第5話 子ねずみ姉妹と年上好き
エリュシア魔導学園。
いよいよ、今日からシロウもこの学園に通う事となった。
今までこの学園に通う際はエリスの車で送迎されていたので自分の足で通学するのは今回が初めてだったが、両隣に並んだスツーカとキサラによる案内で、迷う事なく登校することができた。
正門前に立って、学園を仰ぎ見る。
雲一つない青空に照らされた美しく真っ白の校舎が眩しい。
新築なのかなと何となしに疑問をこぼすと、なんと建てられてから数百年も経っているのだと右隣に立つキサラが教えてくれた。
聞けば、学園全域には常に清潔感を保つ魔術が働いているのだという。
家では車やテレビ、冷蔵庫や洗濯機など元の世界でも見慣れた物に囲まれて、シロウには未だにあまり実感が湧かなかったが、こういう部分はしっかりとファンタジーである。
魔導と現代科学。
一体、この世界はどういう歴史を辿り、どのような発展を遂げてきたのだろうか?
疑問は尽きないが、学園に通っていればいずれ学ぶ機会もあるだろう。
シロウはひとまず湧き出る疑問を仕舞い込むことにした。
学園の真正面で立ち止まって上方を見上げる三人に、すれ違う学生達から好機の視線がちらちらと寄せられる。
どうにも目立っている。だが、それがシロウの高揚感を引き上げた。
急遽用意された新品の制服に袖を通したシロウの気分は、うきうきの転校生である。
「にしても……」
「ん? どうしたのお兄ちゃん?」
何となくといった様子で口を開いたシロウの右腕を取り、顔を覗き込むようにひっつきながら、キサラが訊ねた。
彼女は数週間の居候生活の間に、シロウにすっかりと懐いていた。
というには初日から懐まで飛び込まれていたのだが、当のシロウが何も考えず接した結果、今ではすっかり兄妹のような近しい距離感となっている。
ちなみに、左隣で手を出したり引っ込めたりしながら、羨ましそうに妹の様子を観察しているスツーカとの距離感は、初日からあまり変わっていない。
「いやさ。この学園って、ほんとに女子校じゃないんだよね? 俺が居てもいいんだよね?」
「だから、もう何度も言ってるじゃない。ジョシコー?が何か知らないけど、お兄ちゃんならみんなも大歓迎に決まってるよ!」
「あ、ああ。それは覚えてるんだけど、いざこうして周りを見てみるとさ。本当に、女子ばっかりなんだなって……」
そう言いながら、シロウはきょろきょろと周囲を見回す。
見渡す限り、女子ばかり。
制服を着た学生も、スーツ姿の講師も、用務員と思われる作業着の人間に至るまで、女性しか居なかった。
(そもそも、この世界に来てから男って見たことないんだよな……)
勿論、疑問に思ったのはこれが初めてではない。
まずもって、数週間も居候させてもらっているスツーカ達の父親ですら、今日の今日まで見た事がない。それも存在の痕跡すら感じられないのだ。
当然、気になっていた。
しかし、何となくどう聞いたらいいものか分からなくて、今日まで疑問を疑問のまま、先延ばしにしてしまった。
スツーカ達や役所の人達、常識を教えてくれた臨時講師など、これまで接してきた人々の反応から察するに、ここでは男というのは相当珍しい存在なのだと思われる。
(まさか、男ってもう絶滅してたりして……そんで子供は魔術で生まれる、とか。
……んなわけないか)
浮かんだ想像をすぐに切り捨てる。
もしそうだったら、役所に届け出た時点でもっと大騒ぎになっている事だろう。
「んもう、こんなところに男の人なんて普通いないよー。ほら、お兄ちゃんが珍しいから、みんなこっち見てる」
そう言ってキサラが周囲に視線を巡らせる。
そうした会話の間にも、足を止めて興味ありげにこちらを遠巻きに眺める学生の数が増えていく。
無遠慮な視線を向けられて、シロウの左隣からびくついた気配が伝わってきた。
「……悪い、正門前で立ち止まってたら通行の邪魔だよな。行こうか」
「うん。行こ!」
「ほら、スツーカも」
「あ、は、はい」
シロウが声をかけると、びくりと肩を震わせてスツーカが反応した。
あちこちから飛んでくる視線に怯えているのか、その顔色はあまり良くない。
心配になったものの、何事かを口に出す前にキサラが元気良く腕を引っ張るのに釣られてシロウは歩き出した。
校舎の中は外観から想像できる以上の広さで、何度か通った事があるとはいえ、一人で歩けばたちまち迷ってしまうだろう。
慣れた様子で先頭を歩くキサラの後を追いながら、シロウはそっと斜め後ろを覗き見る。
校舎に入った事である程度視線が減ったおかげか、少女の顔色から先ほどより幾ばくかマシになったようだ。
思わずほっと息をつくと、その気配に気付いたスツーカが不安そうに小首を傾げる。
「あ、あの……?」
「ああ、いや。何でもない。……職員室って、まだ先なの?」
「あ、ええと。も、もうすぐ。そこです」
控え目に少女が指をさす先に目線を向けると、そこには一人の教師が待ち構えている。
教師はつかつかとヒールの音を鳴らして歩み寄ってきた。
「おはようございます。クサカ・シロウ様ですね」
