第24話 うり坊王女は盛り上がる

「御帰りなさいませ。エルフィーナ様」

「ただいま、ばあや。でも、今のわたくしはエルジナ第三王女エルフィーナではないのよ。ただの魔導学園の一生徒、フィーナですわ」

「はい。これは失礼をいたしました。」


 出迎えた執事の老女に挨拶を返して、フィーナは自室に備え付けられたソファに腰掛けた。

 その様子は日頃から元気が有り余っている彼女にしては少し疲れた風に見える。


「フィーナお嬢様、どうかなさいましたか。何やらお疲れの御様子ですが」

「ちょっと事情があって、級友の方々にもみくちゃにされてしまって……。まったく、あの方々はわたくしを誰だと思っているのかしら」

「ただのクラスメイトのフィーナ嬢だと思っているのではないでしょうか。何しろ、お嬢様はその指輪を付けていらっしゃいますので」

「ああ、よく考えたらそうでしたわね」


 フィーナは自分の指に嵌まった指輪を見つめる。

 これは王家に伝わる魔導具の一つ。『身隠しの指輪』と名付けられた一級の品だ。

 その名の通り、この指輪を付けていると周囲の人間はその者の素性をおぼろげにしか認識できなくなる。これさえあれば国民に広く顔が知られたフィーナであっても、正体を知られる事なく市井に溶け込めるのだ。

 現在、学園関係者の中で彼女の素性を知る者は学園長しかいない。


「それで、お嬢様。今度は一体どのような事をして御学友方に叱られたのですか?」

「うっ。……まだ、怒られるような事をしたとは言ってないじゃない」

「お嬢様を古くから知っている者であれば、分かります。大方、例の方の御手にでも吸い付いたのではないですか?」

「ちょっと! 吸い付くだなんてはしたない真似してませんわ! ただ、その。ちょーっとだけ、あのたくましいお手に夢中になってしまって……少しだけ、羽目を外してしまったといいますか……」


 ぼそぼそと言い訳するフィーナに、執事の老女は皺がれた目を細めてホホホと機嫌良さそうに笑う。


「まったく。お嬢様はいつまでもお変わりありませんね。一度夢中になると他の事など目にも留まらないのですから」

「もう、笑わないでちょうだいばあや。いくらわたくしでも、あの方の眼前で醜態を晒したのは恥ずかしいんですのよ? ああ、明日からどのような顔をしていればいいのかしら」

「どうせお嬢様の事ですから、一晩寝たら忘れますとも」

「ばあや!?」


 孫と祖母ほど歳の離れた主従が楽し気に話し込んでいると、部屋の扉がコツコツとノックされた。フィーナが入室の許可を出すと、扉の向こうからシックなメイド服に身を包んだ妙齢の美女が現れた。


「お嬢様、お帰りなさいませ。本日の成果はいかがでしたか?」

「あら、ただいまメイド長。聞いてちょうだい! 貴女の言いつけ通りお淑やかに振る舞っていたら、なんとシロウ様から直接、激励のお言葉を賜ったわ!」

「まあ、それはよろしゅうございました。その調子でございます」


 先ほどとは一転。ウキウキとした態度で目を輝かせながら今日の出来事を語るフィーナ。

 その喜びぶりから、どうやら自分のアドバイスは功を奏したようだと察してメイド長は満足そうに頷く。職務の合間を縫って読み進めていた『LOVE☆イレギュラー』という恋愛漫画を参考にした助言が成功したらしい。


(やはり、あの漫画に書かれている内容は真実なのですね……!)


 メイド長は自分の判断に確信を深める。


 数日前。転入直前になって急に怖くなったのか、及び腰になったフィーナを勇気付ける為に男女の仲の深め方を知ろうと急ぎ文献を漁り、やっと見つけた稀少な一冊。


 恋愛とは遥か古代に存在したとされる概念で、今はもう創作の中に埋没して久しい。

 彼女は忙しい日々の職責を余すことなくこなしつつ、隙間の時間を利用してその漫画から恋愛のイロハを読み解いた。

 そうして、主に忠実なメイド長は見事、男女の機微を自らの主に教え込む事に成功したのである。


「よいですか。数多の女性からわざわざお嬢様に優しい声をかけ、まして手に触れる事まで許したという事は、お相手は既にお嬢様の事が気になって仕方ないという事に違いありません」

「ま、まさか! そういう事ですの!? あれはわたくしを見かねて級友の方々が促して下さったから声をかけて頂けたのでは……?」


 鋭い瞳をきらりと光らせて、自信ありげに断言するメイド長。

 驚愕の真実に、思わずフィーナの声が震える。


「いいえ。男性であれば、如何に他人から勧められたからといって、興味のない相手に声をかける事など有り得ません。恐らく、お嬢様の類稀なる色香に心惑わせていらっしゃるのです」

