第23話 うり坊王女と思春期の少年
「シロウ様! 御機嫌はいかがですか!」
「うん、元気だよ」
「シロウ様! 転校生って大変ですのね! 覚える事がたくさんあって、私てんやわんやですわ!」
「うん、大変だよね」
「シロウ様! わたくしお弁当を持って参りましたの! こちら最高級の食材を使用してシェフに用意させた特別な品ですのよ! よろしければ一緒にいただきましょう!」
「うーん、美味しそうだけど俺もお弁当用意してもらってるから……」
「シロウ様! 送迎の車を待たせてありますの! よければ送って差し上げますので、是非わたくしと一緒に帰りましょう! ……あら? あの、シロウ様は?」
「シーたんならもう帰ったよ~」
「はあ~~~……」
「ただいまー! ……あれ? お兄ちゃん、どうかしたの?」
長い溜息。
珍しく制服のままでぐったりとソファに沈み込むシロウを視界に入れて、キサラは小首を傾げた。
「おかえり」
「ただいまお姉ちゃん。お兄ちゃんどうしたの?」
「あ、あのね。今日、転校生が来たの知ってる?」
「うん、みんな噂してたからね。あたしも帰り際に見たけどびっくりするくらい可愛い子だったよ。なんか高そうな車に乗り込んで帰っていったけど、どこかのお嬢様なのかな」
キサラは先ほどの光景を思い浮かべる。転校生と思われる少女は黒いスーツに身を包んだ護衛と思われるサングラス姿の人達に囲まれるようにして車に乗り込んでいた。
たかが学園に通う程度で随分と物々しい光景だと印象に残っていたのだ。
「でも、それがどうしたの?」
「じ、実はね。その転校生の子が来たのがシロウさんの教室だったの」
「へえ、お兄ちゃんのクラスだったんだ。転校生が連続で同じクラスに入れられるなんて珍しいね。それで?」
「その子、フィーナさんって言うらしいんだけど、何だかシロウさんに興味があるみたいで……。今日は一日中、ずっとべったりだったんだって」
「あー……。それで疲れちゃったんだ。お兄ちゃん、お疲れ様」
キサラが気遣いの言葉をかけると、シロウはゆるゆると手を掲げて応じた。
どうやら言葉を返す気力も無いらしい。
その様子に苦笑しながらキサラは荷物を下ろしてシロウの側に座った。
「ま、でも仕方ないよね。気軽に接しても怒らないような優しい男の人なんて普通いないもん、あたしはフィーナさんの気持ちも分かっちゃうなあ」
「で、でも。そんなシロウさんの優しさに付け込んで迷惑かけるのは良くないと思う」
何処となく不機嫌そうなスツーカがこちらも珍しく自分から口を挟む。
どうやら転校生の行動には思うところがあるようだ。
「なるほど、それでお姉ちゃんはさっきから微妙に怒ってるんだ?」
「お、怒ってないよ」
キサラが指摘すると、スツーカは焦ったように手を前に出して俯いた。
シロウの目の前で言葉にされると流石に恥ずかしいらしい。
「元気だし良い子なんだけどさ。いくら何でも一日中くっつかれるのはちょっとな。周囲の目もあるし……」
シロウが本当に困ったように息を吐いた。
何しろフィーナが周囲の視線を気にせずにどんどん距離を詰めてくるせいで、彼女に対する周囲の目がどんどん厳しくなっていくのだ。
明日以降もこの調子が続くと、彼女と他の女生徒達の間で軋轢が生じてしまうかもしれない。
自分に構っていたせいでイジメが起こるなんて事は考えたくもない事態だ。
「本人に直接注意したらいいんじゃない? お兄ちゃんに嫌われたくないからきっと態度を改めると思うよ」
「ん、そうだな。明日、直接伝えてみるよ」
そして翌日。
「昨日は大変失礼いたしました! あれから帰ってメイド長に相談しましたところ、わたくし少々積極的過ぎたようで、それでは失礼だと叱られてしまいましたの。
今後はもう少しお淑やかに行動するべきと反省しましたわ。奔放なわたくしをどうか許してくださいましね」
シロウが教室にやってきて席に着くやいなや、一直線に歩いてきたフィーナが勢いよく両手を合わせて頭を下げる。その姿はあまりお淑やかとは言い難かったが、少なくとも謝罪の気持ちはあるようだった。
「あ、ああ。そうだね。俺は怒ってないから、そんなに気にしないで」
「ふぉおおお、まあまあまあ! お優しいですのね!
