第36話 うり坊王女は心を解いて

 それから月日は流れ、ある日の放課後。


 その日もシロウとフィーナは相変わらず魔導術の特訓を行っていた。

 遠くをふよふよと浮遊する楕円形の的に向けて、フィーナは手をかざして精神を集中する。


 フィーナは生まれつき身体の内側を流れる魔力に乏しく、魔導を行使する為に十分な量の魔力を捻出する事が困難な体質だった。

 それは決して珍しいことではない。学園の外に出てみれば、むしろ大抵の人間は十分な魔力量を持たない事が殆どだ。彼女達は日常生活に微量の魔力を消費こそすれど、どれだけ鍛えようとも基本的に魔術を習得する事は出来ない。魔導を学ぶためには、生まれついての特別な素養が必要なのだ。

 エリュシア魔導学園とは、そうした素養を持つ子供たちが集まった場所なのである。


 魔導には向き不向きがある。

 そしてフィーナは一言で表現するならば、魔導に向いていない。


「フィーナ、集中して。いつもみたいに、俺の言った通りにやってみて」

「は、はい。分かりましたわ……」


 しかし。

 シロウが真剣な声を投げかけると、フィーナの手のひらに本来は存在しないはずの魔力の素が生まれ出でた。

 魔力の素はフィーナの意思に従って徐々に形を変えると、やがて光輝く金色の矢と化す。


「むーん……ていっ!」


 フィーナの掛け声と共に、美しい黄金色の軌道を描いて金色の矢が射出される。

 空気を切り裂いて一直線に飛ぶ金色の矢は、狙いを過たず宙に浮かぶ的の中心を射抜くと、まるで小さな花火のようにバン!と音を立てて眩しい光を放ち爆発した。


 爆発に巻き込まれて粉々に吹き飛んだ的の破片に混ざって、キラキラと光の粒子が辺りに舞い散る。


「これが初級魔術<光の矢>……つ、ついに。ついに成功しましたわぁ~~!!!」

「いえーい!!」


 目に見える特訓の成果に溢れんばかりの喜びを爆発させて、フィーナがぴょんぴょんと練習場を飛び跳ねる。

 そして喜色満面で駆け付けたシロウとハイタッチを交わし、感動を分かち合う。


「シロウ様! わたくし、初めてまともに魔術が使えましたわ! シロウ様もご覧になりましたわよね!?」

「うんうん、見てたよ。よく頑張ったね」

「えへへ。……えへへへへ」


 シロウが褒めながら頭を撫でるとフィーナは顔中をふにゃふにゃに緩ませた。

 初めて手にした努力の末の成果に、少女の胸が感動に包まれる。

 無論、一緒に練習を重ねていたシロウにとっても少女の成長は感慨深いもので。二人は共に成功を噛み締めた。



 一度コツを掴むと再現は容易いようで、フィーナは次々に<光の矢>を生み出すと他の的も逃さずに撃ち抜いていった。彼女は慣れると教本に載っていた他の初級魔術<炎の矢>、<水の矢>、<雷の矢>と立て続けに習得していく。


「シロウ様シロウ様! わたくし、まだまだやれますわぁ~!」

「すごいな! でも、あんまり無理するとガス切れするから。一旦休憩にしようか」

「はぁい」


 新しい玩具を手に入れた子供のようにはしゃいでいるフィーナを手招きして、シロウは休憩を提案する。

 かくいうシロウも、魔術を覚えたての頃は無駄にはしゃいではコペ達に微笑ましげな眼差しを向けられていたのだが。その事を知らないフィーナに対して、ここぞとばかりに先輩風を吹かせていた。


 練習場の隅に設置されたベンチに二人並んで座る。

 そわそわとフィーナの体が揺れる。覚えたての魔術をもっと試したくて仕方がないらしい。その様子を眺めながら、良い機会と考えたシロウは前々から気になっていた事を訊ねた。


「――なあ。フィーナはどうして、この学園に来たんだ?」

「勿論、シロウ様とお近づきになる為ですわ! この国にある日突然、王家も把握していない男性が現れたと聞いて、是非一度お逢いしてみたいと思っておりましたの」

「それは王女として?」


 その質問は少し意地が悪いような気がしたが、せっかくなのでとことんまで聞いてみる事にする。

 フィーナは遠慮がちに頷くと、続きを話し始めた。


「ええ、半分は。……わたくしはこのエルジナ王国の第三王女として、何としても我が王家に男性を迎え入れたいと思っておりましたの」

「迎え入れる?」


 言葉の響きからすると、婿に取るとかそういう意味合いにも聞こえるが。そもそもこの世界に婚姻やそれに準じた制度があるとは聞いた事がない。

 首を傾げるシロウに、フィーナは過去を思い返すように僅かに視線を上げて続けた。


「あの日わたくしが考えていたのは、噂の男性――シロウ様の歓心を僅かでも買う事ができれば、自ずから王家に肩入れしていただけるかもしれないという程度。別段、具体的な計画を考えていたわけではありませんの。……ただ、わたくしも国の為に何かをしたかっただけ」


 記憶を辿りながら、少女は過去の自分を振り返る。

 シロウの気のせいでなければ、その言葉には幾ばくか懺悔の響きが含まれていた。


「わたくしは無力な王女でした。女王として国を統べる偉大なお母様と、才知に優れたお姉様方に囲まれて、わたくしは生まれつき何の取り柄もない、だめな子でしたの」

「…………」

「でも、そんなわたくしでも、何かが出来ると示したかった。お母様やお姉様、皆に失望されたくなかった。だから、シロウ様の噂を聞いた時、居ても立ってもいられなかったのですわ」

