第2話 子ねずみと異世界人

 意識が徐々に浮き上がるにつれて少女が最初に知覚したのは、普段使っている物より随分と硬い枕の感触だった。

 覚醒を迎える直前特有のぼやけた思考で、のんびりと考える。

 はて、いつ枕を換えたのだったか。 それに、ベッドでシーツに包まれているにしては、随分と肌寒い。

 ふと聴覚に意識を向ければ、風で木々が揺れる音に、虫のさざめきが鼓膜を撫でる。

 どうにも普段と違う状況に、さしもの寝ぼけ頭にも疑問が浮かんだ。


「お。起きたか?」


 身動ぎを感じたのか、頭上から声が降ってくる。

 妙に低い、それでいて包容力を感じる声質。おおよそ自室で聞こえるはずの無いその声に、少女は数秒遅れて一気に覚醒した。


「えっ、あっ。――あぐッ!」

「いてっ!」


 勢いよく身体を起こそうとして、覗き込んでいた少年の顔に額をぶつける。

 思わずもう一度身体を元の位置に戻して気付く。先ほどまで硬い枕だと思っていたのは、頭上で痛そうに頬を擦っている少年の膝枕だった。


「~~~~~……!!」


 寝起きで混乱する頭に羞恥、困惑、興奮、混乱、焦燥……。様々な感情が浮かんでは混ざっていく。

 もはや少女の頭は訳も分からず感情の坩堝と化していた。


 顔色を赤くしたり青くしたり忙しい少女の様相に気付いたのか、少年が頬をさすりながらも安心させるように笑いかける。


「落ち着きなって。ええと、何処まで覚えてるかな? 少し話してたらいきなり倒れちゃったから、とりあえず寝かせてたんだけど……」

「あ、え、えと……」

「枕に出来そうな柔らかい物なくてさ。男の膝枕なんて気持ち悪いかもしんないけど、そこはゴメンってことで」


 何処か気恥ずかしそうにペコリと頭を下げる少年の姿に、少女の心は撃ち抜かれた。


(か、か、か……、かわいい……!!)


 少女は昂り荒れ狂う感情を表に出さないよう必死だった。

 己のようなみすぼらしい人間が、彼のような男性に対して卑しくも興奮する姿など見せた日には、すぐに気持ち悪がられてしまうに違いない。嫌悪され、ツバを吐かれるか。あるいは、蹴り転がされて罵倒されるか。

 少なくとも、この夢のような時間は呆気なく霧散してしまうだろう。


 そう、夢のような時間だ。

 まさか、異性に膝枕してもらう日が来るなんて思わなかった。

 男の膝枕が気持ち悪い? 何を馬鹿な。値千金、一体どれだけお金を積めばそんな事をしてくれる男性と巡り合えるのだろう。自由に出来る大金など持っていない一学生の少女にはなおさら想像もつかない。

 それも、相手が目の前の彼のような……。


 少女はまさしく夢見心地といった様子で呆然としていた。

 様子を眺めていた少年が、まさか頭を打った影響かと心配し始めるまで、身動ぎ一つ起こさなかった。




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「ええと、落ち着いた……かな?」

「あぅ、えと、……はい」

「そっか、良かった」


 結局、少女がある程度落ち着いて会話ができるようになるまで十数分の時間を要した。

 断腸の思いで膝枕から頭を降ろし、ずりずりと座った姿勢のまま後ろに下がっていく少女は一見すると少年を警戒して距離を取ろうとする様だったが、直前の醜態を考えれば、これは少女が最低限冷静になる為に必要な距離なのだと少年にも理解できた。


 少年はあまり察しが良い方では無かったが、流石にあれだけ大慌てされれば、少女が自分の事を悪し様に思っている訳ではない事くらい分かる。


 結果として、少女と少年は少しだけ距離を取りながら、日が沈むのを眺めつつ少しずつ会話を交わす事となった。


「あ、ねえねえ。あの一際目立つ建物って何?」

「あ……あれは、私の通うエリュシア魔導学園です。私は二年で、その……」

「へえ。じゃあ、君も魔法とか使えたりするの?」

「あ、えっと、その、はい。魔導学園では、魔導を扱うことは大前提となる、ので……」

「ふーん。そうなんだ」


 何気なさを装って、少年は好奇心のままに質問を重ねる。

 少女は嫌われないよう会話を受け答えるのに必死で不審がっていないが、少年は明らかに上の空になっていった。

 それもそのはずだ。彼女との会話から、彼の心中には急速にある確信が芽吹いたのだから。


 すなわち ”ヤバい、ここ異世界だ” である。


 なんせ「魔導学園」である。よく見たら街並も何だか少年のよく知る地元のそれとは全然違う。

 というか先ほどから街の上空を飛翔している生物なんかも、なるべく見ないフリしていたが、あれ明らかにカラスとかそういうのじゃない。

 どちらかというと、ワイバーンっぽい見た目をした怪物である。


 本当は先ほどから気付いていた。

 少女が気絶している間、一人で街を眺めていて、すぐに違和感が頭を支配した。

 しかしながら、人間あまりにも唐突な出来事は中々受け入れられないものだ。


 せめて少女が起きるまでは、と自分を誤魔化し、少年は見ないフリを続けていた。


 そして、年貢の納め時である。


「あの、さ……」

「あ、はい。な、なんでしょうか?」

「えーっと……」


 先ほどまでの飄々とした態度から一転して、歯切れが悪くなる少年に不思議そうな表情を浮かべる少女。

 しかし、少年はそれどころではなかった。果たしてどう切り出したものか。


 ”俺、実は異世界人なんだけど、助けてくんない?”

