第45話 子ねずみは一歩を踏み出す

 放課後。正門の前で送迎の車が訪れるのを三人はお喋りに興じながら待っていた。


「大変お待たせいたしました、お嬢様。どうぞご乗車下さい」

「あら、もう迎えが来てしまいましたわね。それではシロウ様……んちゅ」

「む」

「あ……」


 車に気を取られた一瞬の隙を突いて背伸びしたフィーナは、シロウの腕を引いて頬にキスをすると、逃げるように車に乗り込んだ。

 一瞬反応が遅れて、シロウが気恥ずかしそうに顔を染める。


「こ、こら。だから、こういうのはもっと特別な関係になってからする事でだな……」

「ふふーん、隙がある方がいけないのですわ! シロウ様、スツーカさん。それでは、また明日ですわぁ~~~!!」

「むむ……おう、また明日な」

「ま、またね」


 少女たちがふりふりと互いに手を振り合う。

 ゆっくりと車のドアが閉まり、フィーナを乗せて走り去っていく。

 残されたのは、シロウとスツーカの二人きりで。


「じゃあ、俺たちも帰ろうか」

「はい」


 二人は連れ立って歩きだす。


「なんだか久しぶりだな。こうして二人で帰るのも」

「……よ、よかったんですか? 最近、放課後はずっとフィーナさんと一緒だったのに」

「ああ。フィーナも無事に魔術が使えるようになったからね。……それに、何だか吹っ切れたというか、彼女なりに自分との折り合いがついたというか。とにかく、焦るのは止めにするってさ。だから、放課後の特訓はひとまず終わりだな」


 シロウは何処か清々しい表情で告げるフィーナの顔を思い出す。

 あの後、役目を終えて天上に帰っていくルベライトを見送りながら、フィーナは何かを心に刻んだらしい。

 それがどういう心境の変化かはシロウには分からないが、何にせよ彼女が一歩前進できたのなら、それは喜ばしい事である。


「そういうわけで、これからはまた一緒に帰れるな」

「……そ、そうですか。で、でも。私みたいなつまらない女のことなんて放っておいて、フィーナさんの車で一緒に帰っても、いいんですよ……?」

「え?」


 そういうと、スツーカは顔を背ける。

 よく見ると心なしか、頬が膨れているように見えなくもない。


「……あの。もしかして、何か怒ってる?」

「私如きがシロウさんに怒ることなんて、あるわけないです」


 台詞とは裏腹に、ますます彼女は顔をそっぽに向けた。

 滅多にない事でシロウは戸惑うが、どうやらスツーカは明らかに怒っているようだ。


 流石のシロウも、彼女は一体何に怒っているのだろう……? などと宣うほど鈍感ではないつもりである。

 少女からすると、自分を放っておいて目の前でイチャつかれては内心穏やかではないだろう。


「あ、あのさ。スツーカ……」

「ご、ごめんなさい」


 どうにか言葉を見つけようと声を上げたシロウを遮るように、スツーカは謝罪の言葉を発した。


「わ、私なんかが不満を言えるような立場じゃないのは分かってるんです。でも……」

「い、いや。俺の方こそ、まったく無神経で」

「私は……。フィーナさんに、嫉妬してるんです」


 スツーカは振り返り、じっとシロウの顔を見つめた。

 その瞳は不安そうに潤んでいる。


「自分に自信がない、それは私と同じなのに。でも、フィーナさんはあんなにも積極的で、明るくて……。自分の想いを素直に表現していて。……私とは全然違ってて」「スツーカ……」

