第41話 うり坊王女と初めての喧嘩

 教会から僅かに離れた、鮮やかな花の咲き乱れる庭園に彼女は一人佇んでいた。


「フィーナ!」

「もう、追いかけてこられたのですね……シロウ様」


 彼女はシロウの手元に巻かれた包帯に視線を向けると、痛々しそうに眼を伏せた。


「その手、本当に申し訳ありません。わたくしのせいでシロウ様にまでご迷惑を……」

「何言ってんだよ、フィーナは何も悪くないだろ。さ、ひとまず戻ろう。皆、心配してるから」


 宥める声をかけながら、シロウが庭園に一歩足を踏み入れる。


「来ないで下さいましッ!」

「……!」


 しかし、下手な慰めを拒絶するように、フィーナは鋭い制止の声を発した。

 シロウの足がぴたりと止まる。


「フィーナ……」

「ごめんなさい、シロウ様。でも、わたくしは優しいお言葉をいただくのに相応しい人間ではありませんわ。お母様や、お姉様方に教師の方々。……昔から、無能なわたくしのせいで皆に迷惑をかけてばかりなのです」


 フィーナはしゃがみ込むと、足元に咲く小さな白い花を見つめる。

 辺りに色とりどりの花が咲き乱れる中、その花だけが少し離れた場所にぽつんと咲いている。

 少女はそっと白い花を撫でると、顔を上げて曇りがかった灰色の空を眺めた。


「今にして思えば、お母様はこんなわたくしを救うべく優秀なお姉様方と同等の様々な教育を与えてくださったのでしょう。でも、わたくしはその何にも応えられなくて。ついには国に災いを招いてしまった。……欠陥品と言われても、納得ですわ」

