第8話 子ねずみ姉妹と見学会

 そしてやってきた実技実習の時間。

 結論から言うと、シロウは魔術を扱えなかった。



「はい。では、その手に持った触媒に意識を集中させて……。ゆっくりで構いません。息を吸って、吐いて……。十分に落ち着いたら、枯れ木が燃え上がる様子を想像して下さい」

「は、はい……。すー、はー……。枯れ木、枯れ木……むむむむ……」


 簡易的な魔術障壁機能を備えた実技訓練用の衣装を身にまとったシロウが、触媒を両手に掲げて神経を集中させる。


 ちなみに、男性用の訓練服は学園に存在しなかったので、学園側が大急ぎで用意した特注品である。

 シロウに合わせて作られた衣装は、とても着心地が良く肌にも馴染んだ。

 身体サイズを測る際に仕立て屋が妙に興奮してしまい円滑に進まなかったが、いざ完成して着替えてみると、素晴らしい出来と言える。


 そんな素晴らしい衣装を着て、大いに待ち望んだ実技の時間に臨んだシロウは、大いなる挫折を味わっていた。


 大事なのは集中、そして空想イメージ

 座学で学んだ知識を胸に刻みながら、鮮やかな炎を連想して触媒を天に掲げる。

 すると次の瞬間、シロウの手にした触媒が一瞬で炭に変わった。


「げ」

「うーん、これで4回目ですか。どうにも上手く行きませんね」

「す、すいません先生」

「謝らなくてもいいんですよ。男性の方に教えるのは学園としても初めての事なので。もしかすると教え方が間違っているのかもしれませんね」


 シロウが頭を下げると、教師が慰めの言葉をかけた。

 しかし、教師の言葉を聞いてもシロウの気は晴れない。


 実習の一番最初。

 体内に宿った魔力を放出するだけの基礎訓練の時点では、シロウは順調だった。

 自分の身体を循環する、これまで感じた事のないエネルギー。初めて知覚したそれを意識して練り上げ、触媒を通じて外へと放つ。

 その感覚を味わった一瞬は、この世界に降り立って以降、最もシロウを高揚させた瞬間だと言っても過言ではないほどだった。

 鳥肌が止まらなかった。


 しかし、その後は散々だった。

 続けて教師が指示した、触媒を利用しての簡単な魔術の行使。

 クラスメイト達が軽々と当たり前にこなしているのを尻目に、シロウはひたすら失敗を重ねていた。


 一度目は触媒から水を湧き出させようとしたら破裂した。

 二度目は触媒を浮かせようとして遥か彼方に飛んでいった。

 三度目は触媒を光らせるつもりがシロウの身体が発光した。

 挙句、火種にしようとした今回の触媒は燃える以前に炭と化した。


「あーあ、俺って魔導の才能ないんだなあ」

「そ、そんな事ないと思うよ? 出力の仕方がちょっと違うだけで、威力自体は凄かったもん」


 実習を終えて制服に着替えたシロウが弱音をこぼすと、隣の席に座るコペが慰めてくれる。


「ありがとコペ。そんな風に甘やかされると、まあいっかって気分になるよね」

「コペはシーたんに甘々だもんね~」

「ちょ、ちょっとナっちゃん!」


 後ろを振り向いたナツキがニヤニヤとからかいの笑みを浮かべる。

 赤くなったコペがぺちぺちと机を叩いて抗議するが、効き目があるようには見えない。


「シーたん誰よ」

「いいじゃんシーたん。かわいっしょ?」

「んー。ま、いいか。シーたん承認します」

「いいのかよ。シーたん優しくて好き~」


 力が抜けるような会話を交わす二人。

 普段、好奇の目で見られてばかりのシロウからすると、雑に絡んでくるナツキとの会話は、前の世界を思い起こさせて気が休まる。


 初日に話して以来、シロウにとって彼女達は気軽にお喋りができる有難い存在だった。


 そのまま三人で中身のない会話を続けていると、やがて担任のセリナ先生が入ってきた。

 そろそろ本日の学園も終わり。解散の時間だ。


「あ、あの。クサカ君。今日はもう帰るんだよね?」

「ああ、うん。何か用事かな?」

「えと、その……。良かったら、たまには一緒に帰ってもらえないかな、って」


 意を決した様子でコペが誘う。

 視界の隅では、ナツキが心なしか固唾を呑んでこちらの様子を窺っている。


 せっかくの申し出なので、シロウとしても受けたい気持ちは山々だったのだが。


「あー、ごめんね。今日は先約があるんだ」

「あ。そ、それっていつも迎えに行ってる娘……ですか?」

「半分はそう。スツーカ達と約束しててさ」


 ごめんね、また今度。

 そう言って申し訳なさそうに手を振ると、シロウは足早に教室を出て行った。


 少年の足音が遠ざかっていくのを確認して、周辺の生徒がコペの机に集まってきた。


「シロウ君を誘うなんて、すっごい勇気。やるねコペ」

「その度胸に免じて、自分だけ抜け駆けしようとした事は水に流してやろう」

「骨は拾ってやるからな。安心して眠れ」

「別に死んでないよ……。でも、今はちょっとだけ放っておいてほしいかな」


 からかい目的で群がってくる学友たちの手をはらいのけながら、コペはだらりと机に突っ伏す。

 彼が他のクラスの生徒と登下校している事は学園中の噂となっている。当然、コペだって知っていた。

 なので、要望が通るとは思っていない。あくまで、好意を伝えようとコペなりに努力した結果である。

 とはいえ、実際に断られてみると思った以上にショックだった。


「スツーカさん、か……。どんな子なんだろ」


 コペはスツーカとは直接面識は無かった。

 想い人の隣で俯きがちに立っている挙動不審な人。

 そんな印象だった。

 背が小さくて内気そう。何処となくシンパシーを感じる相手だ。


 羨ましくて、妬ましい人。

 彼女が気に入られているのなら、もしかしたら私も。

 そんな思いが脳裏に過ぎる。

 人には聞かせられない、利己的な少女の一面がひょっこりと顔を出す。


(だめだめ、変な事考えちゃ。それより、前向きに考えよう)


 シロウは去り際、また今度と言っていた。

 それはつまり、いずれはコペとも並んで一緒に帰ってくれるという事だ。

 その時を想像すると、胸の奥が跳ねる。


(また今度。また今度。……えへへ)


