第26話 憂う女王と老貴族
王都の中心にそびえ立つ王宮、その玉座の間にて。
女王エルメリア・サンパーニュに謁見すべく王国貴族が集まっていた。
「此度もこうして女王陛下に拝謁する栄誉に与かりしこと、配下一同光栄の至りに存じます」
臣下を代表して西方に広大な領地を預かる大貴族が進み出ると、儀礼に則って挨拶を行った。一斉に頭を下げる貴族達の姿を睥睨して、女王が威厳を示すようにゆっくりと頷く。
「良い。其方らの示す忠誠心は遙か天上にも必ずや届くであろう」
「サンパーニュ王家に栄光あれ!」
女王が立ち上がり、両腕を胸の前で交差して首を垂れると臣下たちもそれに続いた。
このようにして天の上に住まう尊き者達に祈りを捧げるのが、由緒正しい王国貴族の間に古来より伝わる習わしだった。
「さて。この度其方らを集めたのは他でもない。『降迎の儀』を執り行う日程が決まった故だ」
女王の言葉に、玉座の間がざわりとどよめく。
『降迎の儀』。それは、天上の園から降り立つ男性を出迎える歓迎の儀式である。
それは古来より幾度にも渡って、大陸中の国々が担ってきた神聖な役目だ。
貴族たちの反応は様々。
喜色満面に表情を明るくする者。深く考え込む者。中には天を仰いで目を覆う者までいる始末。
その中でも、喜びに頬を染めて若い淑女が歩み出た。
「おお、それは何と喜ばしい事でしょう! 大陸に数多の国あれど、我が国が天より出でられる尊き御方を迎える栄誉を賜るとは。これも女王陛下の治世あってこそでございます!」
「さて、そう喜んでいられるものかしらね」
高らかに女王を賛美する若き貴族に、苦味走った顔つきで年老いた貴族が口を挟む。
その口振りは、まるで嫌な役割を押し付けられたと言わんばかりである。
「何故ですか、フェルディナ殿。天上より男性を迎える権利を得るという事は、我が国が大陸の盟主であると天に認められている証に他ならないではありませんか!」
「シャマリーさん。貴女、天上人と実際に接した事はあるかしら?」
「無論、ありません。私はそのような大役を担う立場にはないので……」
「でしょうねえ」
若い貴族の言葉に、年老いた貴族はやはりと首を縦に振った。
女王の御前で侮辱を受けたと感じて、若い貴族の顔が羞恥に紅潮する。
「ッ。貴女は一体何が言いたいのですか! もしや、男性をお迎えするのが不服だとでも仰るつもりか!」
「そのような不敬を述べるつもりは無いわ。ただ、最近家督を譲られたばかりのお若い貴女は知らないかもしれないけれど、私達は過去にも『降迎の儀』を行った事があるの」
『降迎の儀』は一般にその存在を知られる事の無い儀式である。
儀式は余人の目に触れぬように行われ、その間の出来事は国家の機密として扱われる。
万が一にも男性を一目見ようと一般の人間が押し寄せ、天上人が迷惑を被らないように。
全ては天上から迎える男性に決して失礼の無いようにと配慮した結果だ。
「な、ならば尚の事。前回の経験を活かして持て成せば、その分だけ満足していただけるというものではありませんか」
「それはその通りよ。私が憂いているのはもっと別の部分。貴女、男性を実際に間近で見られるからそんなに浮かれているのでしょう?」
「う。い、いけませんか。私とて一人の地上の民。男性をこの目に出来る奇跡に喜びを感じるのは当然のことです」
「あら、思いのほか素直ねえ」
若い貴族に微笑ましそうな目を向けて、老貴族はくすりと笑った。
それがまた侮られているように感じるのだろう。若い貴族は憮然として押し黙る。
「でも、ねえ。果たして実際にお会いした後でも、その憧れを保てるものかしら」
「ど、どういう意味ですか?」
「言葉通りの意味よ。何しろ天上人の方々は――」
言葉を続けようとした老貴族だったが、先に続ける言葉の選択に迷って口ごもる。
それまで臣下の掛け合いを黙って見ていたエルメリアは、はあとため息をこぼすと億劫そうに口を挟んだ。
「フェルディナ。その辺りにしておけ」
「これは陛下。申し訳ありません。少々、口が過ぎたように御座います」
老貴族は深く頭を下げる。
