第10話 異世界人と天上人

 息が詰まるような緊張感が漂う教室内で、シロウ達はひそひそと囁き合う。


「あのさ。俺、よく分かってないんだけど。誰か偉い人でも来てるのかな?」

「さあ……。でも、さっきの放送だと男の人が来たって言ってたね」


 シロウと同じように首を傾げながら、コペが答える。

 彼女はどこか落ち着きなく、そわそわしていた。

 周囲を見回すと、他の生徒たちも同様に固くなっているような、それでいて何処か期待しているような。おかしな雰囲気だった。


「うーん。男が来たってだけでこんなに慌てるもんかなあ。どこの誰が来たかも分かんないのにさ。男ってそんなに珍しいの? 確かに全然見かけないけど」


 不思議そうに頬杖を突きながらそう言うと、聞いている周囲の生徒はぎょっとした空気でシロウを見つめた。


「え、え。何?」


 想像よりも大きな反応に、シロウは思わずポーズを崩してきょろきょろと皆の顔を見渡す。

 周辺生徒からの無言の後押しを受ける形で、代表するようにコペが口を開いた。


「あ、あー……。そういえばクサカ君は、これまでの記憶がないんだよね。いつも楽しそうに日々を過ごしてるから忘れてたけど……。なら、男の人について知らなくても無理ない……の、かな?」


 言いながらもいまいち納得がいかないのか、語尾に疑問符がついている。

 それほど、男という存在については知っていて当然の常識という事だろう。

 シロウは慌てて言葉を繋げる。


「そ、そう! いや、その辺の記憶も全部吹っ飛んでてさ! まったく、記憶が無くなると色々困っちゃうよね。あはは、あは……」


 乾いた笑いで誤魔化すシロウに、今度は周囲の生徒達から同情するような視線が向けられる。

 そう本気で心配されると、まさか記憶喪失なんて言い訳の為に適当にでっち上げた設定だとは言い出せず、罪悪感がちくちくと刺激されて辛い。


「そっか……。そうだよね。第一、考えてみればクサカ君も男の人なんだから、私達みたいに『決して男の人に粗相がないように』なんて教えられたりしないよね」


 納得した様子でコペがうんうんと頷く。


「シーたん、世にも珍しい学園系男子だもんね~。そこいらの男の人よりずっと貴重ってーか、レアキャラだもん」

「何それ」

「アタシら、ものすご~く運が良いってコト」


 振り向き、だらりとシロウの机に寄りかかりながらナツキが微笑む。見れば周囲の生徒達も、各々理解したような表情を浮かべている。どうやら、シロウの失言は狙い通り記憶喪失の影響として処理されたようだ。

 無事に乗り切った事に安堵の息を吐くシロウだったが、それはそれとして疑問は残る。



「でさ。結局、なんで男が来るってだけで皆大騒ぎしてるの?」

「えーっと、それはね。普段、男の人は天上のそのに住んでるのは知ってるよね」

「う。うん、知ってる。天上の園ね。それそれ。有名だよねー。……それで?」


 知らん。何それ。

 そう言いたい気持ちをぐっと抑えつつ、シロウはさも当然かのように言葉を返して続きを促す。


「日頃、雲の上の楽園で暮らしてる男の人達が地上に降りてくるのなんて、何かの儀式とか、あるいは戦争や王位継承みたいな地上の歴史に関わるような大きな出来事の時くらいなの。だから本来、私達みたいな普通の学生が、男の人を直接目にすることなんてないんだ」


 でも私達にはクサカ君がいるから別だけどね、とコペは嬉しそうに付け加えた。

 どうやら、この世界の男というのは相当に珍しい存在らしい。


「なるほど。それで普段は男を見かけないのか。テレビにも女の人しか映らないから、男の数って女に比べて滅茶苦茶少ないのかと思ってた」

「あはは。確かに、地上に暮らす私達からしたら男の人は少ないらしいよ。でも、それでバランス取れてるのかもね。だって、男の人ってゆうに数百年は生きるっていうし」

「数百年!?」


 衝撃的な言葉にシロウは耳を疑う。


「う、うん。私はそう教わったよ。私たち地上に住む人よりも、若い時間が何倍も長いんだって。だから今は忘れてるだけで、もしかしたらクサカ君も私よりずっと長く生きてる……のかも」