 少女は心の中で未来を思い描いて楽しむのだった。





 -----------




「おーい、キサラ! 待った?」

「お兄ちゃん! こっちは準備万端だよ!」


 シロウがスツーカを引き連れてエレガノの丘に着くと、既にキサラが待機していた。

 学園からさほど遠くない位置にある、見晴らしが良くなだらかな丘陵だ。


 何故シロウ達がやってきたのかと言えば、先日のスツーカとの会話の中で。

 キサラが将来、狩人ハンターを希望して今の内から狩りの修行に勤しんでいると聞いたからだ。


 シロウは着々と装備の確認を済ませるキサラに問いかけた。


「でも俺からお願いしといてなんだけど、見学なんて許可して良かったの? 素人が居たら邪魔になるんじゃないかな」

「ううん、いいの。この辺に生息する魔物は大人しいのばかりだし、特に危険なこともないから」


 事も無げに手を振るキサラの態度からすると、本当に問題ないのだろう。

 シロウは一安心して、興味を少女の装備に移した。


 キサラが手にしているのは、いわゆるショートソードだ。飾り気のない実用品といった具合。

 後は動きやすそうな上下服にレッグガードという軽装。

 駆け出しの女冒険者といった装いだ。


 当然、シロウの興味は大きくそそられる。


「おお~!へえ、狩人ってそんな恰好なんだ。冒険者って感じで、いかにもファンタジー味あるなぁ!」

「よく分かんないけど、お兄ちゃんが喜んでくれたならあたしも嬉しいな」


 じろじろと不躾に眺め回すシロウに、若干照れながらもキサラがポーズを取る。

 普段であればもう少しくらいは自重するシロウだが、今は好奇心が理性を上回っているらしい。


 一通り観察したシロウが満足するのを待ってから、キサラはデモンストレーションとして周囲の警戒を始めた。

 先ほどまでの気楽な態度とは一転して、空気がピリリと引き締まる。


 その姿は、素人目にはずいぶんと堂に入ったように見える。


「なんだか、今日のキサラすごいね。本格的だ」

「は、はい。修行してるのは知ってましたけど、こんなに成長してるなんて……」


 後ろをついていく二人でヒソヒソと話していると、先導するキサラが急に立ち止まった。


「お兄ちゃん、お姉ちゃん。そこで止まって。見つけたよ」


 キサラは後ろ手で静かにしゃがむように背後に指示を出す。

 慌ててしゃがみ込みながら、シロウは首を伸ばして前方を眺める。すると、少し離れた先の木陰で、何やらでっぷりと丸まった四足動物のような生き物が草を食んでいた。


 特徴的な耳の形状を見るに、どうやら兎のようだ。

 しかしよく見ると、体表の色は青々としていて額には小ぶりな角が生えている。

 シロウの知る動物とは、明らかに異なる存在らしい。


「あれって、魔物?」

「そうだよ。一角兎っていう魔物。臆病で、人間を見かけたらすぐに逃げちゃうの。お肉が柔らかくて美味しいんだよ!」

「へえ。魔物って案外可愛い見た目してるんだね」

「この丘にいる子は大体そうだね。でも、こわ~い魔物も街の外にはたくさんいるから、危ない目に遭わないようにお兄ちゃんも気を付けてね」


 言いながらキサラの目がギラリと輝く。

 どうやら、今晩の夕食に一品追加する腹積もりのようだ。


「それじゃ、しっかり見ててね」


 キサラは肩越しに軽く振り返ると、にっこりと笑う。

 一体、どのようにして狩りを行うのだろう。

 ワクワクしながらシロウが見守る中、キサラは腰を落とした姿勢のまま、ゆっくりと前傾していく。


 大きく息を吸い込み、吐く。

 そうした一呼吸の後、少女は全力で地面を蹴って前方へと跳び出した。


「わっ!?」

「ひゃっ」


 風を切り裂き、弾丸のように飛び込んでいったキサラに、見物していたシロウ達は思わず声を漏らす。