「な、なんですって!? わたくしの色香!? こんなチンチクリンですのに!?」


 その衝撃の言葉に、直前までソファに腰を落ち着けていたフィーナが思わず腰を浮かせる。

 言われてみれば、最後に見た時かの御方は心なしか顔を赤らめていたような気がする。メイド長は速やかに歩み寄ると動揺するフィーナの両肩に手を添えて優しく伝えた。


「お嬢様。世の中には、何事も需要というものがございます」

「まあ! まあまあまあ!」


 確信。それはメイド長からやがてフィーナにも伝達する。

 やがて二人は頷き合う。つまり、導き出される答えは一つ。


「シロウ様はわたくしにメロメロになったに違いありませんわぁ~~~!!」

「ええ、ええ。 その可能性は極めて高いと存じます」


 二人はノリノリでガッツポーズを決める。


「となれば、次はどうすればいいんですの!?」

「お待ち下さい。文献によれば、好き合った男女は唇を互いに触れ合わせるそうにございます」

「くっ、唇を!? そ、そんな事が本当に許されますの!? 対価は? 対価は如何ほど支払えばよろしいの!?」

「私にも半信半疑ですが。ですが、文献では実際にそのような行為が描写されておりました。ちなみに対価は不要です」

「まあ、まあまあまあ! その文献、是非わたくしにも読ませてくださいまし!」

「お嬢様にはまだ早いです」


 きゃっきゃと楽しそうに盛り上がる二人。

 背後でにこにこと話を聞いていた老執事はそっと喧噪から離れて窓を見上げる。


「お嬢様は心より楽しそうに過ごしていらっしゃいますよ。

 どうかご安心下さい。エルメリア様」




 --------------



「ねえ、何だか例の転校生さんがお兄ちゃんに手を出そうとしてシメられたって噂に聞いたんだけど、ほんと?」


 夕食を済ませてスツーカと二人でまったりと過ごしていると、キサラがやってきてそんな事を訊ねた。


「……誰から聞いたの、そんな話」

「みんな噂してるよ? お兄ちゃん関連の噂はあっという間に広まるからね~」


 どうやらもう既に学園中の噂として流れているらしい。

 シロウは溜息をつくと出来るだけ訂正しようと試みる。


「手を出そうとしたってのは誤解だよ。握手しただけ。その後他の生徒が引っ張っていったけど、シメるなんて物騒な事してない、と思うよ、多分」

「ふーん、なーんだ。ま、現実はそんな所だよねえ。男の人に下手な事したら怒られるだけじゃ済まないもんね」

「あ、あはは」


 誤魔化しが通じて安心するシロウだが、実際のところはだいぶグレーだった気がする。

 相手が仮にオニキスやトパーズだったなら完全にアウトだっただろう。

 学園に来たのがシロウだったのはフィーナにとっては幸運だったかもしれない。


(まあ、突然過ぎて勢いには驚いたけど。でも小さくて可愛い女の子に迫られても怒る気にはなれないしなあ。ほっぺ、柔らかかったし)


「シロウさん?」

「スツーカ。なんでもないよ、なんでも!」


 まさか妙な事を考えていたのを感じ取ったわけでもあるまいが、スツーカが不思議そうに顔を覗き込んでいたので、シロウは思考を強引に中断させた。


「そ、それよりもさ。夕食のお肉美味しかったよな。あれ何の肉だったの?」

「うふふ。あれはね、巨角獣のお肉よ。キサラちゃんが獲ってきたの」

「おお、なんか凄そうっすね」


 食器を洗い終えたエリスが会話に合流してくると、話は完全に次の話題に移った。


「ええ、この辺りの野生生物の中だと結構手強い魔物だってご近所さんに聞いたわ。お母さん、驚いちゃった」

「師匠の狩りに付き合わせてもらってね。その分け前なんだ」

「おお~。キサラ、凄いな! かっけえ!」

「えへ、えへへへ。もっと褒めてくれてもいいよ、お兄ちゃん!」


 頭を撫でてほしそうな位置に下げてきたので、お望み通り撫でてやるとキサラは頬を染めて悶えた。

 何とも愛らしい妹分に気分がノってきたシロウはそのまま思う存分撫で回す事に決める。


「はふぅ……」

「俺も今度またギルドに顔出そうかな。危ない狩りは無理だけど、もっと色んなクエストに挑戦してみたいし」

「あ、あの。それなら、その。私、お弁当用意しても、いいですか……? お料理、下手だけど。頑張るので……」

「え? 本当に? すごく嬉しいよ! ありがとう、スツーカ!」

「あら、お母さんの仕事取られちゃったわね。ふふ」


 満足そうに息を切らして床に倒れ込む妹分を放置して、シロウが今後の展望を語る。

 その隣では勇気を出して申し出たスツーカも、控え目にやる気を見せている。


 彼らは今日も平和だった。

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