「フィーナは欠陥品なんかじゃないよ」


 少女の自嘲めいた独白に抵抗するように、シロウが言葉を投げかける。

 フィーナはシロウに目線を戻すと、到底似合わない苦みがかった笑みを向けた。


「有難うございます。そのお言葉、とても嬉しく思いますわ。

 ……でも。きっと、わたくしはこの国に居ない方が良いのです。これ以上、この国に迷惑をかけるくらいなら、わたくしはっ……!」

「ッ!?」


 いったい、何処に隠し持っていたのだろう。

 立ち上がった彼女が手に握ったのは、先ほどシロウが投げ捨てたはずの真っ赤な短剣だった。少女は自らにその切っ先を向ける。


 突然の事態に、シロウの背筋が凍りついた。


「な、何してんの!?」

「……わたくしが居なければ、あの方も溜飲を下げるでしょう。この国が天に見放される事もありませんわ」

「馬鹿な事言うな! アイツはもう、さっきの言葉を取り下げたんだ! だから、フィーナがそんな事しなくていいんだよ!」


 必死に声を張り上げるが、フィーナが短剣を下ろす気配はない。


「……そうですか。安心しました。わたくしが原因で、国が乱れる事はないのですわね。なら、後はわたくしさえ消えてしまえば、もはや同じような事も起こりませんわ」

「はぁ!?」


 咄嗟にシロウが駆け付ける間も無く。

 フィーナは覚悟を決めてぎゅっと目を瞑ると、刃を己に向けて振りかざした。


「お母様、お姉様。お友達になってくださった皆様。――シロウ様。

 弱いわたくしを、どうかお許しくださいましね」


 刃が胸元に吸い込まれる――その刹那。

 大気を切り裂いて飛来した白い魔力の光線が、間一髪で少女の手から短剣を撃ち落とした。


「きゃっ!?」

「あ、当たったか!?」


 無我夢中で魔術を放ったシロウが目を凝らすと、短剣が地面に転がっているのが確認できた。

 どうやら、シロウの魔術は狙いを過たずに少女の手元から短剣だけを弾く事に成功したらしい。


「ふぅ……ぎりぎりで間に合ったか。練習して良かった。

 やっぱ魔術って便利、だな」

「あ、あ……」


 寸でで妨害が入った事で、一度決めた決意があっさりと霧散してしまったのだろう。

 足から力が抜けたようで、フィーナはへなへなと崩れ落ちた。


「……せっかく、覚悟を決めたのに。どうして邪魔なさいますの」

「悪いけど要らないよ、そんな覚悟。俺が踏んづけてゴミ箱にポイしてやる」

「ッ! ……シロウ様みたいに何でも出来る特別な御方に、出来損ないのわたくしの気持ちなんて分かりませんわ!」

「悪いけど知らねーよ。 皆に愛されてるくせに、ちょっと嫌な奴に悪口言われたくらいで拗ねて全部投げ出そうとする奴の気持ちなんて知ったこっちゃないね」

「なっ! ひ、酷いですわ! わたくしがこれまでどんな想いで生きてきたか。シロウ様みたいに恵まれた御方には言われたくありませんわ!」

「うっせー! 親がいて、姉妹がいて、愛情たっぷりに育ててもらっといて、勝手に見放されたような事言ってんじゃねーよ! この贅沢者!」


 見る見る内にヒートアップしていく両者の熱。

 最後にシロウの放った一言で、ついにフィーナの感情が振り切れた。


「な、な、な! も、もう怒りましたわ! どこかに行って下さいまし!!」


 怒りのままに、魔力を増幅させたフィーナがシロウに向けて金色の矢を放つ。


「あぃたっ」


 シロウの額に直撃したそれは、ぱちんと小気味いい音を立てて小さく弾けた。

 流石に殺傷力は抑えられていて肌に傷一つ付かないが、魔力が破裂した衝撃でシロウは軽く後ずさった。


「ぐぬぬ……! そっちこそ! ちょっとは頭を冷やせよな! <水弾>!」

「あうっ! わ、わたくしは落ち着いておりますわ!!<雷撃>!」

「どこかだよ! 考え無しに勢いで行動して。お前はいのししか! <風圧>!」

「むぐぅーーー!!! も、もう許しませんわぁ~~!!!!」

「うっせー!! ばーか!!!」


 花が咲き乱れる庭園の直上を、びゅんびゅんと様々な色を帯びた魔術が行き交う。

 傍目からすれば、鮮やかな花々とのコントラストが美しく色めいて映える光景だ。

 ……ギャーギャーと喚き合いながら暴れる二人を無視すれば。



「こ、これは一体。どうした事だ?」

「わ、我々には何とも……」

「シ……シロウさん?」


 騒ぎを聞きつけ急いで駆け付けた女王や近衛たち、そしてスツーカは状況に困惑していた。


 ヒートアップしながらも互いを決して傷付けないように繊細に魔術を行使しているらしく、一見して危険は無いように思える。

 見方によっては戯れているように見えなくもないだけに、果たして手を出していいものか、判断に迷う。


「でも……まさかあの娘が、何時の間にか魔術を扱えるようになっているなんて……」


 女王がふと呟く。

 彼女の知るフィーナには、決して魔導の素養など無かったはずだ。

 幼少の頃、高名な魔導士を教師役に招集して教えさせた事がある。結論として、娘に才能は無いという話だったが。

 しかし、女王の眼前で繰り広げられる魔術の応酬を見れば、とてもそうは思えなかった。


 魔術を含めた戦闘技術のプロ集団たる近衛の一団も、同様に困惑の色を隠せずにいる。

 シロウとフィーナが今当たり前のように行っている手加減のような魔力の微調整は、決して一朝一夕で学べる技術ではない。

 魔術の家に生まれた才ある子供が努力してようやく身に付けられるようなスキルだ。

 いくらエリュシア魔導学園が王国最高峰の学び舎とは言えど、才能に乏しい者が短期間で簡単に習得できるわけがないのだ。


「あ、あう……わ、私はどうすれば……」


 おろおろと心配そうに二人を見守るスツーカを除く、全員が怪訝そうに二人を見つめていた。



 やがて、わめくにも体力か魔力の限界が訪れたようで。

 ぜえはあと肩で呼吸しながら、フィーナがふらりとその場に座り込んだ。

 少女は悔しそうにぼそりと呟く。


「どうして……。どうして邪魔なさいますの? わたくしなんて、消えてしまった方が良かったのに」


 同じく肩で息をしながら、シロウはゆっくりと少女に近づいていく。

 先ほどとは異なり、少女による制止の声が上がる事は無かった。


「……なんだ。こないだ言った事、もう忘れた?」

「え……?」


 少女の隣にどさりと座り込んだシロウが優しい声で問いかける。

 その表情は思いのほか穏やかで、不思議とフィーナは引き込まれるような感覚を覚えた。


「俺、言ったよな。フィーナが困ってる事があったらさ、俺が助けるって。

 フィーナは一人じゃない。だからさ、一人で悩まなくていいんだよ」

「あ……」

「フィーナが居てくれて俺、嬉しいんだ。だから、勝手に消えないでくれ。俺の前から居なくならないでほしい。お願いだよ」


 シロウが想いを込めて真っ直ぐにフィーナの瞳を見つめて語り掛けると、彼女は静かにシロウの肩に寄りかかった。


「……シロウ様はずるいですわ」

「そうかな。でも、思った事しか言ってないよ」

「それがずるなのです。……シロウ様、こちらを向いていただけますか?」

「ん? ……んむっ!?」


 不意に、二人の影が重なる。

 時間にして数秒にも満たない僅かな間。唇に柔らかな感触を残して、少女はそっとシロウから離れた。

 瞬間、シロウの顔が真っ赤に茹だる。


「な、あ、その」

「……わたくしは、シロウ様の側にずっとおります。何があろうとも……。こ、これはその誓いですわ!」

「う……は、はい」


 恥じらいに赤面する二人。

 まさかの出来事を前に目を見開いて硬直する周囲の人々を差し置いて、二人はもじもじと照れ臭そうにお互いを見やるのだった。

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