんどくんと激しく脈打っていた。


「あ、あの! 私、買ったはいいけどもう食べる時間なくて! その、君が食べてくれたらありがたいな、って……」


段々と言葉尻が小さくなっていく。

よく考えてみたら、彼だって知らない相手からいきなり食べ物を渡されても困るだろう。何故いきなり声をかけてしまったのか。リリザの勇み足としか言いようがない。

せっかく勇気を出したのに、受け取ってもらえないなんて。情けなくて涙が出そうになる。


後悔と羞恥で逃げ出したい気持ちをぐっと堪えて、リリザがパンを差し出したまま硬直していると、しばし戸惑っていたシロウは気を取り直して嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「貰ってもいいんですか? わあ、ありがとうございます! 先輩!」

「あ……」


制服を見て判断したのだろう。シロウが礼を言うと、リリザは一瞬で幸福の絶頂に誘われた。


「せ、『先輩』……。ふ、ふふふ。ま、まあ? 後輩がお腹空かせてるのを見るのも忍びないしね? 先輩として下級生の面倒を見るのは当然だし。 あ、いや。別に下心とかあるわけじゃなくて、私は単に純粋な親切心を発揮しただけと言いますか……」

「アンタ。もうシロウ君行っちゃったわよ」

「……へ?」


購買のおばちゃんの呆れたような言葉でリリザは我に返った。

もうシロウ達の姿は無い。時間も無いのでさっさと食事を済ませに戻ったのだろう。


「ああ……せっかくのお喋りするチャンスが……。ま、まあいいわ。彼に親切な先輩っぷりをアピールできたし。この調子で少しずつ仲良くなって、いずれは……、ぐふ。ぐふふふふ」


リリザは浮足立って歩きだした。

せっかく買った昼ご飯を献上した形になったが、リリザに悔いは無い。

全ては野望の為に。明るい未来を信じて、彼女は一歩ずつ前進するのだった。




「……あ。そういや、さっきはいきなりでよく顔見てなかった。フィーナは分かる?」

「わたくし、シロウ様の凛々しい横顔に夢中でしたわ!」

「つまり見てない、と。今度改めてお礼を言いたかったけど……ま、仕方ないか。ありがとう、知らない先輩。うん、パン美味い」


シロウは顔も知らない上級生に心の中で感謝すると、貰ったパンに食らいついた。

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