第54話 ダンジョンお散歩デート その1
ダンジョンの第二階層に降りると、雰囲気が一変した。壁は苔むしており、床には古い石畳が広がっていた。天井からは水が滴り落ち、薄暗い光が不気味に照らし出していた。
一行がしばらく進むと、やがて広場のような場所に出た。その中央には明らかに他とは雰囲気の違うゴーレムが佇んでいたが、シロウ達が身構える前に素早く距離を詰めたセレスが魔力を込めた一撃で瞬く間に蹴り砕いてしまった。
「ふぅ。今のがこの階層のボスみたいね」
「ボ、ボスを素手で一撃って……。セレスさんって、本当に強いんですね」
「ふふ、ありがとう。前回は調査だから隠れて通り抜けたけど、今回は人数も多いから先に倒しちゃった」
「え。ボスって無視して進んでもいいんですか?」
「まあ……相手に見つかりさえしなければ、わざわざ相手にしなくても、特に問題は無いんじゃないかな?」
「そっか……やっぱゲームと現実は違うんですね」
「ゲーム?」
「あ、いえ。何でもないっす」
セレスが広間を抜けて、第三階層への道を先導する。
しかし――。
「あれ? この先が第三階層に繋がってるはずなんだけど。通れなくなってる……」
「え?」
「ほら、ここ。透明な壁があるの」
突然立ち止まったセレスに促されて、シロウが何もない空中に手を伸ばすと、透明な壁にぶつかった。
「あ、ほんとだ」
「おかしいわね……。前回調査に入った時は、こんな壁なかったのに」
一本道を見えない壁が遮っている。
つまり、壁をどうにかしない限り、その先には進めないことを意味していた。
「この壁、破壊できたりしないんですか?」
「うーん……。止めておいた方がいいかな。ダンジョンの仕掛けを強引に破壊すると何に影響するか分からない。最悪だと崩落の危険性もあるから。……でも、何故こんな所に壁なんか……」
一行が困って立ち往生していると、周囲を調べていたキサラが突然声を上げた。
「……あ。ねえ、こっち! 扉があるよ!」
岩陰となっていて分かりにくいが、よく見るとその壁には確かに扉がある。
ドアノブを捻ると、扉はキィと音を立ててあっさりと開いた。
「おお、やったなキサラ! よく見つけた! えらいぞ!」
「ふふん。これでも狩人志望だよ? 観察力には自信あるんだから」
シロウに褒められて、キサラが嬉しそうに胸を張った。
「もしかしたらこの部屋に何か仕掛けが、って、何だこれ……?」
その部屋を覗き込んだシロウは目を見開く。
人工的なタイルの壁と床。中央には汚れ一つ無い純白のテーブルと一対の椅子。
天井には照明が吊り下がり、部屋をほのかに暖かく照らしている。
その部屋は明らかに先ほどまでのフロアとは様相が異なり、まるで別世界のようだった。
「何々どしたのシーたん。って……ナニコレ。ここ、休憩所かなにか?」
シロウの肩越しに覗き込んだナツキが驚きの声を上げる。
「ねえ、ダンジョンの中にはこんな部屋もあるの?」
「いいえ。私が知る限り、他のダンジョンでこんな部屋は見たことないかな。このダンジョンを管理していた者が、何らかの意図で用意したとしか……。
——ああ、そう。そういう事ね」
ナツキが訊ねると、セレスは何事かを考え込んだ。
「セレスさん?」
「……ああ、えっと。何でもないの。それより、シロウ君。あそこのテーブルと椅子、何だか気にならない?」
「ええ……、それはまあ。わざわざああして置いてあるって事は、座れってこと……ですよね?」
シロウが確認するように言うと、セレスははっきりと頷いた。
「そうね。試しに座ってみましょうか」
「ええ? あんな怪しい椅子に座るの? 危なくない?」
ナツキは心配そうに二人の顔を見やるが、シロウは好奇心にうずうずとしていた。
「まあまあ。危なそうならセレスさんが止めるだろ。ですよね?」
「ええ。……とはいえ、椅子は二人分しかないし、この部屋は二人組を想定しているみたい。悪いけど、貴女たちはちょっと外で待っていてもらえる?」
