第66話 異世界人、撃沈す
「ねえ……いいよね?」
「あ、あの……」
艶やかなその表情に、シロウの喉がごくりと鳴る。
セレスがシロウの手を引いて、宿の中に入ろうとした、その時。
「そんなのダメですわーーーーっ!!」
――大慌てで走って来たフィーナが、勢いよくシロウの懐に飛び込んだ。
少女の頭が猛烈な勢いでシロウの鳩尾に突き刺さる。
「ごふっ……」
「シロウ様ひどいですわ! わたくし達というものがありながら!」
シロウは半泣きのフィーナに襟をがくんがくんと揺さぶられるが、当人は腹に受けたダメージのせいでそれどころではない。
「フィ、フィーナ……。急に突撃してくるのは止めろって、いつも言ってるだ、ろ……」
そう言って、シロウは地面に撃沈する。
ゆっくりと意識が遠ざかっていく。後に残されたのは、フィーナの慌てたような表情だけだった。
「シロウ様!? しっかりなさってくださいまし! シロウ様ぁぁあ!?」
――次に目を覚ました時、シロウが見たのは天井に吊るされた豪華なシャンデリアだった。
「あ……良かった。目が覚めたんですね」
シロウがベッドから起き上がると、側で待機していたスツーカが駆け寄ってくる。
一体ここはどこだろう。シロウは寝ぼけた頭で尋ねた。
「あ、スツーカ。ここは……?」
「ここはフィーナちゃんの家です。あの後、彼女の護衛さん達に手伝ってもらって、シロウさんをここに運び込みました」
「ああ……。そうか、俺。気を失ってたのか」
シロウの記憶がだんだんと蘇ってくる。セレスとデートをしていたら宿に連れ込まれそうになって、そこで止めに入ったフィーナの一撃によって、シロウの意識は狩り取られたのだ。
「ふふ。珍しく、フィーナちゃんが反省してましたよ。強くぶつかり過ぎた、嫌われたらどうしようって」
「いや、別にそれくらいで嫌ったりはしないけど……」
口では止めるが、彼女の奔放な振る舞いは彼女自身の大いなる魅力の一つだ。
むしろ、小柄な彼女のタックル程度であっさりノックダウンされるシロウの貧弱さに幻滅されていないかの方が心配だった。
「あ、そういえばセレスさんは? フィーナの姿も見えないけど」
「二人とも応接間に居ますよ。交代でシロウさんを看病してたんです」
「そっか。ありがとうな」
シロウは起き上がって伸びをすると、スツーカを伴って応接間に移動した。
「あ。シロウ君、起きてきたね」
「シロウ様! もう起きても大丈夫なんですの!?」
応接間で待っていた二人がシロウの元に駆け寄る。
何やら妙に心配させてしまったようだ。
「いやいや、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。むしろぐっすり寝て元気になった感じがするし」
「うう……ごめんなさいシロウ様、わたくしがいけないせいで……」
「ああ、いや。そんなに気にしなくていいからさ」
シロウはしょんぼりと落ち込むフィーナの頭を優しく撫でてやった。
涙目だったフィーナの頬がうっすらと紅潮する。
「シロウ様……」
「それにしてもシロウ君、きみももうちょっとくらい、身体を鍛えた方が良いかもね? こんな女の子に飛び掛かられたくらいで失神してちゃ、冒険者は勤まらないよ?」
「うっ……しょ、精進します」
セレスに痛い所を突かれて、シロウはバツが悪そうに頷いた。
元来、身体が屈強な方ではないのだ。かといって言い訳するのも見苦しい。
毎晩忘れずに筋トレする事を心に誓いつつ、シロウはセレスに向き直った。
「それはそうとして。俺、今日はこのまま家に帰ろうと思います」
「はぁ……やっぱりそうなるよね。――もう、せっかくの雰囲気が台無しなんだもんなあ。フィーナちゃんめ。ああ見えて、中々策士なんだから」
「? なんですの?」
セレスが恨みがましくフィーナを横目に覗き見ると、少女は何も分かっていないような表情で小首を傾げた。どうやら、シロウに鳩尾タックルをぶち込んだのが何故だったのか、彼女はもう忘れてしまったらしい。
「ううん、何でもないよ。……それよりシロウ君。今日はどうだった? お姉さんと一緒に遊んで、楽しかったかな?」
「は、はい。何だか新鮮な感じで、楽しかったです。セレスさんはどうでしたか?」
シロウが聞き返すと、セレスは照れくさそうにはにかんだ。
「うふふ。お姉さんは、シロウ君と一緒ですごく嬉しかったよ? ねえ、またいつか、私とデートしてくれる?」
「は、はい。勿論、喜んで」
シロウが恥ずかしそうに顔を赤くしながら答えると、セレスは満足したのかにこりと笑った。そして彼女は不意に、シロウの耳元に口許を寄せた。
「――今度は、最後まで付き合ってくれると嬉しいな」
「え……」
思わず硬直するシロウを尻目に、セレスは軽やかに身を翻らせるとそのまま玄関に向かった。
「うふふ。それじゃあ、私は一足お先に失礼するね。シロウ君、今日はありがとう。……またね?」
そうしてセレスは去っていった。
一方その場に残されたシロウは、その後フィーナがいくら肩を揺さぶっても一切反応することなく、固まり続けるのだった。
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