 数十メートルはあるだろう距離を瞬きの間に詰めて、キサラが一角兎に飛び掛かった。


「ピギィッ!?」


 突然に現れた襲撃者に、一角兎が慌てて逃亡を図る。

 ふくふくと丸まった見た目からは想像も付かないような速度で地を蹴り、逃げようとする一角兎。

 しかし、キサラの速度はそれを優に上回った。


「シッ!」


 瞬く間に獲物を追い詰めたキサラは、鋭い視線で一角兎の動きを縫い留めると抵抗も許さずに手にしたショートソードを突き刺した。




 シロウは立ち上がると、仕留めた獲物を掲げて得意げな表情で戻ってくるキサラを小走りで迎え入れる。

 その顔は、興奮で赤らんでいた。


「~~~! すっげぇ! 滅茶苦茶格好良い! あんな距離あったのにさ、一瞬で仕留めて! こんなんもうプロじゃん!」

「え? いや~、そんな。これぐらいでほめ過ぎだよお兄ちゃん!」

「いやいや! キサラは最高に格好良いよ! 少なくとも俺はそう思ったね! これぞハンターって感じ! これこそ異世界ファンタジーだよ!」

「えーっと、よく分かんないけど。そんなに褒められると照れちゃうってば。あは、あはは」


 距離を詰めて手放しに褒めちぎるシロウの攻勢に、キサラが満更でも無さそうに顔を赤くして腕を振る。

 褒められてよほど嬉しいのか、照れながらも喜びが隠せない様子だ。


 妹が褒められて誇らしいような、妬ましいような。

 少しだけ離れた場所で、スツーカは複雑な気持ちを抱えて眺めていた。



「あーあ、俺も魔術が使えていたらな。もしかしたら、一緒に狩りができるかと思ったんだけど」


 シロウはそういうと、今度は気落ちしたように肩を下げる。


 ああ、だから今日になって見学がしたいと言い出したのか。

 姉妹はシロウの内心を察して言葉をかける。


「もう。お兄ちゃんってばそんな事考えてたの? 駄目だよ、狩りって危ないんだから。お兄ちゃんが危険な事したら、みんな心配で泣いちゃうんだからね」

「そ、そうです。転んでケガでもしたら、大変、です」

「……俺って、小さな子供だと思われてる?」


 二人の心配の声を聞いて、シロウは心配しないようにと笑って首を振った。


「分かってるって。心配しなくても、勝手に危ない事なんてしないよ」


 せっかくの異世界とはいえ、シロウは何の力もない一般人なのだ。

 せいぜい魔術の実践がしてみたい程度の考えであって、危険に飛び込むような真似をするつもりはない。



「あ、そういえば。その魔物って何処かで血抜きしないと食べられないよね? ギルドとかに頼めばやってもらえるの?」

「あ、これはね。…………はい。できた。こんな感じで、食肉加工の魔術を使えばすぐに食材にできるんだよ」

「うわ、便利」


 それはそれとして。

 早く魔導技術を習得したいと改めて感じたシロウであった。




 --------



「…………」


 一方、その頃。

 楽しそうに過ごすシロウ達の様子を、遙か上空から見つめる人影があった。


「どう? 彼らの言っていた通りだった?」

「……ああ。どうやらそのようだ」

「え、本当に?」


 地上で戯れるシロウから視線を逸らさないまま、人影が答える。

 すると、その返答に興味をそそられたのか。

 場に居たもう一人の影が隣にやってきて下界を覗き込んだ。


「うわ。本当マジじゃん。どうするのさ、一体」

「当然、迎え入れるに決まっている。あの者に相応しいのは、などではない」

「ふーん。ま、いいけどね。僕としては、暇が潰せれば何でも」


 楽しそうな表情を浮かべて、少年は笑う。

 隣に並ぶ青年が何をするにしても、しばらくは退屈せずに済みそうだ、と。

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