第51話 異世界人は出会いを果たす

 王都の中心に位置するギルド本部には、連日の暑さにも関わらず多数の冒険者たちが仕事を求めて集まっている。

 シロウ達もまた、夏休みを利用してギルドにやってきていた。


「それで? なんで遊びに行こうって話がいつの間にかギルドに行く話にすり替わってるの?」


 ナツキは不満げに頬を膨らませて、シロウに詰め寄った。


「え?」

「え? じゃないよ! あたしはどっか楽しいとこ行ってはしゃぎたいと思ってたの!冒険者ギルドのお仕事なんてメンドーな話聞いてないんだけど!」


 ここまで黙ってシロウの後ろを付いてきたナツキが、ついに堪えきれずに文句を言いだした。


「わたくしも、本日は皆様で楽しく遊ぶのだと聞いておりましたわ」

「ねえ、やっぱり今からでも海とか行かない? 皆で水着買ってさぁ」

「まあまあ、落ち着けって」


 今まで冒険者ギルドなど足を踏み入れたこともないナツキは、不満をたらたらとこぼしていた。シロウもまた、今日はどこかレジャー施設にでも行くつもりだったのだが。


「ちっちっち。ナツキ先輩、フィーナ先輩も。分かってませんね」


 キサラが人差し指を左右に振りながら、不敵な笑みを浮かべて言った。


「キサラ?」


 シロウの側でギルドを珍しそうに眺めていたスツーカが、妹の言葉に首を傾げる。


「え~。キサラちゃん、それってどういうこと?」


 ナツキはキサラの意図を測りかねて問い返した。


「この時期、暑さで海辺に人が増えてくる季節です。となると、必然的にその付近での依頼が増えるんですよ」


 キサラは自信たっぷりに説明する。

 ナツキ達と遊びに行く計画を立てたとき、まず手始めにギルドに行く事を勧めたのはキサラだった。彼女は狩人としての訓練時と同じく、師匠のお手製という独特な装束を身にまとっている。


「ふぅん、つまり?」

「せっかく遊ぶんなら、ついでに皆でお仕事を受けて一稼ぎしてからでも、遅くないってことです!」

「お、おおー!」


 キサラは胸を張って答えると、ナツキは一転して目を輝かせた。


「そっかあ、なるほどね! キサラちゃん、頭良い~♪」


 キサラの言葉にあっさりと納得したのか、先ほどまで不満を垂れ流していたはずのナツキの機嫌が急激に回復した。


「現金だなあ……」

「シーたん、なに言ってんの。夏は色々と入用なんだよ? 稼げる機会があるなら稼ぐ! これ鉄則!」

「まあ、それもそうだな」


 学園生活の合間にバイトをいくつも掛け持ちしているナツキが声高に宣言する。

 シロウとしても、そういう話なら異論はない。ナツキの言う通り、せっかくの長期休暇を快適に過ごす為にも何かと先立つ物が必要なのだ。


「クサカ君は、よくギルドに来るの?」

「いや、何か欲しい物がある時くらいかな。それも野草の採取とか、簡単な依頼を回してもらってるだけだし。コペ達と大して変わらないよ」

「シーたんなら、その辺歩いてる女の人に声かけるだけでいくらでも稼げるんじゃね?」

「それで本当に稼げそうだから怖いんだよ……」


 けらけらと笑うナツキ。しかし、この世界ではあながち冗談ではないから恐ろしい。


「でも、本当に都合の良い依頼があるのかな。俺たちだけですぐにこなせる仕事だと大した報酬にはならないんじゃないか?」

「まあ、それはそうかもしれないけど。とにかく一回確認してみようよ。いいでしょ?」


 キサラの言葉に従って、シロウ達はとにかくギルドに入る事にした。







「え!? 海辺のお仕事、残ってないんですか!?」


 キサラが驚愕してカウンター越しの受付嬢に詰め寄る。


「ごめんね、キサラちゃん。何しろ、最近暑いでしょ? もう皆、海の近くの依頼書が避暑地行きの旅行チケットにしか見えなくなっちゃってるみたいなのよねぇ……。おかげで、それ以外の依頼をこなしてくれる人が全然いなくて困っちゃうわ」


