第35話 歓待される異世界人と女王の苦悩

 シロウとフィーナがいつもの調子で戯れていると、こんこんと部屋の扉がノックされる。


「あれ、誰か来たみたいだ」

「きっとお母様ですわ。はい、今開けますわ」


 その言葉通り、フィーナが迎え入れたのは先ほどの場で玉座に腰を下ろしていた高貴な雰囲気を漂わせる美しい女性。

 女王エルメリアその人だった。


「じょ、女王様!」

「ごめんなさい、お邪魔するわね」


 突然の女王の訪問にどうすればいいか迷うシロウに、女王は努めて穏やかに笑いかけた。


「気を使わなくていいのよ。どうぞ楽にしてちょうだい」

「は、はい」


 そうは言われても、女王相手に失礼な態度を見せる訳にもいかない。

 シロウが困っていると、エルメリアは手ずから持ち運んできたティーセットと御菓子をソファの前のテーブルに置いた。


「どうぞ。紅茶でよろしかったかしら?」

「あ、ありがとうございます」

「まあ、美味しそうなクッキーですわ!」


 芳醇な紅茶の香りが部屋にふんわりと広がる。

 リラックス効果のある茶葉の匂いに、シロウの肩にかかった余計な力が抜けていく。

 促されるままに紅茶を啜ると、豊かな香りの中に僅かばかりの苦みが舌を刺激する。

 飲み慣れない紅茶の渋みにシロウが思わず顔を微かに歪めると、エルメリアは口に手を当てて微笑んだ。


「あら、紅茶は口に合わなかったかしら?」

「い、いえ! そんなことは」

「ふふ、無理しなくてもいいのよ。どうぞ、お茶菓子と一緒に食べてみて」

「は、はい……。あ、美味しい!」

「そうでしょう。これは娘の好きな取り合わせなのよ」

「へえ、そうなんですか」


 お茶菓子と合わせる為に渋めに入れられた紅茶は、添えられたクッキーの生地が醸し出す甘味と程好くマッチしていて相性が良い。

 当初は上質な紅茶を飲み慣れなかったシロウも、気付けば手元のカップを飲み干していた。


「はー、食べた食べた」

「ふふ、満足してもらえたようで良かったわ。正直に言うと、男性の口に合うか不安だったのだけど」

「はい、とっても美味しかったです。御馳走様でした」

「ふっふーん。お母様の手作りお菓子はいつも最高なのですわ!」


 フィーナが誇らしそうに胸を張る。

 その様子を微笑ましげに眺めるエルメリアは、先ほどの女王としての威厳ある姿とは一転して優しそうな母親の顔を見せている。

 その眼差しに親子の深い愛情を感じて、シロウはほのかに温かな気持ちになった。




 -------



「そこで、わたくしとシロウ様は手と手を取り合い、一心同体となって立ちはだかる高い壁に立ち向かったのですわ!」

「あの先生の出す課題、量が多いから。二人で協力して終わらせたんだよな」

「それに、わたくしが窮地に陥った時などはシロウ様が颯爽と駆け付けてくださって。シロウ様は情熱的にわたくしを抱き抱えると、誰も居ない二人きりになれる場所へと逃避行を……」

「いきなり目の前で小石に躓いて盛大にずっこけるもんだから、抱えて救護室に走ったんだっけか」

「んもう! シロウ様! わたくしとシロウ様の麗しい思い出に一々茶々を入れるのはお止め下さいまし!」

「俺、当事者なのに口出しちゃダメなの!?」


 楽しそうな二人のやり取りを、エルメリアはにこにこと微笑みながら耳を傾ける。

 フィーナにつけた護衛を通じてあらかじめ報告は受けていたが、本当に娘は件の少年と仲良くなったらしい。

 親として、これほど幸せそうな娘の様子を見たのは初めてだ。


 エルメリアの知る第三王女フィーナは、その表面上の明るさとは裏腹に繊細で傷付きやすい一面を持つ少女である。

 王族に連なる者たる当然の責務として姉たちと同じように一流の教師に学び、そして姉たちとは違い結果を出せずにいた。


 元来努力家で責任感の強いフィーナは、出来が良い上の姉たちと己を比較してはいつも自分を追い込んでいた。彼女にとって、立場と乖離するようにいつまでも伸び悩む己の実力に悩まない日は無かったろう。


 その中で培われた明るく無邪気な性格は、周囲に余計な心配をかけまいとするフィーナが造り上げた仮面なのだ。


「この間はわたくしお友達とお買い物に出かけましたの! シロウ様と三人で喫茶店でお茶をしましたのよ!」

「あの時の事を思い返すと恥ずかしいな……公衆の面前で何やってんだ俺は」

「お母様、照れるシロウ様は大変可愛らしいのですわ」

「まあ。それは是非見てみたかったわね」

「勘弁してください……」


 そんな娘が、今はこうして幸せそうに日々を過ごしている。王宮に居る間は与えてやれなかった同世代の友人に囲まれ、重い責務から解き放たれて自分のやりたい事を自由に選べる暮らしが彼女にとってどれだけ貴重なものか。


 きっと、娘にとって王族という立場はさぞ重荷だったに違いない。

 その証拠に、今はこれほど活き活きと楽しそうにしているではないか。

 フィーナに王宮は狭すぎるのだ。いつまでも立場に縛られ続ける事は、彼女にとって不幸でしかないのかもしれない。


(第一、この娘に与えられた運命は――)


「お母様?」

「な、何かしら」


 話を振られて、ようやくエルメリアは思考の海に沈んでいた事に気付く。

 途中から満足に聞いていなかった事が見抜かれたのだろう。フィーナは可愛らしい頬をぷっくりと膨らませて不満そうだ。


「もう、ちゃんと聞いて下さいまし!」

「あ、あら。ごめんなさい。……昨夜の政務の疲れが残っているのかしらね。少し気が抜けてしまって」

「まあ……。それは大丈夫ですの? 万が一にもお母様がお倒れになっては我が国の大事ですわ。どうか、しっかりと休養をお取りになって下さいませ」

「ふふ、心配は要らないわ。でも……確かに少し休息が必要ね。私はこれで失礼するから、後は二人でゆっくりとお過ごしなさい」


 エルメリアは立ち上がってシロウに会釈すると、二人を残して部屋を辞した。

 扉を閉めて部屋の中に声が届かなくなると、彼女は誰にも聞こえないようにぼそりと呟いた。


「このままでは、あの子は決して幸せにはなれない……」


 彼女は近くに控えていたメイドに部屋の食器類を片付けるように命じると、言葉通りに休息を取るため自室に戻る。

 その表情はシロウ達と相対していた時の穏やかな微笑みとはうって変わって、まるで少女の先に待つ運命を暗示するかのように暗く沈んでいるのだった。

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