「は、はぁ!? だ、だったらアタシがシーたんと座るし!」
「はい、はい! でしたらわたくしも立候補いたしますわ!」
慌てて口を挟む少女たちに、セレスは冷静に返した。
「私じゃないと万が一何かあった時に対処が難しいもの。大丈夫、ボスを倒した影響でしばらくは魔物も出てこないと思うから。ほらほら、貴女たちは安心してお外で待っていてね」
「ちょ、ちょっと!押さないでってば!」
「わぷっ。ナツキ様、そのように圧迫されると、息ができませんわ~~!!」
背中を押されたナツキに顔面を圧しかかられて、フィーナが悲鳴を上げる。
騒ぎ立てる少女たちをなかば強引に追い出して、セレスはシロウに微笑みかけた。
「ほら、シロウ君。座ってみましょう?」
「は、はい」
彼らが座ると、部屋の中にどこからともなく人工的な声が響いた。
”お客様、ご注文をお伺いします”
「え?」
「ご注文って……、あら。これ、もしかしてメニューかしら」
セレスがいつの間にかテーブルの上に置かれていたメニューを手にする。
そこに書かれているのは、一般的な喫茶店で出されるようなありふれたものばかりだ。
「どうやら、何か注文しろって事みたいだけど……。シロウ君は何がいいかな?」
「じゃあ……アイスコーヒーで」
「私はオレンジジュースにしようかな。えーっと、どうやって注文を伝えればいいのかしら」
”アイスコーヒーとオレンジジュースですね。かしこまりました。少々、お待ち下さい”
またしても人工音声が流れる。
僅かな時間が過ぎた所で、突如テーブルの上に注文のドリンクが出現した。
シロウが目を白黒させる中、セレスは何食わぬ顔でオレンジジュースに口を運ぶ。
「あ、よく冷えていて美味しい」
セレスに習って、シロウは恐る恐るカップに口を付ける。
「おお。本当にコーヒーだ」
「まさか、ダンジョンの中でこういう形で落ち着けるなんて思わなかったわね」
よく冷えたコーヒーの影響で、火照った身体が冷まされていく。
人心地ついたシロウは、せっかく二人きりになったので、彼女の言葉について尋ねてみることにした。
「あの……。そろそろ、教えてもらえませんか?」
「うん? 何をかな?」
「初めて会った時、セレスさん言いましたよね。俺がこの世界に来た理由を教えるって。あれって、どういう意味ですか?」
その言葉に釣られてこんな所に来てしまったようなものだ。
セレスは顎に人差し指を当てて少し考えると、悪戯っぽく笑みを浮かべた。
「——ふふ、今はヒミツ。だって、まだ早いもの」
「え~?」
勿体付けるようなセレスの態度に、シロウは思わず不満の声を上げる。
「どうしても今、教えてほしいのなら。私達もっと仲を深めないと、ね」
「え……」
セレスはテーブルの上に置かれたシロウの手に、優しく自分の手を重ねた。
「あ、あの……?」
「ふふ、かわいい。緊張してるんだね。それとも、照れてるのかな?」
セレスの白い指先が、シロウの手の平を軽くくすぐりながら、彼の瞳をじっと見つめる。
その甘く柔らかなタッチに、シロウの心臓がドクンドクンと跳ねた。
「ねえ、二人きりだよ。君が今、何をしたいのか。お姉さんに教えて……?」
蠱惑的な視線と手の平から伝わってくる体温に囚われて、シロウは自分の頭に血が上るのを感じる。
不味い。このまま二人きりでいると、何か取り返しのつかない事が起きるかもしれない。
「す、すいませんっ!」
「きゃっ」
シロウは勢いよく手を引っ込めた。
セレスの手を振りほどくような形になってしまったが、あのまま良いようにされていては、おかしな気分になりかねないので止むを得ない。
シロウは顔真っ赤にしながら背を向け、手のひらを突き出して言った。
「あ、あの! 俺、そういうつもりで付いてきたんじゃないですから! ま、まだ会って間もないし、皆だって外にいるしっ。……と、とにかく! そういうのは俺にはまだ早いっていうか!」
