第9話 夢追う子供と謎の来客

「ぬーん……ぬぬぬ、ハッ!」


 妙な掛け声を発しながら、シロウは広げた両手を前方に向けた途端。

 掌から溢れ出した巨大な水流が標的に向かって大地を削りながら激進していく。


 やがて、ズドンと鈍い音を立ててターゲットに見立てた岩石が砕け散った。

 想定通り。いや、想定以上の成果だ。



 ……という空想イメージを、事前に頭の中で入念に練り上げる。

 魔術に最も大切なのは認識なのだと座学で教わった。

 結果を正確に想像するのだ。そうすれば、魔術は正しく発動する。


「よし、よし! 今度こそ行ける気がしてきた!

 ぬぬぬ、ハァッ!」


 頭に浮かんだ掛け声もそのままに。

 シロウは体内に循環する魔力を一気に放出した。


 ――ぴゅるるるる。


 情けない擬音と共に、両手からちびちびと水が飛び出る。

 昔、子供の頃に遊んだ水鉄砲を思い出す。


「たはー、また失敗だぁ……」

「あちゃあ。ドンマイ、シーたん。ちょっと休憩せん? はい、これ」

「お。ありがと」


 しょんぼりと肩を落とすシロウ。

 慰めの言葉をかけながら、ナツキがタオルを差し出す。

 シロウは有難く受け取ると、汗を拭いつつ周囲を見回して疑問をこぼした。


「というか、実習中なのにナツキは俺に構ってていいの?」

「んひひ。アタシはもう終わったからいーの」

「マジか。ナツキって意外とすごいのな」

「む。意外とは言ってくれんじゃん」


 シロウの軽口に、ナツキが大袈裟に頬を膨らませてみせる。

 そう。日頃接しているとだらしなさそうに見えるが、案外と彼女は優等生なのだ。


「ごめんて。あ、それはそうと。このタオルって洗って返した方がいいのかな?」

「駄目! ……あ、違くて。えっと、いいよいいよ。そのままで。

 アタシ、全然気にしないから」

「そう?」

「そ、そうそう。あはは……」


 何かを誤魔化すように笑うナツキを尻目に、シロウは再び標的に意識を戻す。

 それからも時間一杯まで練習を続けたが、結局まともに魔術が発動する事は無かった。




 精魂を使い果たして、シロウはぐでんと教室の椅子にもたれかかる。


「はー。今日も駄目だったあ~……。まったく、先は長いなあ」

「お疲れ様、クサカ君」


 ここ最近は、すっかりお馴染みとなった光景だ。

 実技演習の度に全力で課題に取り組むシロウは、その度に満足な成果を得られず力尽きている。


「クサカ君は、なんでそんなに魔導を使ってみたいの?」


 その様子を隣の席で眺めていたコペが、ふとした疑問を投げかける。


「変かな?」

「ううん。変、って事はないけど……。ここはエリュシア魔導学園だし。

 魔導に興味があるのはこの学園の生徒なら当然だと思うよ。

 けど、どうしてそんなに一生懸命なのかな、って……」


 コペの言葉を受けて、シロウが頭を捻る。

 理由。そう聞かれると、特筆するような事はない。


 自由に魔術が使えたら便利そうだとは思うが。

 そうしなければならないような、逼迫した事情がある訳ではなかった。


 ただ、言葉にするのなら。


「だって、魔法が使えたら面白そうじゃん」

「え?」

「せっかくこの世界に来たんだからさ。楽しそうな事は、何でもやってみたいんだ」


 そう言って微笑むシロウに、コペはよく分かっていなさそうな表情を浮かべた。


「この世界に来たって、何だか不思議な言い方だね?」

「あー、いや。それは何というか」

「でも、魔導が使えたら楽しそうっていうのは分かるな。私も、子供の頃に大人の魔導士さんを見て、そう思ったもん」


 コペは昔の気持ちを思い出して、微笑まし気な視線を向ける。

 温かな眼差しを投げられたシロウは苦笑しながら言った。


「あ、今子供っぽいって思った?」

「え。あ、……ごめんね?」

「ま、許してあげようかな。何しろ俺って子供心を大事にするタイプだから」

「あーん、ごめんってば」


 けらけらと笑うシロウと、その顔を間近で見られて幸福そうなコペ。

 楽しそうな二人の様子に、周囲の生徒達が内心で羨ましさに悶えている中。



 ザザ、と音がして。

 教員による園内放送の声が響いた。


「あ、あー。生徒の皆さんに緊急の通達です。まもなく、学園に外部から男性の方が御来訪なされます。皆さんは決して騒がず、ご迷惑をおかけしないように、指示があるまで各自教室で待機するように」


 しん――、と学園全体が静まり返る。

 呆けたような表情で放送を聞いている同級生達を見ながら、シロウがコペに訊ねた。


「……どういう事?」

「わ、わかんないよ……」




 ------



「この度は、ようこそエリュシア魔導学園にお越し下さいました」


 正門前まで来客を出迎えた学園長が、深々と頭を下げる。

 自分よりも遥か年下と思われる相手に対して、強い敬意を捧げる姿勢だ。


「良い。顔を上げる事を許す」

「は。ありがとうございます」


 応じる長く艶やかな黒髪の青年もまた、年かさの相手に遠慮する様子はない。

 それが当然という態度で歩を進め、輝くような金髪の少年がその後に続く。


 少年は学園長の後頭部に視線を向けると、邪魔くさそうに手をひらひらと振る。

 学園長は弁えたように静かに数歩後ろに下がり、少年の視界から離れた。


 これは何も二人が特別に傲慢という訳ではない。

 この世界における、彼らの正しい距離感であった。



「ねえねえ、オニキス。目的の彼がいるのってどの部屋? わざわざこっちから行かなくても、向こうに正門前まで出てきてもらえば良かったのに」

「必要ない。所在は分かっている。こちらの都合で訪れた以上、我々から出向くのがせめてもの誠意だ」

「オニキスは真面目だなあ。にしても、女がうじゃうじゃ居るね……うわ、目が合った。うぇ」


 教室を覗き込みながら、少年がげっそりとした顔で言う。


「あまり見るな、トパーズ。聖核が穢れるぞ」

「はーい」


 青年――オニキスの注意を受け、トパーズは教室の窓から離れた。

 彼らが向かうのは、ある人物が在籍する教室。

 それ以外の場所に用は無かった。

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