「シロウさんも、フィーナさんと一緒に居る時はとても楽しそうにしていて。……羨ましいと、思ってしまうんです」


 まるで自分を責めるように、スツーカは苦しそうに言葉を吐き出す。


 シロウはどうにかして少女の気を紛らわせたいと思ったが、残念ながら適切な台詞を見つけることができなかった。

 繊細な少女の心をスマートに気遣えるほど、少年の経験は豊富では無く。結局、この時の少年が咄嗟に思いついた行動は一つだった。


「……ごめんなさい。変な事を言ってしまって。忘れて下さい」

「…………スツーカ。ちょっと、顔上げてくれないかな」

「え? は、はい……ひゃあっ!?」


 言われるがままにスツーカが顔を上げるのを見計らって、シロウは少女の頬に素早く接吻した。

 慌てて距離を取る二人。瞬時に顔を真っ赤に蒸気させ、少し離れた距離から互いの顔を見つめる。


「シ、シロウさん……!? ななな、何を!?」

「きゅ、急にごめん! 今、俺の気持ちを伝えるのに、これしか思いつかなくてさ!」

「き、気持ち……ですか?」


 困惑したようにスツーカは呟く。

 自分に自信がない彼女にとって、他人から向けられる感情にはいくらか鈍感になってしまうのかもしれない。少しだけ落ち着いた頭で、シロウはそんな事を考えた。


 シロウは頭の中で考えを整理すると、ゆっくりと少しずつ言葉にして伝える。


「……俺は、スツーカの事を大切だと想ってる。君と一緒にいると、何だか安心するっていうか……、落ち着くんだ。……ある日突然、全く常識の違う異世界に一人で放り出されてさ。訳も分からないまま今もこうして過ごしてるけど、君が隣に居てくれるのなら、何だかこれからもこの世界でやっていける気がするんだ。

 最初に出逢ったのがスツーカで、本当に良かったと思ってる。……その、だから。他人と比べてそんな風に落ち込む必要なんて、無いんじゃないかな」


 恥ずかしそうに頬を搔きながらも、思うままを伝えるシロウの台詞。

 飾り気のない言葉に、スツーカの心臓がどくどくと五月蠅いほどに跳ねる。


「シ、シロウさん……」

「あー、今更こんな真面目な話するの恥ずかしいな。とにかく! ……俺は、これからもずっと君と一緒に居たいと思ってる。

 ……それだけじゃ、自信にはならないかな?」


 シロウがスツーカの表情を窺うと、少女は首元まで赤く染めてふるふると首を振った。


「……い、いいえ。その……まさか、そんな夢みたいな言葉を貰えるなんて。……幸せすぎて、私なんかには勿体ないくらいです」

「なんか、は要らないってば。スツーカは俺にとって可愛くて優しい、とっても素敵な女の子なんだからさ!」

「……っ!」


 雰囲気に乗せられて、普段なら出てこないような本心がつらつらと出てくる。

 後で冷静になった時に振り返ると、悶絶して転げまわるのは必至だろう。

 しかし、とにかくこの時のシロウはスツーカを元気付けようと必死だった。


「シロウさん……!わ、私。私は……」

「あ、えっと、その」


 想像以上に感極まった様子の少女を見て、慌てたシロウが言い募る。


「あ、あはは! なんか、恥ずかしい事まで言っちゃった気がするけど! とにかく、そんなに落ち込む事ないって事。さ! さっさと帰ろうか!」


 気恥ずかしさを強引に打ち消して足早に歩きだそうとするシロウの制服の裾を、スツーカがそっと引く。


「ん。ど、どうしたの? スツーカ――んむっ!?」

「……っ」


 振り返ったシロウの口許に、背伸びしたスツーカの唇が触れた。


 驚くほど柔らかい唇の感触に、シロウの脳がフリーズする。

 ほんの短い間、息を止めて少年の熱を味わうように動きを止めた少女は、やがて満足したのかそっと少年から離れた。


 少女はうっとりと頬を染めながらシロウの胸に手を当てて囁く。


「……私の今の気持ち。こうしたら、伝わりますか?」

「な、な、な……」


 言葉を発する事も出来ずに、シロウはぱくぱくと魚のように口を開け閉めする。

 流石に羞恥心が限界を超えたのか、スツーカはシロウの顔を見ないように目を逸らしながらシロウの包帯が巻かれていない方の手をそっと捕まえた。


「……さ、帰りましょう、シロウさん。……私たちの家に」

「あ、うん……そうだね……」


 衝撃の余韻がいまだ残る中。

 シロウはスツーカの手に引かれるようにして、上の空で帰り道を歩いて行く。


 やがて、虫たちのざわめきが残る中、初夏特有の香りが彼らの鼻をくすぐる。

 少年少女たちの夏が、始まろうとしていた。





★☆★☆


第二章はここまでとなります。

引き続き第三章を執筆していきますので、どうか今後もお楽しみいただけると幸いです!


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