第4話 子ねずみと新天地
リファリス大陸の大部分を支配する神聖エルジナ王国。
そして大陸の南西に位置する、王都エスタリア。
水源豊かで穏やかな気候に護られたこの地は、500万を越える人口を抱える超巨大都市である。此処はそんな王都の区画の中でも比較的外周部に位置する、エリュシア魔導学園都市。その都市の名を冠するエリュシア魔導学園の一室である。
シロウの為に特別に招集された講師による、ファンタジー感溢れる解説を流し聞きながら、シロウはこみ上げる眠気を抑えるのに苦労していた。
(あかん。全然頭に入ってこん)
「退屈でしょうが申し訳ありません。入学に先駆けて、せめて基本的な知識だけでも身に着けていただくべきという上の方針でして……」
「あ、いえ。すいません」
欠伸を噛み殺すシロウの様子を見た講師が、苦笑しながらシロウに語り掛ける。
流石に自分の為に行ってくれている授業でだらしない態度を取っていたら、全方位に失礼が過ぎるというものだろう。
自省を込めて頭を下げる。すると、途端に講師の方が慌てだした。
「ああ、その! 頭をお上げください! 男性の方に頭を下げさせたなどと知られたら、大変な事になってしまいます!」
反省のつもりで講師の首を飛ばすわけにはいかない。
シロウが頭を上げると、ほっとした様子で講師が胸を撫で下ろした。
「記憶を全て失ってしまうというのがどれほどの苦痛か、私如きには到底想像も叶いません。クサカ様の境遇を考えると、このような授業などを強要するのは大変心苦しく……」
「いえ。気にしないでください。俺は全然気にしてないので」
「ああ、なんとお優しい……。クサカ様の慈愛の心、私などに向けられるのは恐れ多いことですわ」
感動のあまり、講師の目端から涙の雫が零れる。
シロウとしては気まずさから適当に返事しただけなので、大袈裟に受け取られると面食らうしかないのだが。
異世界に来てから数週間。
激動の日々だった。
シロウは異世界に来てから最初にお世話になった少女、スツーカの勧めで記憶喪失を装う事にした。
世間に異世界人という事が知れれば、どうなるか分からない。首尾よく保護する方向に話が進めば良いが、万一捕まって異世界に関する研究の実験台に、などという事になれば目も当てられない。
それならば、記憶喪失という事にしておいた方が、まだリスクが少ないのではないかという結論に達した。
そうして、右も左も分からない異世界人であるシロウは、右も左も忘れた記憶喪失の謎の男シロウとなったのだ。
とはいえ、着の身着のまま放り出された何の力もない高校生だ。
異世界人だろうが記憶喪失だろうが、明日からの身の振り方を考えないと、すぐに野垂れ死ぬ羽目になるだろう。
そんな風に考えていたシロウは、己の考えが的外れだった事を知る。
この世界はシロウに、というか男性に。とんでもなく甘々だったのだ。
記憶喪失という設定で改めてスツーカの母、エリスに身の振り方を相談したシロウは、すぐさま彼女の運転する車に乗って役所に連れられた。
どうやらエリスは市役所の職員だったそうで、その類の手続きは
あっという間に身元引受人(異世界にそのような制度があるのかは不明だが)のような立場となったエリスによって、シロウは正式に彼女の家に引き取られる事となった。
シロウの元居た世界なら、こうもすんなりと話が進むことは無かっただろう。
自分の持つ常識がさっぱり通じないこともあり、シロウはエリスに全てを任せることに決めた。
感謝の気持ちを込めて、これからよろしくお願いします。とシロウがぺこりと頭を下げると、エリスは大変嬉しそうに頬に手を当てて、あらあらあら。まあまあまあ。と照れていたのが記憶に新しい。
そうしてエリスたち母娘と生活するようになって、一週間も経った頃。
スツーカとキサラの通うエリュシア魔導学園から、とある通知が届いた。
シロウに、魔導学園に通わないかという内容だ。
何故シロウに声がかかったのかは不明だが、少なくとも強制ではないようで。
当人の自由意志に任せるが、もしも学園の門戸を叩くならその時は歓迎するという。何と、その為の費用も全て学園が負担してくれるとの事だった。
この通知に狂喜したのは、シロウよりもむしろスツーカとキサラだった。
彼女達は、学園に通っている間はシロウと顔を合わせられない事をひどく苦痛に感じていたようで、シロウも学園に来てくれるのなら願ったり叶ったりといった様子。
一方でエリスは渋面だったが、魔導学園からの通知に思うところがあるようで、直接的な反対は無かった。代わりにすこぶる不機嫌になったので、日頃の労り二割、ご機嫌取りの下心八割で肩揉みのマッサージを申し出たところ、今度は機嫌が急上昇してしばらく戻ってこなくなった。
そうして記憶喪失の謎の男シロウは、エリュシア魔導学園の学生シロウとなった。
ちなみに、元の世界に還れないか密かに試してみた事がある。
スツーカと出会ったあの高台から木々を分け入り、そのまま真っ直ぐ進んでみたのだ。
結果としては、まあ何となく予想はしていたが向かい側に出ただけで。
来た道を戻れば元の世界に戻れる、なんていう都合の良い話は無い事が判明しただけだった。
まあ、今更スツーカ達に黙って元の世界に帰るつもりは少年には無い。
なので万が一元の世界に戻れても、両親の墓に一言挨拶だけして戻ってくるつもりではいたのだが。
そうした事情から大して落胆もせずに家に帰ってみると、リビングでじっとシロウの帰りを待っていたスツーカにしんしんと泣かれてしまった。
どうやら、何をしに高台に行ったのか、彼女にはお見通しだったようだ。
「あ、あの。元の世界……帰り、たい……ですか?」
「うーん……どうだろ。この世界の人って皆すごく優しくしてくれるし、別に恋人とか居たわけでもないしなあ。こっちの方が居心地良いかも」
「あ、そう、なんですか。……えへへ」
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