 困ったような口調の受付嬢が、頬に手を当てて深々と溜息をこぼす。

 代わりと言って彼女がどさりと持ち出したのは、森林のキノコ採取だの山奥の村まで物資を届けるだの、あまり夏場には受けたくない依頼ばかりだった。


「あー。あたし、虫嫌いだからパスね」

「わ、私も遠慮しておこうかな……」


 案の定、ナツキとコペが早々に及び腰となる。

 シロウだって出来れば受けたくはない。やはり仕事は諦めて、素直に何処かへ遊びに行った方がいいのではないか。


「う、うーん……困ったなあ。何か、涼しい場所での依頼って残ってないんですか?」

「ええと、そうねえ……。海辺以外となると、洞窟とか地下かしら……。でも、そういう場所ってどうしても魔物の危険性が……万が一にも男の子を危ない目に遭わせるわけには……」


 受付嬢はブツブツと考え込みながら依頼書を漁る。

 こうしてシロウの身を案じてくれるのは大変ありがたいが、名指しで気遣われると、それはそれで男の沽券に関わるような気がして、どうにも面白くない。

 やはり、異性からは頼れる男性だと見られたいのが男心である。


「ごめんなさい。やっぱり、これといった依頼は無いわね。また時期を見てから来てくれるかしら? シーズンの終わり際なら少しは空くと思うし」

「ええ!? そんなぁ~。せっかく張り切って準備したのにぃ」


 受付嬢の言葉にキサラががっくりと肩を落とす。

 彼女はシロウ達と依頼をこなすのをよほど楽しみにしていたようだ。

 以前より成長した自分の姿を見せたかったのだろうか。


「まぁまぁ。また次があるって」

「お兄ちゃん……」


 落ち込む妹分の頭を撫でて慰める。


「でも、せっかくここまで来たんだしさ。どうせならちょっとは稼いでいきたくない?」

「ナっちゃん? 遊ぶのはもういいの?」

「コペだって、こないだ本の買いすぎでお小遣い足りなくなりそうって言ってたじゃん」

「うっ……。だ、だって。夏休みで読む時間はたっぷりあるからと思って……」


 ナツキの指摘にコペが顔を赤らめる。

 ふとシロウはこちらの世界では殆ど読書をしていないことを思い出して、この世界の書籍に興味を抱いた。


「へー、本って例えばどんなの?」


 横合いからシロウが尋ねると、コペは何故か目に見えて動揺した。


「え。えっと……色々だよ? 今流行りの作品とか、誰でも読んでるような……」

「ああ、シーたんダメだって。この子、文学少女の振りして色んな男の人が出てくる漫画とか小説ばっかり読んでるムッツリさんなんだから。詳しく聞かないであげて」

「ちょ!! ちょっとナっちゃん!?」


 唐突に秘密を暴露されたコペが、羞恥に顔を赤くしてナツキの肩を叩く。

 彼女ははっとしたように振り返ると、慌ててシロウに迫った。


「ク、クサカ君。違うからね? 私が読んでるのは極めて健全な男女の間を描いた漫画や小説であって、間違っても何かいかがわしい内容のものじゃ……」

「わ、分かった。そんなに焦らなくても分かったって」


 シロウがぐいぐいと迫ってくるコペを押しとどめると、彼女は真っ赤な顔を両手で隠して床にしゃがみ込んだ。


「うぅ……。クサカ君にだけは知られたくなかったのに……」

「別にえっちな本ってわけじゃないんだし。そんな気にしなくても良くない?」

「もう! ナっちゃんにはデリカシーとかないの!?」


 ナツキがコペの怒りの炎に油を注いでいると、不意にドアベルが鳴った。


 バタンとギルドの扉が乱暴に開けられる。

 その奥から現れたのは、傷だらけで今にも倒れ込みそうな一人の冒険者だった。

 彼女は歩くのも辛そうな様子でよろよろとカウンターまで歩み寄ると、受付嬢の前に立った。


「ちょっと、大丈夫ですか!? ボロボロじゃないですか!」

「……うん、大丈夫。それよりも、約束通り先行調査を済ませてきたから。今、この場で報告しても構わない?」