 そう言ってコペは遠慮がちながらも興味深そうにシロウの姿を眺めた。

 元の世界では至って普通に成長した高校生だったのだが、現状だと否定するわけにもいかず、シロウは曖昧に微笑む。


「ま、まあその辺はおいおい記憶が戻ったらってことで。それより、雲の上から降りてくるって、この世界の男って羽根でも生えてるの?」

「翼は生えてないけど、男の人はみんな信じられないほど魔導術を扱うのが上手なんだって。空を自由に飛び回るのも簡単らしいよ」

「そっか。魔法で飛ぶんだ……」


 シロウは自分の手のひらを見つめて何事かを考える。

 その表情を前の席から眺めていたナツキが、口を挟んだ。


「シーたんも男の人なんだし、練習してればすぐ飛べるようになるんじゃん?」

「……俺、そんなに顔に出てた?」

「んひひ。アタシはシーたん鑑定士だからね」

「それはちょっと怖いかも」

「あ、ひどー」


 二人は小声でけらけらと笑い合う。

 辺りがしんと静まり返っているので、あまり大きな声を出す気にはならない。

 しかしそれでも多少は騒々しかったらしく、セリナ先生がシロウ達を見つめて両手でバッテンを作る。


「あ……」

「怒られちったね、シーたん」

「静かにしてようか。コペ、教えてくれてありがとね。続きはまた今度教えてくれる?」

「いいよ。私に分かる事ならいつでも聞いてね」





 そうして待つこと数分。

 訪ね人はシロウの教室に現れた。


 戸が開き入って来た二人の人物を見てざわり、と一瞬だけクラスの空気が変化した。

 しかし失礼があってはならないという教育の成果か、誰も声を発する事なく沈黙している。


 滑らかな黒髪をたなびかせながら教室を見回した冷たい美貌の青年は、壁際に座るシロウの姿を確認して口を開く。


「失礼する。クサカ・シロウ殿。我々は、貴方を迎えに来た」

「え、俺ですか?」

「そうだ。その前に、少し付き合ってもらいたい場所がある。どうか我々に付いて来てほしい」


 一見して怜悧そうな青年の鋭い視線で真っ直ぐに貫かれたシロウは、いくぶん引きながらも自分に指を指す。当然、思い当たる節はない。

 しかし、先ほどの話からすると、目の前の二人組はわざわざ自分を訪ねて雲の上からやってきたのだ。そう考えるとあまり無下にも出来ない。


「え、えっと……」


 判断に迷ったシロウはちらりとセリナ先生の方を見る。

 先生はびくりと肩を震わせると、困ったようにしながらも首を縦に振った。

 彼らの言う事に従ってほしい、という事だろうか。


「……分かりました。付いて行けばいいんですね?」

「ああ。お願いする」


 訳も分からずに、シロウは席を立った。


 やがて三人が連れ立って教室を出て行くと、後に残されたのは動揺にざわめく生徒たちと、心配そうな表情の教師だけだった。



 しんと静まった廊下を先導する青年の足元から、カツカツとブーツの音が響く。

 その後ろに続く金髪の少年、そしてシロウ。


 言葉も無く付いて行く間、シロウは二人の横顔を観察する。それにしても、二人ともとんでもない美形だ。

 片や西洋風の顔立ちに透き通るような金髪碧眼の少年。一方の黒髪黒目の麗しい青年は額に黒い宝石のような物が埋め込まれており、何処か圧倒されるような雰囲気を放っている。


「あ、あの。これからどこに行くんですか?」


 シロウは沈黙に耐えかねて、隣を歩くさらりとした金髪の美しい少年に訊ねる。


「ああ。そういえば説明してなかったね。オニキス?」

「……我々が向かっているのは、実習場だ」

「え?」


 困惑するシロウに、オニキスと呼ばれた青年が振り返った。


「我々が、魔導の使い方を教えてやろう」

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