第69話 父の遺したもの

 かつて、数百年の昔。

 セレスは父親と母親と三人仲睦まじく、大陸の外海にぽつりと浮かぶ島で人の目を逃れて静かに暮らしていた。


 父親、そう父親だ。彼女には共に暮らす天上人の父がいた。

 彼は当時にして極めて珍しい存在で、偶然地上に降り立った時に出会ったとある女性との間に愛を築き、やがて結ばれて子を為した。それがセレスである。彼は地上人と深く契りを結んだ事で天上で白眼視されるようになり、天を離れて密かに地上へと移り住んだ。


 彼は妻や娘と生活するうちに、やがて男女が天と地に分かたれている現状に疑問を抱くようになっていった。下賤な地上の者とは相容れないと考えている選民思想の強い天上人と、そんな彼らを神格化している地上の民。二極化する男女の垣根になっているのは、天上の園という天に浮かぶ大陸そのものだと考えた。


 天上の園の存在理由は、世界の外より襲い来る外敵からこの世界を護る事にある。それ故に、彼らは主より戦う力を与えられ、天上に集うのだ。そしてその力が故に、彼らはどこまでも傲慢に振舞うようになっていく。すなわち、外敵という存在がある限り、天と地が再び交わる事はないと言っても過言ではないのではないか。


 そのように行き着いたセレスの父は妻と協力して、終生をある研究に費やした。

 それは、外敵を防ぐ防衛機構。膨大なエネルギーを惑星を護る防壁に転換するプログラムを作り上げたのである。いわば一種のバリアーのようなものだ。


 これが展開されれば、今までのようにこの世界が外敵の脅威に曝される事はもはや無くなるだろう。そうすれば、役割を終えた天上人たちが地上に戻り、男女融和のきっかけになるのではないか。


 このプログラムを実現するにあたって、一つの関門があった。それは、発動と維持にかかる膨大なエネルギーをどう賄うかという事だ。そこで彼は、天上の園そのものに着目した。


 主が天上人の為に用意したとされるその大陸は、空に在り続ける為に常に莫大な魔力を消費している。この魔力を利用する事が出来れば、エネルギーの問題に関しては解決できる。


 そしてもう一つの関門は、天上人たちの意志だ。彼らは、自分たちこそが主に選ばれし世界の守護者であると自負している。故に「代替となる防衛機構を用意したから、貴方がたの役割はもう終わりです、これからは地上の民と仲良く暮らしていってください」などと言った所で、彼らが受け入れるとも到底思えない。


 この問題は大いに彼を悩ませた。自分は既に役目を放棄して天上から出奔した鼻つまみ者であり、今更彼らを説得することなど不可能だ。妻にしても、一人の無力な地上人に過ぎない。いや、他の地上人であったとしても同じこと。彼女達は、天上人の事情など何も知らないのだから。


 そもそも、天上の園を失った彼らが地上に降りたとしても、いったん深く分かたれた異性間を取り持つ架け橋となれる人間がいない限り、男女が再び一つとなる事など出来ようはずもない。しかし、残念ながら自分にはその力がなかった。


 そこで彼は、未来に期待を託す事にした。彼はプログラムの起動装置に新たな条件として「深く心で繋がり合った男女」をキーとして起動するように設定。そして大陸へと渡ると、人目を避けるようにして適当に見繕ったダンジョンの奥底に、プログラムの記録された装置を隠しておく事にした。いつの日か、自分と同じような意志を持った男性が装置を発見してくれる事を期待して。


 それから数百年。魔力の薄い地上で暮らす内に緩やかに天上人としての優位性を失っていった彼は、やがて先に逝った妻を追うようにしてその生涯を終えた。

 後に一人残されたセレスは冒険者となり、父親の遺したプログラムを起動できる男性を求めて、長く大陸を放浪するようになる。


 そして、現在に至るのであった。


「えーっと、次がいよいよ最下層って事で良いんですよね? じゃあ、ダンジョン探索もこれが最後って事か」


 セレスの視線の先で、シロウが着々と準備を進めていく。準備といっても荷物の確認くらいのものではあるが、少し前と比べれば手慣れたものだ。


 クサカ・シロウ。初めて出会った時、彼のルーツがこの世界由来で無い事をセレスは肌で直感した。天上人である父親とも、その血をじかに分けた、いわば天上人とのハーフである自身とも異なる、感じた事のない異質な魔力の波動。


 異世界という概念にはセレスにも心当たりがあった。この世界を襲う外敵も、元はその数ある異世界の何処かからやってきているのだ。シロウもまた、別の異世界から偶然迷い込んでしまったのだろう。