「え、ええ? まあ、貴女がそれで良いのなら、こちらは問題ありませんが……」

「そう、じゃあ今ここで報告するね。今のところ、暴走の危険は無し。内部の魔力は安定していて、出現する魔物も大したランクじゃないわ。万が一が起きても、並の冒険者や王国の兵士なら問題なく対処できると思う」


 受付嬢の心配を余所に、傷だらけの冒険者は淡々と報告を続ける。


「……そうですか。やはり研究者の見立て通り、それほど危険な場所ではないようですね。それなら、問題無くギルドで管理できるでしょう。こちらは報酬となります。お疲れ様でした」


 受付嬢がお礼の言葉と共に報酬の入った封筒を差し出すと、彼女はそれを受け取ってから訊ねた。


「報酬は、あともう一つ。忘れてないよね、例の約束を」

「ええ、勿論です。約束通りひと月の間、あのダンジョンの鍵を貴女に預けます。期限が来たら、ギルドまで返却して下さいね」

「分かったわ、ありがとう」


 冒険者の女性は、にこりと微笑んで簡潔に礼を言うとくるりと踵を返す。

 しかし、そこでシロウの存在に気が付くと女性は怪訝そうに眉をぴくりと動かした。


「……どうして、君がこんな所に」

「え?」


 シロウは驚く。

 眼前の女性に見覚えはない。つい先日も別の冒険者のお姉さんに声をかけられたばかりだが、その時とは異なり特に思い当たる人物もいなかった。

 女性はじろじろと無遠慮にシロウの顔を眺める。


「あの、俺に何か……?」


 シロウが訝しげに訊ねると、彼女は不意にシロウの手をぎゅっと握った。


「…………」


 無言で互いの目を見つめ合う二人。

 女性は次に、シロウの体を無造作に抱きしめた。

 これには流石にシロウも焦ったような声を出す。


「ちょ!?」

「…………」


 相変わらず女性は無言のまま。

 しかし、豊満な彼女の柔らかな弾力が服越しにはっきりと押し付けられて、シロウは今それどころでは無かった。


「ちょ、ちょっと!」

「い、いきなり何してるんですか!?」

「シ、シロウさん……!」


 唐突な行動に女性陣が慌てる中、女性は何かに納得したように頷いた。


「……やっぱり、思った通り」

「あ、あの……?」


 先ほどから不可解な振る舞いを続ける女性に、シロウの普段あまり役に立たない危機管理能力が珍しく警鐘を鳴らす。

 もしかして、今度こそ不審者かもしれない。まさか白昼堂々、ギルドの中で痴女行為に及ぶとは思いもよらなかったが。

 逃げなくては。この世界で、不審者に捕まった男がどうなるのか想像もつかない。


 そうしてシロウが逃げ腰になっていると、フィーナが女性との間を割り込むように立ちはだかった。


「ちょっとお待ちくださいまし! 貴女、シロウ様に何の御用ですの?」


 普段のポンコツ王女っぷりとは異なり、今はシロウを守るため険しい表情を浮かべている。いざという時にはこうして第三王女としての威厳を発揮できるらしい。


 新たなフィーナの一面を見てシロウが感動したのも束の間。


「ごめんね、ちょっと邪魔」

「あ、ちょっと! わたくしを無視しないでくださいまし!」


 冒険者の女性は身軽な動きであっさりとフィーナの脇をすり抜けて、シロウの側に歩み寄ってきた。

 彼女はそのままシロウの耳元に口を寄せると、ぼそりと呟く。



「ねえ。——君が、この世界に来た理由。教えてあげようか」



「なっ……!?」


 一瞬の驚愕。

 シロウの頭が真っ白に染まる。


 女性はシロウの耳元から音もなく離れると、受付嬢の方を振り向いた。


「あのさ。例のダンジョンに、この子も連れていきたいんだけど」

「は、はあ。と言われましても……。まずは先ほどの行動についてご説明いただきたいのですが……。私の目が確かなら、無抵抗の男性を一方的に弄んでいたように見えましたが……?」