その慈悲深さ、わたくし感動致しましたわぁ~!!」
どうやらシロウが何を言う事も無く、フィーナは使用人に叱られて反省したらしい。
しかし言葉ほど落ち込んではいないらしく、今もシロウのかけた慰めの言葉にはあはあと身を震わせている。
「変わった子だねぇ」
「うん、そうだね……」
ナツキとコペがその様子を眺めて率直な感想をこぼしていた。
「――以上の事から、長いエルジナの歴史において魔導術が果たした役割は非常に大きく、現代においてはこのエリュシア魔導学園の持つ影響力も相応に大きくなっていると言えるでしょう。皆さんも今後とも栄誉ある学園の生徒として恥じないよう努めて下さいね。
それではフィーナさん。先ほどの問題の答えは分かりましたか?」
「え、えーっと。もうちょっとお時間をいただきたいと言いますか……」
「もう時間です。分からない箇所は後で復習を忘れないようにしてください。それでは本日の授業は以上とします」
「う、はい……」
フィーナががくりと頭を下げる。
また、次の実習の時間では。
「それでは、次は――」
「先ほどから失敗続きですわ……。今度こそ……ひゃあっ!?」
ずでんっ。
不慣れな魔術を行使する為に集中していたのか、足元の小石に躓いてフィーナが地面に転がる。
「あら、フィーナさん大丈夫ですか?」
「あいたたた……。だ、大丈夫ですわあ……わたくし、へこたれませんもの……」
「その意気は買いますが、鼻血が垂れていますよ。すぐ救護室に向かってください」
「あう……」
かくして、フィーナの学園生活は順風満帆なスタートとは行かなかったようで。
「ああもうっ! 魔導って難しいですわ! 皆様よくこんなに難しいものをお勉強してらっしゃいますわね!?」
「いやー、この学園って何気に王国でも有数のハイレベルな教育機関だからね」
「むしろここに中途で転入が許されるくらいだし、すごい実力者なのかと思ってた」
「元気出して、フィーナさん。お菓子食べる?」
「ありがとうございます……皆様の優しさが五臓六腑に染みわたりますわぁ……」
自分の席でずーんと落ち込むフィーナをクラスメイトが取り囲んでいた。
当初はフィーナの行動から警戒の目線を向けていた彼女たちも、この数日で遺憾なく発揮したポンコツぶりに毒気が抜かれたらしく。今は沈んだフィーナをみんなで慰めている。
「あの子、よっぽどクサカ君に逢いたかったんだね」
「え、なんで?」
その一団を何となしに眺めながらコペが呟いた。
シロウが聞き返すと、ナツキは肩を竦める。
「だって、ここはエリュシア魔導学園だよ? 大なり小なり魔術が好きじゃないとついていけない場所だもん。あの子、多分魔術の勉強なんてした事もないんじゃないかなあ。だから、そんな子がわざわざここに来る理由を考えたら答えは一つじゃない?」
「うーん、そうなのかな」
確かにフィーナはいきなり積極的な態度を見せたが。
未だに自分の価値をいまいち測りかねているシロウとしては、実感が湧かない部分だ。
「それにこの学園って由緒正しい分入学時の審査も厳しいんだよ。そんな学園が勉強についてこれないような子を簡単に転入なんて許すかなあ。クサカ君みたいな特殊な例は置いておくとして、何か大きな力が裏で動いたんだよ、きっと」
「ああ、そういえば豪華な車で送迎されてるのを見たって聞いたな」
「本人も言ってたけど、ホントにすごいおうちの子なのかもね」
「あら、わたくしの噂話ですの?」
「ひゃっ!?」
話に集中している間に近づいてきたフィーナの声に、コペの肩がびくりと跳ねる。
本人の知らない所で勝手な噂話を広げていた罪悪感からだろう。コペはあははと苦笑いを浮かべた。
「ご、ごめんねフィーナさん。勝手に噂しちゃって。どうしたの?」
「わたくしが落ち込んでいるのを見かねた皆様が、『シロウ様に慰めてもらえば元気が出るんじゃない?』と仰るもので……」
シロウが視線を送ると、級友たちが両手を合わせてお願いの姿勢を向けてくる。
どうやら、幼げで可憐な容姿をしたフィーナがへこんでいる姿は彼女達の庇護欲をひどく刺激したらしい。
シロウは苦笑すると、フィーナに何か言葉をかけてあげる事にした。
「落ち込まなくていいよ。俺だって魔術に関してはズブの素人だし、そもそも過去の記憶が無くて右も左も分かんない状態だからさ。ここは転校生同士、協力して一緒に頑張ろう!」
当初は言い訳の為に口をついて出た記憶喪失設定だったが、何かと分からない事がある度に重宝しているので、シロウは完全に異世界に慣れるまでは今後もこれで押し通すつもりである。
「シロウ様……!!」
「まあ、シーたんは魔術使えるけどね~」
「ナっちゃん、静かに」
感動した様子でフィーナが両手を組んで目を輝かせる。
どうやら空気を読まないツッコミは耳に入らなかったようだ。
シロウが微笑んで手を差し伸べると、フィーナは両手でその手をぎゅっと握った。
見つめ合う二人。何かが始まりそうな気配に、周囲の誰かの息を呑む音が聞こえる。
はあ、はあ。
目の前の少女の吐息が徐々に荒くなっていくことにシロウは気付いた。
よく見ると、少女の口角が三日月状に吊り上がっている。
なんと少女は、突如シロウの手を自分の顔の方に引き寄せると頬ずりをし始めた。
「うふ。うふふふふ。ついに、待望の、男性のおててにタッチですわぁ~~……! ああ、なんとゴツゴツと力強い……。ここはひとつ味も見ておきましょうかしら。ぐふ、ぐふふふふ」
「ひぃっ!?」
「ちょ、ちょっと!?」
「ちょいちょい、シーたんに何してんの!?」
あまりの衝撃に思わず悲鳴を上げるシロウ。
慌てて周囲の女性陣が
「ああっ、どうか至福のひと時を邪魔しないでくださいまし! ふおおお、この距離ですとシロウ様の香りが漂ってまいりますわ! なんたる僥倖! あ、ちょ、そこを引っ張ってはなりませんわ貴女! 私を誰と思って、あ、ちょっと、ごめんなさいわたくし調子に乗りましたわ! あああ、お助けくださいませシロウ様ぁぁあ」
あああああ、と断末魔の悲鳴を上げてずるずると引き摺られていくフィーナを尻目に、シロウはなかば放心状態でがたりと席に座り込んだ。
驚愕。男性が一定の敬意を払われるこの世界で、まさかこんなド直球にセクハラをぶつけてくる人間が存在するとは思っていなかった。
それも、見た目はまるで妖精のように愛らしい少女がそのような蛮行に及ぼうとは。
(……でも。ほっぺ、すべすべだったな……)
思わぬ接触のせいか、それとも突然の奇行のせいか。
少年はとくんとくんと微かに高鳴る鼓動の意味を掴みかねていた。
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