第19話 子ねずみ妹は誘いたい

「ただいまー」


 学園が終わり家に帰ったシロウは、自室に戻って私服に着替えると息を吐いた。

 日頃、充実した楽しい学園生活を送っているシロウだが、慣れない異世界の常識を学ぶ日々はやはり何処か気疲れするらしく。こうして家に帰り着く頃には疲労が身に染みているのだ。


「はー、今日も疲れた」


 椅子に座ってぱたぱたと手で顔を扇ぐ。

 異世界にも元の世界と同じように四季があり、今の時期は春から夏の間に該当する。

 最初にこの世界にやってきた頃と比べると蒸し暑く感じる時間が増えてきて、そろそろ涼しい衣服の一つでも欲しくなってくる。


「あー、夏服欲しいな。でもお金がなあ……」


 当然だが、シロウには収入が無い。

 この部屋も元々余っていた物置部屋を空けてもらい間借りさせてもらっているに過ぎず、家賃等も不要という家主であるエリスの好意に甘えているのが現状だ。


 生活に必要な生活必需品の類も、元から家にあった物以外は全て新たに用立ててもらった。そのうち衣類に関しては、いわゆる男性用という概念が存在しないせいで中性的な物を選ぶ他になく、まして下着に関してはシロウを大いに困らせる事となった。


 シロウは部屋を見回す。

 本棚に並ぶ、記憶喪失設定のシロウの為にエリスが揃えた子供向けの絵本に始まる簡易な本の数々。

 ふかふかの高級そうなベッドに、受信用の触媒を設置して新規に導入された魔導テレビジョン。キッチンに向かえば、シロウの為に取り揃えられたデザインの統一された食器類に至るまで。

 どう考えても、着の身着のままふらりと住み着いた少年に対して過剰なほどの配慮が行き届いている。


「どう考えても贅沢だよなあ。この上、夏服までねだる訳には。うーん、でもなあ」


 それどころか、彼女は事あるごとにお小遣いという名目で自由に使えるお金を渡そうとしてくる。生活必需品等のどうしても必要となる分以外は流石に申し訳無くて遠慮しているが、このままでは不味いと考える程度の分別はシロウにもあった。


「この世界での生活にも慣れてきたし、そろそろ何かしないとな。でもなあ……」


 シロウは苦悩に眉を寄せる。この世界にやってきてからあっという間に一ヵ月以上が経過したが、まだまだ完全に馴染んだとは言い難い。

 知らない異世界の事情もまだ多く、何処かで働き口を得ようにもどう探せばいいかも分からず、相手方にも思わぬ迷惑をかけてしまう可能性があった。


「おにいちゃーん。ただいまー」

「お。おかえりキサラ」


 うむむとシロウが頭を悩ませていると、コンコンとノックの音に続いて妹分がひょっこりと顔を出す。

 彼女はこの一月ほどの間に新しく出来た兄のような存在にすっかりと馴染んだらしく、いつでも気軽に接してきてくれるのでシロウとしてもありがたい限りだった。


 キサラは学校が終わるとまっすぐ帰宅するシロウとスツーカとは違い、何かと用事に追われているらしく。今も制服では無く外出用の軽装に身を包んでいる。どうやらまた、狩人見習いとしての訓練でもしてきたようだ。


「お疲れ。キサラはいつも頑張ってて偉いな。今日も修行してきたんだろ?」

「えへへ、ありがとうお兄ちゃん。と言っても、今日は雨が降りそうだから早めに切り上げてきたんだけどね」

「雨天時の訓練とかはしないの?」

「そういうのもあるけど。今日は師匠が気が乗らないってさっさと帰っちゃったから」

「そっか」


 師匠というのは、近所に住む狩人のお姉さんらしい。シロウは会った事が無いがキサラは幼い頃からその人によく懐いており、本人曰く狩人になるという夢もその人に憧れてとのことだった。

 いつかその人のように立派な狩人になると宣言して目を輝かせるキサラの姿は非常に眩しく生命力に溢れており、シロウとしてもこのまま何もしないのでは、妹分に面目が立たないという気持ちにさせられる。


「ところで、お兄ちゃんは何か考え事? なんだか唸り声が廊下まで聞こえてたよ」

「げ、うそ。恥ずかしいな。いやさ、俺にも出来るような仕事って何かないかなと思ってね。今のところエリスさんのお世話になりっ放しだから」


 シロウの言葉を受けて、キサラは思わぬ事を聞いたとばかりに目を丸くする。


「お母さん、気にしないと思うよ?」

「いや、だからってそれに甘えるのも男としてさ……」

「お兄ちゃんは男の人なんだから、そんな事気にしなくていいのに。うちに居てくれるだけで夢みたいだもん。その上お金なんて貰ったら神様に怒られちゃうよ」


 嘘一つないと言わんばかりの純粋な眼差しにシロウは思わずたじろぐ。

 どうにも異世界の常識にはまだまだ戸惑う事が多く、このような周囲の反応に驚くこともしばしばあった。いったい、自分のような平凡な男子高校生にこの世界の女性たちはどのような価値を見出しているのだろうか。


「ま、まあともかく。たまには自分で稼いだお金で買い物してみたいんだよ。でも、俺みたいなのは何処なら雇ってくれるんだろうと思って」

「んー、お兄ちゃんならその辺の人に声かけるだけでお金なんていくらでも貰えると思うけど。でも、そういう事じゃないのは分かったよ」


 そう訳知り顔で頷くと、キサラは顎に人差し指をかけて少し考える。

 僅かな時間を置いて彼女は閃いたように手をぽんと鳴らすと、いたずらっぽく微笑みながらシロウに対して一つの提案を行った。


「それじゃあさ、お兄ちゃん。ちょっと今度の休日について来てほしい場所があるんだけど」

「へ? どこ?」

「それは行ってみてのお楽しみ! どうかな?」


 提案してみたはいいが、いざとなると兄の反応が気になるのだろう。キサラはもじもじと何処か落ち着かなげにシロウの顔色を窺う。

 よく分からないが、話の流れからして何か仕事を紹介してもらえる場所に案内してくれるつもりなのかもしれない。

 特に予定がある訳でもないし、シロウに反対する理由は無かった。


「わかった。じゃあ次の休日はキサラに任せるよ」

「うん! ありがとうお兄ちゃん!」

「こっちこそ。気を回してくれてありがとな、キサラ」


 近寄って頭を撫でると、妹分は頬を染めて嬉しそうにすりつく。

 その様子は端から見ても非常に仲の良い兄妹のようだった。



「う、あうぅ……」


 その様子を自室の扉を少しだけ開けて眺めていたスツーカは、出て行くタイミングを計れずに、やがて諦めたようにそっと扉を閉めた。

 少年がやってきて以降少しだけ前向きになった少女ではあるが、生来の引っ込み思案が治るにはまだまだ時間がかかるようで、しょんぼりと肩を落として机に突っ伏すのだった。

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