自分でも混乱して、何を言っているのかよく分からない。
とにかく、これ以上変な気持ちにならないうちに話を終わらせようと必死だった。
「だから、その。何というか……」
言葉を探していると、シロウはセレスが静かになった事に気づいた。
「あ、あれ。セ、セレスさん?」
「…………」
ちらりと横目でセレスの様子を窺うと、彼女は顔を真っ赤にして固まっていた。
シロウが視線を下に落とすと、自分の突き出した手が彼女の胸元を掴んでいるのが目に入った。
「お、おわぁっ!? ご、ごめんなさい!」
シロウは慌てて手を引くが、彼女は顔を真っ赤にして硬直している。
「い、いえ、大丈夫……」
セレスは震える声で言いながら、わずかに後退した。彼女の声には、戸惑いと恥じらいが混じっている。
「ほ、本当にすいません。その、わざとじゃないんですけど……」
シロウは深々と頭を下げる。
セレスは深呼吸をし、少し落ち着きを取り戻した様子で言った。
「ご、ごほん。——そ、そんなに気にしなくてもいいよ? 私もちょっとその……びっくりしただけだから。あ、あはは。それより何だかこの部屋、ちょっと暑いね?」
セレスは自分の赤らんだ頬に気付くと、誤魔化すように手でぱたぱたと仰いだ。
「あー、その……」
「えっと……」
気まずい沈黙が部屋を満たす。
その時、再び人工音声が流れだした。
”二人の間で親愛度の上昇を確認しました”
「は?」
「え?」
”素晴らしいです。その調子で先に進んでください。日を改めて、第三階層を解禁します”
そう言い終わると、それきり音声は流れなくなった。
二人の間に再び沈黙が訪れる。
「……全く。本当に趣味が悪いったら」
セレスが微かな声でぼそりと呟く。
シロウが聞き返そうとするが、セレスは取り繕ったように笑顔を浮かべて話を促した。
「さあ。気を取り直してゆっくりお話でもしよう? お姉さん、シロウ君が普段どうやって過ごしてるのか興味あるなあ」
「そ、そうですね……?」
急に世間話を振られてシロウは咄嗟に話題を考えたが、何も思いつかずに言葉を濁した。
「えっと、普段は……」
その時、部屋の外から少女たちの声が聞こえてきた。
「シロウ様、まだですの~? わたくし待ちくたびれましたわ~!」
「あれ? ちょっと! なんかこの扉、開かなくなってるんだけど! セレスさん、シーたんに変なことしてたりしないよね!?」
「あ、もう呼ばれてるみたい。そろそろ出ないと怒られちゃうね」
「そうっすね」
シロウはほっとした表情で答えた。セレスもまた、緊張が解けたように微笑んだ。
「じゃあ、行こっか」
「でもなんか、扉が開かないって言ってますけど」
「ああ。それなら、多分大丈夫。きっと内側からなら……」
セレスがドアノブを回すと、扉はあっさりと開いた。
二人が外に出ると、扉は幻のように掻き消える。そこに残されていたのは、ただの壁だった。
「……結局、何の部屋だったんだ?」
「……さあ、なんだろうね」
人工音声の言葉を信じるならば、この先に進むには日を改めなければならないらしい。
シロウは少女たちにそのことを伝えると、元来た道を引き返すことにした。
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作者からのお知らせです。
新作を連載開始しました。
「悪役転生に憧れて!~最強無双のぽんこつ奴隷、悪役街道いざ往かん~」
https://kakuyomu.jp/works/16818093079061697932/episodes/16818093079069542883
この作品とは少々毛色が違いますが、とぼけた主人公が愛重な女の子に囲まれるなど、一部の要素は共通しているので、そういうのが好きな人は是非ご一読下さい!
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