「あ、はい。おはようございます!」
「あら……。ふふ、元気な挨拶をありがとうございます。私はこの度、クサカ様の担任になったセリナと申します。どうぞ、よろしくお願いしますね」
そう言って、セリナは淡い青色のふわりとした髪を揺らしながらおっとりと微笑んだ。
優しそうな若い女性教師を前にシロウは少なからず高揚感を覚えたが、それとは別にまずは言うべきことがあった。
「あ、あの……セリナ先生?」
「はい、セリナ先生です。なんでしょうか、クサカ様?」
にこり。
セリナの暖かく柔らかな慈母の微笑みに思わず怯んだシロウだったが、気を取り直してどうにか二の句を継ぐ。
「えっと。そのクサカ”様”っていうの、出来たら止めてもらえたら嬉しいなーって。その、距離を感じるのってあんま好きじゃないんです」
「あ、あら。それは……よろしいのですか?」
「うす、勿論です! 俺なんてホント、大した奴じゃないんで! 気軽に接してもらえた方が嬉しいですから!」
「まあ……」
冗談めかしつつも本音で言い募るシロウに当初は困惑していたセリナだったが、本気で言っているのが伝わったのか。
改めてにっこりと微笑むと、そっとシロウの頭の上に手を差し出した。
「まあまあ、うふふ。クサカ君は、とっても謙虚で良い子なのね。その調子なら、お友達もすぐにたくさん作れるわ」
「あ、あの……」
「良い子ね、とっても良い子。ふふ」
なでなで、にこにこ。
とてもご機嫌そうにシロウの頭をゆるゆると撫で続けるセリナに、軽く頭を下げた体勢のまま身動きが取れなくなるシロウ。
これは、一体何の時間なのだろうか。
「ちょっとー、セリナせんせー?」
「あ、あらあら。ごめんなさいね」
心無しか不機嫌そうな声色でキサラが声をかけると、セリナはハッとしたように手を引っ込める。少し顔を赤くしながら、口許に手を当てて恥ずかしそうに一歩下がった。
「ふう。助かったよ、キサラ」
「ひぅっ」
心地良くも身動きが取れずに困っていたシロウがキサラの耳元で感謝を囁くと、吐息がくすぐったかったのか少女は妙な声を上げながら、ジトっとした目を向けてきた。
「……お兄ちゃんって、ああいう人が好みなんだ?」
「え」
妹分からの突然の糾弾。
咄嗟の答えに窮して逃避気味にシロウが振り向くと、そこには何故か涙目になったスツーカがいた。
「あ、あの……。そうなん、ですか?」
「あー、いや、うーん……」
どう答えたものか、シロウは悩む。
本音を言えば好みも好み、ドストライクなのだが。とは言え、正直に伝えるのは何となく躊躇われた。
何せ、目の前で恥ずかしそうに顔をぱたぱたと扇いでいる女性は、何処となく少女たちの母親と雰囲気が似ているのだ。
そんな相手に対して好みド直球だとのたまうのは、何かしらのデリカシーが欠如しているのではないか。
少年にしては珍しく気を回した結果であった。
結果として、セリナが気を取り直すまで姉妹の意味ありげな視線を受け止め続ける羽目になったシロウだった。
「はい。それでは、転入生を紹介します。どうぞ」
教室内からセリナの声が聞こえて、シロウは目の前の扉を開いて中に入った。
しんとした静寂。全身に向けられた視線だけが痛いほどに突き刺さってくる。
意識して平常心を保ちながら、少年は教壇へと歩を進めた。
「今日から皆さんと一緒にお勉強することになりました、クサカ・シロウ君です」
「久坂史郎です。諸事情で右も左も分かりませんが、仲良くしてもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします」
「クサカ君は、訳あって今の生活に慣れていないそうです。どうか、学友として皆さんも色々と助けてあげてくださいね」
ぺこり、とセリナ先生の言葉に合わせて頭を下げる。
一拍置いて顔を上げ、続けて親しみやすさを演出しようとシロウは笑顔を浮かべた。
予想に反して、教室内の空気がいっそう静まり返る。
(あ、あれ? 思ったより反応悪いな)
もっと、キャーキャーと黄色い悲鳴が上がるのを想像していたシロウは、肩透かしを食らったような感覚。
どうやらこの世界の女性は男に興味深々のようなので、自分のクラスにある日突然男子が現れれば、もっと盛り上がるものかと思っていた。
(これは、我ながら自惚れてたな……恥ずかし)
シロウは思わず遠い目を浮かべる。
これまでの扱いが扱いだったので、どうやら自分でも知らず知らずの内に随分と調子に乗っていたらしい。
ほんの数週間前までの、何者でも無かった自分を思い返して、人知れず少年は反省するのだった。
この時のシロウは、まだ知らない。
未だ社会に出ず、異性に出会う機会などあるはずも無い自分達の周辺に、ある日突然、唐突に男子が現れた少女たちの心情を。
その男子が、常識では考えられないことに、とても親し気に笑顔を浮かべて頭を下げた時の少女たちの衝撃を。
こうして、シロウの学園生活が始まった。
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