それで話は終わりと判断したのだろう。若い貴族が不満げな表情を収めて後ろに下がると、女王は凛とした声で告げた。
「さて。話が逸れたが、先ほども告げた通り次回の『降迎の儀』が間近に差し迫っている。ついては、其方らにも協力してもらう。各自、歓待の準備をしておくことだ」
威厳を込めた女王の言葉に臣下一同が頭を下げる。
天上人の地上への来訪は諸外国も注目する一大行事だ。
何としても失敗するわけにはいかない。
貴族達が去った後、玉座の間に残っていたのは女王と老貴族だけだった。
「……それで、フェルディナよ。何事も無く済むと思うか」
「思わないわよ。だってあの方々、とんでもなく傲慢だもの」
「おい、言葉には気を付けろ。誰が聞いているとも分からんぞ」
「申し訳ありません、陛下。ですが、先ほど述べたのは確かに私の本音ですわ」
悪びれず老貴族は舌を出して肩を竦めた。
軽薄なその仕草に呆れながらも、エルメリアも自然と肩の力が抜ける。
「はあ……、だよなあ。私も王位を継ぐまでは男性を実際に目にした事が無かったから、あの若い貴族に負けず劣らず夢を抱いていたものだ。だが、今となってはな……」
玉座に肘を突いて、悪態を吐く。
その姿は先ほどの威厳溢れる女王然とした振る舞いからはかけ離れていた。
「前回は酷かった。かの御方の要望を叶えるのにどれだけの国費が費やされたか」
「おまけに、実際に応対した者は大半がメンタルを崩してしばらく自室で塞ぎ込んでいたものね」
「そういう其方も似たようなものだったろうに」
「あの頃は若かったのよ……。若気の至りね」
前回の『降迎の儀』は出来れば振り返りたくない記憶だ。
しかし、今回の事を考えるとそうも言っていられない。
「しかし、そうは言っても天上人だ。本気で出迎えない訳にもいくまい」
「ええ。せめて全力で持て成して、少しでも良い気分で帰ってもらう他ないでしょうとも」
意見を同じくした二人は疲れたように笑い合う。
「はあ。どうせ同じ男性なら、出来る事なら噂の彼を迎えたいものだが」
「彼って、最近になってエリュシア魔導学園に通いだしたとかいう? あれって事実なのかしら?」
「
「フィーナが!? うそ、あの子で大丈夫なの? ダリアかティリカを向かわせた方が良かったんじゃない? 下手に男性の怒りを買うと、国が滅びかねないわよ」
「私もそう思わないでもないんだが、何しろ当人たっての希望でな……。それに、もし無礼を働いてしまっても王家まで怒りが及ばぬように、念の為に認識阻害の魔導具を持たせているから、最悪の事態にはなるまい。多分、きっと、恐らく」
エルメリアは遠い目で娘の顔を思い浮かべる。
第一王女エルダリアと第二王女エルティリカは、両者とも世間のイメージする通りの文武人品に優れた大変に出来の良い娘たちだ。
今は二人とも国外に出ているが、当初女王はそのどちらかを呼び戻して噂の男性との顔繫ぎに差し向ける事を考えていた。
しかし、他ならぬ第三王女エルフィーナがいつになく積極的に手を挙げるもので、娘に甘いエルメリアはついに断り切れなかったのだ。
「いやはや。よりによってあの子が向かったんじゃ、『降迎の儀』の前にこの国の命運も尽きたかもしれないわね。今の内に夜逃げの準備でもしとくべきかしら」
「今ここで手打ちにしてやろうかババア」
女王の愛してやまない娘にぬけぬけと言ってのける老貴族を憎々しく睨みつつ、女王は噂の男性について受けた報告を思い返す。
「話によれば、噂の男性――クサカ・シロウは地上の民にも極めて寛容な人物だそうだ。その寛容さであの子も受け入れてくれる事を祈ろうじゃないか。いや、むしろあの愛らしくも頑張り屋なフィーナの事だ。案外本当にメロメロの虜にして帰ってくるんじゃないか? うむ、きっとそうに違いない」
「貴女も大概、親ばかね……」
呆れた視線を気にせずに、女王は手のかかる娘を想う。
その瞳の色は優しく、尽きせぬ愛情に溢れていた。
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