 受付嬢の胡乱な眼差しを受けて、女性は心外そうに肩を竦めた。

 彼女はシロウに目を向けると訊ねる。


「……んー、どうかな。君は嫌だった? 私に触られて」

「え」


 シロウは思わず口を噤む。

 先ほどの柔らかな感触と、鼻先を掠めた女性らしいふくよかな香りが脳裏をよぎる。


 シロウの眼前にたたずむ女性は、よく見ると大変に美しい。この世界にやってきてから目にした女性達の中でも、見たことが無いほど整った容姿だ。

 そんな彼女に、いきなりとは言え体を押し当てられて嫌だったかと言われると、必ずしもそうでは無かったような気が、そこはかとなくしないでもない。


「……まあ。別に嫌ではなかった、ような?」


 シロウは素直な少年であった。

 女性は微笑んでこくりと頷く。


「ね?」

「……まあ、当人が問題視していないのなら、これ以上は止めておきましょう。それより、ダンジョンに彼を連れていく、というのは?」

「言葉の通りだよ。私はこのひと月、彼と一緒にダンジョンを攻略する」

「え?」


 突然の話に、シロウは耳を疑った。

 何それ聞いてない。先ほどとは違う意味でシロウの頭が真っ白に染まる。


 その女性の言葉に、受付嬢は大きく顔を顰めた。


「い、いやいや! 彼はまだまともな戦闘経験も無いんです! 冒険者としては赤子!ひよこ同然なんですよ! 魔物が出るダンジョンの攻略なんて、危険過ぎます! 許可できません!」

「うぐっ」


 赤子だのひよこだのという表現がシロウの心を的確に抉る。

 受付嬢がシロウを危険から遠ざけようとしてくれているのは伝わるのだが、どうにも言葉選びが少年の自尊心を刺激する。

 こう見えても魔術にはそこそこ慣れているのだ。せめて赤ちゃん扱いは勘弁してほしい、とシロウは内心で抗議する。


「大丈夫。調査してきた限り、あのダンジョンに大した魔物は出没しないから。それに、何があっても私が彼を守ればいいだけの話だよ」


「だ、だからってねえ、貴女、そんな傷だらけになっておいて……。第一、それは貴女が勝手に言いだしただけでしょう。彼にその気が無ければ意味がありません」

「大丈夫。彼は必ず私と一緒にダンジョンに行く。そうだよね、クサカ・シロウ君」


 女性がシロウの名を呼んだ。

 やはり、彼女はシロウの事を前から知っていたのだ。


 先ほど、耳元で囁かれた言葉が脳裏を巡る。

 シロウがこの世界にやってきた理由。

 その言葉が意味する所は一つ。

 

 つまり、彼女は理解しているのだ。

 シロウが、異世界からこの世界に迷い込んだということを。


(一体、この人は何なんだ……?)


 ここで、ただ彼女の誘いを断って、はい終わりというわけにはいかない。

 彼女が自分の境遇について何かを知っているとすると、興味が無いと言えば嘘になる。それで何かが変わるわけでもないが、聞ける事は聞いておきたい。

 シロウは手早く考えを済ませると、彼女の言葉に頷いた。


「……はい。よく分かんないけど、俺も一緒に行きます」

「——うん、良い子だね。それじゃあ、これからよろしくね。シロウ君」


 女性は右手を差し出した。


 いったい、彼女は何者なのか。

 ダンジョンとは。そして、その奥に果たして何が待っているのか。

 何もかもが不明瞭ながらも、シロウは恐れる事なくその手を握り返すのだった。



「シロウ様が……シロウ様が美女の誘惑に屈してしまいましたわぁ~~!」

「ち、違うからね?」

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