第40話 異世界人は血を流す
※一部、過激な表現を含みます。ご注意ください。
シロウと新たなる天上人――ルベライトの出会い。
相手が好意的な態度であったことから平和的に行われた一幕、その矢先。
破綻はルベライトが続けざまに零した一言から始まった。
「それで。そこの者達は貴様に随分と馴れ馴れしいようだが。従者か?」
「ひ、ひぅ……」
先ほどまでシロウに向けていたものとは異なり、酷く冷淡な眼差しがスツーカを貫く。思わずといった様子でシロウの背中に隠れるスツーカを見て、ルベライトはその端正な眉を不快そうに歪めた。
「不敬だぞ、娘。この俺に頭を下げず、あまつさえシロウを利用して我が視線から隠れようとは」
「あ、う……」
「ちょーっと待った。この子は俺の大切な家族なんすよ。失礼があったのなら俺が代わりに謝るんで、許してあげてもらえませんか?」
シロウが庇うように腕を伸ばしてスツーカの姿を隠すと、ルベライトはその背後をじろりと睨む。
「ほう、このような貧相で粗末な娘がか? 貴様、どうやらあまり趣味が良くないようだな。どうだ、あちらの方がまだしも貴様には似合っているぞ。どうせ飼うのならば、あれの方が良いのではないか?」
ルベライトが顎で示したのは、先ほど挨拶の口上を述べていた第一王女エルダリア。
突然話題に上った彼女は目を見開いて驚いている。
「わ、わ、わたくしが。そちらの男性に飼われる……?」
「貴様さえその気なら、この俺が良い様に取り計らってやろう。そうだ、ついでにこの国の玉座にも貴様が座るが良い。我らとしてもその方が話が早いと――」
「い、いやいやいや!! ちょっと、何言ってんですか!!」
シロウは慌てて否定するように首を振る。
「ん、なんだ。あの女では不満か?」
「そ、そうじゃなくて! 飼うだとか何とか、俺とスツーカはそんなんじゃありません! 第一、そんな話は王女様に失礼ですから!!」
「む。そうか? まあ他ならぬ貴様がそう言うのなら、これ以上俺が差し出口を挟むのは止めておこう。俺には理解しかねるが、趣味は人それぞれと言うからな」
シロウの剣幕に圧されたのか、残念そうにしながらもルベライトは引き下がった。
視界の端で第一王女も心なしかガッカリしていたような気がしたが、シロウは気のせいだろうと思い込む事にする。
背中に当てられたスツーカの左手が、シロウの制服をきゅっと掴む。
シロウが安心させるように自分の右手をスツーカの右手と重ね合わせると、背中からほっと安心するような吐息が零れた。
スツーカに対する心無い言葉に文句をぶつけたい気持ちはあるが、下手な事を言うとせっかく引っ込んだ蛇を突くような行為になりかねない。諸々の言葉に蓋をして、シロウは押し黙る。
しかし、その後の出来事を考えるとその我慢はさして意味を為さないのであるが。
続いてルベライトはスツーカの反対側に座る、フィーナに視線を向ける。
「……? 貴様は……」
「ご、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。わたくし、第三王女のエルフィーナと申します」
フィーナは慌てて立ち上がると、深く頭を下げた。
「ほう、女王にはまだ娘が居たか」
「申し訳ございません。末の娘はまだ若輩ゆえ、何か失礼があってはならぬと思い先ほどは敢えて御紹介を省いたのです」
焦りを隠して歩み寄った女王がルベライトに向けて弁明する。
しかし、どうにも耳に入った気配は無い。彼には何かが気にかかる様子だった。
視線を逸らさずにじっと見つめられたフィーナが困惑する。
「あ、あの……?」
「ふうむ……。ああ。思い出したぞ。あれは前にこの場に降り立った時だった。女王よ、まだ年若い貴様を"視"た時の事だ。覚えているな?」
「…………」
不自然な女王の沈黙。その様子に確信を持ったのか、最初は記憶を辿るようにおぼろげだったルベライトの口調が、徐々にはっきりと糾弾の色を帯び始める。
「覚えているだろう。俺がこの娘を処分するように命じた事を」
「なっ……!」
処分。
物騒な言葉に、隣で聞いていたシロウの口から思わず声が漏れる。
「かつて、俺はこう告げたな。『貴様の娘に一人、出来損ないが混ざっている。国にとって不要な物は早々に処分しておくように』と。まさか忘れたとは言わさん。
……貴様、この俺の言に逆らったな……?」
「も、申し訳ございません。ですが……」
「言い訳は無用だッ!!」
バキリと床板を踏み抜く音。
烈火の如く瞬時に激情を昂らせたルベライトの怒鳴り声が教会中を響き渡った。