 セレスが彼の様子を観察していると、彼は周囲を囲む少女たちと楽し気に会話していた。天上人達のようにまるで女性を召使いか奴隷のように扱ったりもしない。きっと、異世界から来た分この世界の常識にまだ馴染んでいないのだろう。


 まさに運命に出会ったと感じた。

 彼こそが、父の願いを果たすことの出来るただ一人の男性だ。

 そうセレスは確信する。


 後は彼と二人で父のプログラムが隠されたダンジョンに赴いて、最深部に隠されたプログラムを起動するだけだ。父は天上人から理解を得る事に拘っていたが、プログラムが起動して天上の園が無くなってしまえば、彼らも地上に降りてこざるを得ないのだ。ならば強引に進めてしまえばいい。


 父を冷遇して結果的に地上に追いやり、その後も苦悩の原因となった天上人に対して、セレスはなかば憎しみに近い感情を抱いていた。


 しかし、ここでセレスには色々と誤算があった。一つは、シロウの他に余計な人間までくっついてきたことだ。彼と仲を深める為には、彼女達の存在ははっきり言って邪魔だった。


 そしてもう一つは、父がダンジョンに遺した仕掛けである。男女が仲を深める事を期待する彼女の父親が用意したであろう小部屋の存在や、ちょっと強引にでも男女をくっつける為の呪いの腕輪など、理解しがたい試練がセレス達を待ち受けていた。


 どうやら、父親には恋愛の才能が無かったらしい。娘として残念な気持ちになりつつも、セレスは自分なりにシロウと心を通じさせるべく努力を重ねた。少しでも魅力的に見えるようにお姉さんぶってみたり、それまであまり興味を持たなかった恋愛小説で勉強して、彼をデートに誘ってみたりもした。


 幸いにして、セレスの容姿は若かりし頃の母に似て大変に整っている。そこに天上人としての生来の美も加わり、人目を惹く外見をしている。この美を持ってすれば、父がそうだったように、きっとシロウもあっさりと転ぶと思っていた。が、しかし。


(どうして、私に夢中になってくれないの……!)


 セレスは内心で歯噛みする。当初の彼女の目算では、最深部を目前にした今頃の時期には、既に子供の一人くらい出来ていてもおかしくないほど関係が進んでいるに違いないと、高をくくっていた。


 何せ、彼女の両親は母が老いて亡くなるまでの間、ずっと娘から見ていても恥ずかしくなるくらいに熱々だったのだ。その母に似ている自分ならば、その気になれば男性を虜にする事も容易いと思い込んでいた。


 彼女の実年齢は数百歳なのだが、その大半を小さな島での自然の暮らしに費やしていた彼女の精神年齢はまだまだ若い。この世界では極めて珍しい事に父親と育ったとはいえ、若い異性への免疫が培われたわけでもない。結果として、彼女は自分の思うほど、シロウとの関係を進める事に成功していなかった。


(どうしよう……。このままじゃ、プログラムに拒絶されるかも)


 父の遺した起動キーは「深く心の通じ合った男女」である。本当に残念な事ながら、セレスはシロウとそこまで踏み込んだ関係に至れているとは思っていない。


「あれ。セレスさん、どうしたんですか? さっきからぼーっとしてますけど」

「え!? あ、ううん。何でもないから気にしないで」


 シロウに話しかけられて、セレスは慌てて手を振る。

 不味い。あまり呆けていては、せっかくの頼りになるお姉さん像を損なってしまう。父もよく母に言っていたものだ。「君は本当に頼りになる、素晴らしい女性だ」と。つまり、男というものは頼りがいのある女性に惹かれるものに違いない。セレスは慌てて取り繕うと、こほんと咳をした。


「――それより。シロウ君も随分と手際が良くなったね」

「え、そうですか? いやー、戦闘とか全部セレスさん任せなんで、せめて携帯食料の用意とかくらいは、って思ってるだけですよ」

「ふふ。助かるわ、ありがとう。その代わり荒事は全部お姉さんに任せてくれたらいいからね」

「うっす。頼りにしてます」


 ふふん、どうだ。とセレスは内心でドヤ顔を浮かべた。

 やはり、彼はセレスを頼もしく感じてくれているようだ。だが、その割に靡いてくれないのはどうしたことか。セレスはもはや、どうしていいやら分からなくなっていた。

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子ねずみ達に捧ぐ~ふと迷い込んだ異世界では俺の価値は天井知らずらしい~ もち沢 @higeoji

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