第25話 うり坊王女は思い悩む

 フィーナの朝は早い。


「お嬢様。そろそろ起床の時間でございます」

「むにゃ……もう朝ですのぉ……?やーぁ、あと五分寝かせてくださいましぃ……」

「しゃんとなさって下さい。このままでは遅刻してしまいますよ」

「やーだ、やーだ。まだ寝るのぉ」


 身体を揺すって強引に起こそうとするメイドの魔の手に対して、フィーナは枕にしがみつく事で抵抗の意思を示す。しがみ付いているのは枕が変わると安眠できないと駄々をこねてわざわざ王宮から持参した愛用の大きくてふかふかな枕だ。触り心地も実に心地良い。


 王族に配慮した控え目なその揺すり方とふかふか感触の枕のコンボで、フィーナはまた夢の世界に意識を飛ばしそうになる。メイドは早々に自力で起こすのを諦めて、切り札を使う。


「お嬢様。あまり駄々をこねられるようですと、またメイド長に叱られますよ」

「うっ。……すぐに起きますわ」


 効果はてきめん。

 そうして渋々と起き上がり洗顔を済ませると、用意された朝食を平らげてメイドに身支度を整えさせる。


「それでは、行ってまいりますわ!」

「お嬢様。行ってらっしゃいませ」

「行ってらっしゃいませ」


 執事やメイド達に見送られながら、護衛に囲まれて送迎の車に乗り込む。

 魔導具の力で身分を隠している現状では大勢の護衛など不要な気がするが、母である女王エルメリアの指示であるからには仕方がない。


 何事も無く学園へと辿り着き、車を降りる。

 目の前に広がるその場所は、これまでの王宮での暮らしの中では感じた事のない活力に満ちた世界だった。

 行き交う学生達は誰もかれもが活き活きと楽しそうに過ごしている。煌びやかだが閉塞的なシャンデリアの下では決して味わえないそのエネルギーに、人知れずフィーナの心は浮き立つ。


「あ、フィーナちゃんだ」

「おーい。一緒に教室行こ」

「まあ! これは御学友の方々! ええ、是非ともご一緒させてくださいまし!」


 護衛達が見送る中、遠くで手を振る学友の下に少女は跳ねるように走っていった。


「もう、はやく名前覚えてよね。あたしはマリー。こっちはユナ」

「マリー様に、ユナ様ですわね。確かに覚えましたわぁ~!」

「まったく、フィーナは朝から元気だね」

「はい! わたくし、毎日がとっても楽しいですもの!」


 そのようにして、少女の一日は始まる。



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「ぜぇんぜん、楽しくないですわぁ~~~~~……」


 少年の机の上、フィーナがだらりと突っ伏した。

 よほど耐えがたい事でもあったのか、えぐえぐと半べそをかきながらシロウの机に頭をこすり付けている。


「えっと……何事?」


 シロウは本人ではなく、周囲で呆れるように眺めていた学友たちに訊ねる。

 どうせ本人に聞いても明瞭な答えが返ってこないような気がしたからだ。


「さっき実技演習の時間だったじゃない?」

「それで、この子また失敗しちゃって……それで教師に怒られちゃってさ」

「ああ……」


 それならシロウも見ていた。

 普段なら自分の課題も半ば放り出してこちらにやってくる彼女にしては珍しく音沙汰がないので辺りを見回してみると、しょんぼりと肩を落としながら教師のお説教を正座して受けるフィーナを発見したのだ。


 どうにも要領の悪い彼女に教師も根気強く付き合っていたのだが、ついに堪忍袋の緒が切れたらしい。しっかりバッチリ叱られたフィーナは、こうしてヘコみにヘコんでいるという訳のようだ。


(フィーナも頑張ってるんだけどなあ……こればっかりはな……)


 いかんせん、ここは魔導学園だ。魔導の素養がない者にいつまでも優しくしてばかりはいられないのだろう。

 とはいえ、お説教一つで不器用さが改善されるようなら苦労は無い。

 このままでは少女の先行きは暗いだろう。


(俺に何か手伝えないかな?)


 シロウは顎に手を当てて考える。慰めの言葉はこれまでに何度かかけてきたのだが、それでは抜本的な解決にはならない。

 やはり、フィーナが魔導を扱えるようにならなくては。


「よし。フィーナ、ちょっといいかな?」

「えぐ、ぐす……はい? なんでしょうか、シロウ様。ずびび」


 すっかり目を充血させたフィーナが、鼻をすすりながら顔を上げる。

 その様子はお淑やかさとはまるで無縁だったが、少なからずシロウの庇護欲を刺激する事には成功していた。


「良かったらさ。俺が練習に付き合うよ」

「へ?」

「魔術の練習。俺もまだまだ習いたてだからさ。学園が終わった後にもうちょっと練習できたらなって思ってたんだ。でも一人だと続かない気がして。もしフィーナが良かったら、一緒に特訓しない?」

「シ、シロウ様……」

「ど、どうかな?」


 提案する内に何となく照れ臭くなったシロウは、誤魔化すように頭をかいた。

 自分と一緒ならやる気が出るかもしれないと考えての発言だったが、冷静に考えてみると随分と自意識過剰だった気もしてくる。どうやら、知らず知らずの間にちやほやと持て囃される事に慣れつつあるようだ。