ひぃ、と引き攣るような悲鳴が周囲の年若い貴族たちの喉から漏れる。
この世界の人々にとってある種、崇拝の対象とも言うべき天上人が撒き散らす本物の怒りを前に、彼女達は哀れにも身を震わせる事しか出来ずにいた。
美しい顔つきは、怒りに歪むと修羅の如く。
激情のままに、ルベライトは声高に告げた。
「貴様には失望したぞ、女王よ。我が言葉に逆らうは主に逆らうも同じ。もはやこの地に天の恵みは要らぬと見える」
「お、お待ち下さい! どうか、どうか慈悲を……」
「ふん」
すがる女王を見て苛立たしげに鼻息を鳴らすと、ルベライトは一つの提案を行った。
「ならば、今からでも遅くはない。女王よ、その娘をこの場で処分してみせるが良い」
「……なっ……!」
「それを為したなら、此度の事は不問に付してやろう。でなければ、この国は天に見放される事となるだろうよ」
そう言い捨てると、ルベライトは魔力で産み出した真っ赤な短剣を女王に手渡す。
女王は震える手で受け取ると、すぐにそれを取り落とした。
切れ味が鋭いのだろう。床に落ちた短剣は弾かれる事なく床板を穿って突き刺さった。
「……何をしている?」
「お、お赦し下さい。私には……私には、出来ません。この子を……フィーナを、まさかこの手にかけるなど……」
想像して思わず足の力が抜けたのか、女王が膝から崩れ落ちる。
震える手で起き上がろうとするが、満足に動けない様子だ。
立ち上がれない女王を傲然と見下すと、ルベライトは周囲の者達に目を向けた。
「ふん、女王たる者が何とも不甲斐ない。おい! 貴様らの誰でもいい。この娘を処分せよ。そうせぬ限り、貴様らの国に未来は無いと思え!」
ざわり。
困惑と恐怖の感情が、教会内を伝播していく。
誰もが極度の動揺と緊張の中、互いの顔を見合っている。
「……天上人様の言いつけに背けば、どのみち我らに先は無いのだ……」
「ちょ、ちょっと貴女! 何をするつもりなの!」
やがて一人の貴族がゆらりと立ち上がると、周囲の貴族の咎めるような声を無視して女王の側に歩み寄った。
彼女はゆっくりと、床に突き刺さった短剣を引き抜く。
「そうだ。誇るが良い。貴様こそが真に国を救う勇者だ」
「はあ、はあ……。……エルフィーナ様、申し訳ございません」
「あ、あ……」
短剣を向ける者と、向けられる者。
そのどちらも等しく顔から血の気が引き、顔色を蒼白に染め上げている。
極限の状態。その場に居る誰もが、直後に訪れる最悪の瞬間を予想して目を背けた。
ただ二人を除いては。
「だ、だめっ!!」
咄嗟に、横合いからフィーナを庇おうと覆いかぶさる小柄な影。
スツーカは、魔の手から友人を救うべく咄嗟に己の身を盾にする事を選んだ。
そしてもう一人。
少年は今まさに振りかぶらんとする、その短剣の刃をおもむろに掴んで止める。
「いッ、つぅ……。ふ、ふざけんな……お姫様を刺して、何が勇者だよ……」
短剣を握ったシロウの手から血が流れる。
腕を伝って流れた血が紅い雫となって床に落ちた。
「ひ、ひぃっ!? わ、私、ちが……」
不可抗力とはいえ、男性を傷付けてしまった事に混乱する貴族の手から短剣を奪い取って床に放り捨てたシロウは、驚愕に硬直するルベライトに向き直る。
「シ、シロウ! 貴様、なんと馬鹿な事を……。傷は大事ないか。幸い、指は落ちていないようだが……」
「おい」
「な、なんだ――ぐべっ!?」
シロウは無事な方の手を力一杯握り締めると、全力でルベライトの顔面を殴り飛ばした。
思い切りぶっ飛ばされたルベライトは、もんどり打って床に倒れ込む。
よほど威力があったのだろう。彼に起き上がってくる気配はない。
沈黙。
はあはあと、シロウの荒い吐息だけが静寂の中にこだまする。
目まぐるしい混乱の渦の中。皆が状況を飲み込むまで、今しばらくの時間を要するのだった。
「シロウ君、何という無茶をしたんだ! 一歩間違えれば、君の手首が落ちていたかもしれないんだよ!」
「うっす……」
手に分厚く包帯を巻かれながら、シロウはマノンの母からお説教を受けていた。
考えてみれば、異世界に来てからというもの。チヤホヤされる事こそ数あれど、こうしてお説教を受ける事は無かった。
何となく懐かしいような心地になりながら、シロウはその有難い忠言を話半分に聞き流していた。
「全く、聞いているのかい!? もし君に何かあれば、娘も酷くショックを受ける所だったよ。皆が悲しむ事になったのだからね? そもそも止めるにしても、せめてもう少し早く動いていれば……。いや、これはそもそも動けなかった我々が言うべき事ではないか。だがしかし――」