「それで、わざわざ学園に転入してきたんだ」


 フィーナはこくりと頷く。


「……でも、今にして思うと、シロウ様に対してとても失礼な考えでした。結局、わたくしはシロウ様を利用して自分を認めさせたかっただけ。全てはわたくしの未熟な心ゆえ。……お恥ずかしい限りですわ」


 目を潤ませて恥じ入るように俯くフィーナ。

 シロウが慰めようと頭を優しく撫でると、少女はぐすりと鼻を鳴らした。


「それに、もし。そこにいたのがお優しいシロウ様で無かったとしたら。きっとその方は、男性を勝手な都合で利用しようとするわたくしを許しはしなかったと思いますの。わたくしの浅はかな考えで、国に途方もない迷惑をかけたかもしれない。そう考えると……やっぱり、わたくしは欠陥品――」


「ちょっと待ってよ」


 懺悔を続ける少女に割り込むようにして、シロウが口を挟む。

 制止の声にフィーナが思わず顔を上げると、そこには慈愛の表情を浮かべるシロウの姿。

 少年は泣きわめく子供を落ち着かせるように優しく微笑みかけると、心揺らぐ少女にも伝わるようにゆっくりと語り始めた。


「フィーナがどう考えていたかは知らないけどさ。俺はフィーナに会えて良かったと思ってるよ。君が居てくれると毎日が楽しい。頑張り屋で明るくて、でも時々臆病なフィーナだから、皆大切に思ってる。勿論、俺もね。

 ――だから、俺に気に入られるのが目的って事ならさ。もう、これ以上ないくらいに成功してるんだよ。

 ……時々変態っぽいのは戸惑うけど」

「シ、シロウ様……」


「もしもの話をするんならさ。もし俺の所にやってきたのがフィーナじゃなかったら。……悪いけど、きっと王家がどうとか俺には関係ないって考えると思う。何か困り事って言われても、知らんぷりしてたんじゃないかな。……でも」


 少女の頬を伝う大粒の涙を拭って、少年は元気づけるように笑いかけた。


「今は、フィーナが困ってたら助けたいって思うよ。必ず。何が何でもね」


 少年の台詞で真っ直ぐに射抜かれた少女の目が見開く。


 少年なりの、精一杯の格好付け。

 それは少女の涙を止める為に、彼なりの激励の心算だったのだが。


「シロウ様……!」

「わっ。フィ、フィーナ!?」


 唐突に、少女が少年の胸に飛び込んでくる。


 刹那、少年の脳裏に何時の日かの思い出が蘇る。制服がべとべとに汚された、懐かしくも思い出したくない記憶。

 あの時と異なり、この場には引き剥がしてくれるクラスメイトも居ない。

 まさか手荒に扱う訳にもいかず、どうしたものかと少女の様子を窺うが。そこに居たのは少年の想像するちょっとアレな少女ではなく。

 心の弱い部分を曝け出してすがる、一人のか弱い女の子だった。


「シロウ様、シロウ様ぁ……!」

「あー……うん。よしよし。頑張ったね」


 これまでずっと、吐き出せない想いを一人抱えていたのだろう。

 きっと、弱音を吐ける相手も居なかったに違いない。

 なら、せめて思う存分甘えさせてあげよう。


 そうしてシロウは少女が落ち着くまで、頭を撫で続けるのだった。





「そろそろ、落ち着いた?」

「…………ふぁい」


 やがて、少しばかりの時が過ぎて。

 未だにぐすぐすと鼻を鳴らしながらも、どうやら少女は幾ばくかの落ち着きを取り戻したようだった。


「うん、良かった。……それじゃあさ、そろそろ放してもらえると有難いんだけど……」

「…………」


 返事は無い。

 この距離で聞こえていないはずも無いので、まだ離れる気はないという意志表示か。

 こうなったら仕方が無い。フィーナの気が済むまで、好きなだけひっ付いていてもらおう。

 少年は諦めると、身体の力を抜いた。



 しばし、無言の時が流れる。

 言葉はなく、しかし何処か穏やかな時間。

 やがて、静寂を破る一声が少女の喉からするりとこぼれ落ちた。


「シロウ様、お慕いしております」

「…………」


 無言。

 返す言葉が思いつかなくて、シロウは少女の声を反芻した。

 一体どういう意味だろう、などと誤魔化す余地など無い。少年を見つめる少女の瞳は潤みながらも熱を帯びている。流石のシロウも、少女の想いを察せないほど鈍感にはなれなかった。


「……以前、ある本で読みましたの。その昔、未だ男性と女性が同じ地で暮らしていた遥か古の時代。男女は、互いを愛おしく想い合っていたのだと。その時のわたくしには、よく分かりませんでした。けれど、今なら理解できますわ。これが、『恋愛』というものですのね……」


 果たして、その言葉にどう返せばいいのか。

 うっとりと見つめてくる少女の視線から目を逸らすと、少年はどうにかして言葉を返そうと思考を回転させる。しかし、気の利いた台詞が浮かんでくる訳でもなく。

 こんな事なら、元の世界で恋愛映画やドラマでも観ておけば良かった。


 痛恨の後悔で内心打ちひしがれるシロウの様子を見てどう受け取ったか。

 少女はふふっと小さく笑うと、そっと身を起こしてシロウからわずかに離れた。


「何も仰らなくて結構ですわ。ただ、わたくしの想いを知っておいていただければ」

「……ごめんね。不甲斐なくて」


 少年の言葉に、少女はふるふると首を振る。

 帰り支度を済ませて練習場の灯りを消すと、入れ違いに窓から夕陽が差し込んで二人を照らす。

 どうやら、気付かないうちに随分と時間が経っていたようだ。


 黄昏に紅く照らし出されるように美しく微笑む少女の横顔は、いつもより随分と大人びて見えた。

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