(あんまり調子に乗るもんじゃないとは思ってるんだけどなあ)


 軽くシロウが自己嫌悪に陥りかけたその時。

 泣きっ面の少女が懐に勢いよく飛び込んできた。


「シ……ジロ゛ヴざま゛あ゛ぁあああ!! わだくじ嬉゛じいですわ゛あああ!! ぶえぇぇえええん!!」

「おわっ!?」


 少女を受け止めた勢いで椅子ごと後ろに倒れかけ、慌ててバランスを取る。

 咄嗟の事にほっと息を吐くシロウにフィーナがむぎゅうとしがみついた。制服の前部がフィーナの涙やら何やらでべっちょりと湿っていく。


「こらああ!! 何やってんのフィーナ!!」

「またか! またなのかこの子は羨ましい!」

「シーたんに何すんだこの馬鹿ぁっ!」

「ぶえええええん! シロウ様ぁぁぁああ!」


 引き剥がされ、またしてもずるずると連行されていくフィーナを見送りながら、シロウは遠い目を浮かべて呻いた。


「…………ぉぉう」

「あ、あの……大丈夫?」


 隣の席からコペが心配そうに声をかけてくるが、今のシロウの耳に届いた様子はない。


 もしかすると、先ほどの提案は早まったのかもしれない。

 そんな事を考えながら、少年はべとついた自分の制服を見下ろすのだった。






「シロウ様! わたくし、身も心も準備万端ですわ!」

「う、うん。冷静に行こうね。平常心でね。お願いだから」


 放課後。

 さっそく実習棟の一室を借り受けたシロウ達は、魔術の特訓を開始した。

 とは言っても初心者二人だ。なるべく基本に忠実を心掛けるべく、教本に書いてある通りに基礎から順を追って学んでいく。


 そうしてしばらくの間、二人は特訓に精を出した。


「シロウ様。こうですの?」

「えーっと。教本によると……。うん、それで出来てるね。後はその状態をできるだけ維持して……」

「むむむ……ひゃあっ!」


 必要以上に力んだのか、先ほどまでは教本通りに維持されていた魔力がフィーナの身体から急速に抜けていく。こうなると、少し休まなければ回復はしない。

 ばたりと倒れ込んだフィーナがぜえぜえと荒く呼吸する。


「ま、魔力の操作ってとっても疲れますわ……」

「ちょっと休憩しようか。はい、お水」

「ありがとうございます」


 二人並んで座り込み、ごくごくと水で喉を潤した。

 しばし無言の時間が流れる。


 やがて静寂を破ったのは、フィーナのぽつりと溢した言葉だった。


「……わたくし、いつもこうですの。最高の環境で選りすぐりの教師に教わりながらどれだけ努力しても、何事もちっとも上達しないのです」

「フィーナ……」

「優しいお母様はいつも慰めてくださいますわ。けど、きっと内心では不甲斐ない娘に失望しているに違いありません」


 水の表面に映る自分を見つめながら、フィーナは苦しげに自嘲する。

 その姿からは、普段の明るさはまるで感じられない。

 シロウには見えない重圧が、彼女の両肩に圧し掛かっている風に見えた。


「ですから、せめて何かお母様のお役に立てればと。この国の為にと想って、わたくしはシロウ様を……」

「俺を?」

「あ、いえ。な、何でもありませんわ!」


 聞き返すと、フィーナはハッとしたように顔を上げて大袈裟に手をぶんぶんと振った。あわあわと慌てている。どうやらシロウには聞かせたくない話だったようだ。

 しかし、シロウはそれを追及する気にはなれなかった。


 落ち込んでいるフィーナを見ているのは心苦しい。普段は明るく装っているが、本当の彼女は責任感の強い、家族想いの少女だった。


「よッし! じゃあそろそろ特訓を再開しようか!」

「シ、シロウ様?」


 努めて明るく声を上げると、シロウは勢いよく立ち上がる。

 唐突に空気を切り替えたシロウにフィーナが目を丸くしていた。


「早く魔術が使えるようになって学園に馴染まないといけないんだろ? なら少しでも特訓しないとな。魔術が使えるようになるまで、俺がずっと付き合うからさ」


 シロウが微笑みを浮かべて手を差し伸べる。

 少しの間その手を黙って見つめていたフィーナは、やがて両の手で差し出された手を握ると、胸元に引き入れてぎゅっと抱きしめた。


「ありがとうございます、シロウ様。わたくし、心より感謝いたします」

「い、いや。気にしなくていいって」


 ふわりと温かく柔らかな感触。

 シロウは思わず身体を硬直させると、気恥ずかしそうにそっぽを向く。


 そのまま、わずかな時が過ぎた。


「……?」


 抱きしめられた手が放される気配がない。

 いつまで経っても手を解放してもらえないので、シロウは恐る恐る少女の方を向き直す。

 すると。そこに居たのは、鼻息荒く興奮する少女変態だった。


「はあ、はあ……。シロウ様のゴツゴツした手……とってもたくましくてときめいてしまいますわあ……はあはあ……にぎにぎ。うへへへへ」

「早く離してもらえますかね!?」



 そうして、シロウは当面の間フィーナの修行に付き合う事になるのだった。

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