「うっす、反省してまーす」
「どうにも言葉が軽いようだが……。ともかく、これで応急処置は済ませたよ。本来ならば、今すぐにでも病院に搬送したい所なのだが……」
マノンの母は痛々しそうに包帯でぐるぐる巻きにされたシロウの左手を見つめる。
振りかぶる直前に制止したが為に指が切り落とされる事態にはならなかったが、傷は決して浅くなかった。何しろ天上人たるルベライトの産み出した短剣だ。その切れ味は一級品である。
心配するマノンの母にシロウは黙って首を振ると、傷など何でもないように笑ってみせた。
「いや、本当に大して痛くないっすから。それより、今は他に心配な奴がいるんで」
「……そうだね」
暫定の処置を済ませてシロウ達が教会に戻ると、そこには重苦しい空気が漂っていた。
皆、深刻そうに黙り込んでいる。
当然だ、女王が天上人の怒りを買った事は事実。先ほどから事態は何も変わっていないのだから。
今は再びフィーナを襲撃せんとする者が現れぬよう、彼女の周囲を女王直属の近衛が護衛している。
その隣で、女王が憔悴したように椅子に座り込んでいる。母と妹を心配する王女たちも、今はどうしたらいいか分からないような表情だ。
シロウが近づくと、女王が呆然としたまま顔を上げた。
「……シロウ殿。先ほどは、娘をお救いいただき、本当にありがとうございました」
「い、いえ。……その、大丈夫、ですか?」
「……申し訳ありません。今は、何かを考えている余裕が無いのです。女王として、本当に不甲斐のない……」
「そんな事は……」
果たしてどう声をかけたらいいのか。
結局、シロウは大した言葉も無く彼女の下を離れざるを得なかった。
「……あ。シロウさん」
「スツーカ、彼女の様子はどう?」
近くで所在なさげに佇んでいたスツーカを捕まえて訊ねると、少女はふるふると小さく首を振った。
「どう声をかけても、返事がなくて。……さっき言われた事、すごく気にしてるみたいです」
「だろうなあ……」
役立たず、出来損ない。それは、彼女自身がもっとも苛まれ続けてきた悪夢だ。
ましてそれが自分の生まれるより前から既に予言されていて。
今や、実際に国の災いを招こうとしている。
「辛い、だろうな」
「…………」
少年が真に彼女の気持ちを理解する事は出来ない。
王族としての重圧は、その立場に無い者には計り知れないものだろう。
しかし今、少年はフィーナの心を何とかして救ってやりたかった。
「そもそも、アイツ。ルベライトだっけ? アイツが何かを視たからって何なんだ。一体何を視たって言うんだよ」
「それは……」
少年の疑問にスツーカがどう答えたものか迷っていると、不意に彼らの背後から声がかけられる。
「その答えは、俺の魔導術にある。俺は、生まれつき視力が優れていてな。深く魔力を込めれば、相手の隠れ持った素養から食べ物の好み、将来そいつが歩むであろう道筋に到るまで、実に様々な情報を読み取る事が出来るのだ」
「なっ! あんた、気絶してたんじゃなかったのかよ!」
咄嗟にシロウがファイティングポーズを取ると、ルベライトは落ち着かせるように手を振った。
「まあ待て。俺は何も貴様と争いたいとは思わん。まさか逆上するほど、あの娘に入れ込んでいるとは思わなかったがな」
「なら、もうフィーナを処分だの何だの言わないって事か?」
「ああ。貴様があれを気に入ったというなら、好きに飼うが良い。あの娘も造形だけは悪くない。せいぜい愛玩動物としてはよく映えるだろう」
「……ッ、お前、ふざけ――」
血の気立つシロウが怒りのままにルベライトの胸倉を掴もうとした矢先。
「シ、シロウさんッ!」
常ならぬスツーカの大声に冷や水を浴びせられる事となった。
「な、ど、どうした!?」
「フィーナさんが、フィーナさんが……」
スツーカは震える手で、教会の入り口を指し示す。
「フィーナさんが思いつめた様子で……」
「出てったの!? え、誰か止めなかったのか!?」
「ご、ごめんなさい。急に走りだして……。咄嗟の事で、誰も声をかける暇もなくて。護衛の方々も、周りを警戒してましたし……」
申し訳なさそうに謝るスツーカの様子に、シロウは僅かに冷静さを取り戻す。
「い、いや。無理言ってごめん。とにかく、すぐに追いかけよう。今のフィーナはきっと不安定になってるはずだ。一人にしない方が良い」
そうしてシロウは教会を飛び出した。
胸の中で徐々に育っていく不安の種から目を逸らしながら。
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