 ”君、異世界の存在って信じる?”


 どう切り出してもヤバい奴認定は避けられない。

 とはいえ、右も左も分からない現状において、誰かの助けを借りる事は必須だった。

 となれば、まがりなりにも少年が交流した唯一の異世界人である少女に事情を説明して、どうにか助けになってもらうのが最も確実に思える。


 幸い、彼女は大いに挙動不審でこそあったが、会話も通じるし、良識的な優しい少女といった印象だ。

 流石に衣食住をお世話になるほど図々しくはないが、あわよくば警察とか保護施設とかに案内してくれたりしないだろうか。


「あ……」


 あれこれと考えて少年がまごついていると、少女が不意に小さく声をこぼした。

 彼女の視線を追うと、ちょうど夕陽が沈む瞬間を目にした。

 異世界であろうと、こうなってしまっては間もなく辺りも暗くなるだろう。

 そうなるといよいよ詰みである。流石に野宿は御免被りたい。


「日、沈んじゃったけど時間は大丈夫?」

「あ、えっと、その……そろそろ帰ら、ないと」


 少女がおずおずと言う。しかし、言葉とは裏腹に帰ろうとはしない。

 そういえば、彼女は少年と同じく迷子なのだった。

 これはまずい。最悪少年は野宿するしかないにしても、まさか目の前の少女までそれに付き合わせる訳にはいかない。


「ひとまず、来た道を思い返しながら戻ってみようか。不安なら俺も一緒に行くからさ」

「え、あ、は。はい!」


 ハキハキと返事をしようとしたのだろう。声が裏返って恥ずかしそうに顔を赤らめる少女を横目に、少年は心の中でガッツポーズを決めた。


 流れで一緒についていくように話を持って行ったのは少年にとって賭けだった。

 最悪キモがられて逃げられたらと思うと目も当てられなかったが、これまでの会話の感触から、そう悪い事にはならない気がしたのだ。

 結果としては成功。

 無事に彼女と居られる時間が伸びたので、後はこの時間でどうにか異世界人である事を打ち明けて助けを求めればいい。


 そうした少年の考えは、早々に打ち砕かれることになる。



「あ、こ、ここ、です……。私の、おうち……」

「あー、そうなんだ……」


 思いのほか、さっさと着いてしまったのだ。

 迷ったと思っていた少女だったが、どうやら無心で一直線に歩いていただけのようで、最初に方角さえ間違えなければ後はまっすぐ歩くだけで到着してしまったのだ。


 少女に野宿させるような事にならず済んだのは一安心だが、問題はこの後の身の振り方を少女に全く相談できていないという事である。


 このまま少女を家に帰してしまえば、この後どうすればいいのか本格的に途方に暮れる事となるだろう。

 未だ切り出し方は思いついていないが、とにかく伝えなくてはならない。


 何故か自宅に入らずに、もじもじとこちらに視線を向けたり逸らしたりを繰り返している少女の両肩を正面からがしっと掴む。


「ぴょっ!?」


 妙な鳴き声を発する少女を真正面に見つめながら、少年は覚悟を決めた表情で重々しく口を開く。


「あのさ、実は、大事な話があるんだ……。聞いてくれるかな」

「え、あっ、え、あの、その」


 混乱の極致といった様子で手をばたつかせる少女を視界に収めながら、少年は二言目を考える。

 しかし、次の言葉は口を突いて出る前に、泡のように弾けて消えた。


「お姉ちゃん……?」


 目の前の少女よりも、少しばかり幼い声。

 振り向くと、少女の自宅の玄関から、少女が僅かに幼くなったような女の子が顔を覗かせていた。

 恐らく少女の妹だろう。


「あ、キ、キサラ。ただいま」

「う、うん。おかえり……」


 妹の声を聞いて少し冷静さを取り戻したのか、先ほどよりは落ち着いた様子で少女が返事をした。

 そんな姉の肩越しに覗く男の姿に恐らく困惑しているのだろう。妹は少年を凝視しているように見える。

 さて、どう挨拶したものか。


「どうも、久坂史郎と申します」

「クサカシロー?」

「史郎でいいよ」


 少年――史郎が挨拶すると、少女の妹――キサラはおずおずとした表情から一転、破顔してとても嬉しそうな、人懐こい笑顔を浮かべた。


「あ。あ、あの。わ、私は……」

「おかあさーん!!お姉ちゃんがお友達連れてきたよー!!」


 何事か口を開きかけた少女を意図せず遮るように、キサラが大声を張り上げて屋内に駆けて行く。

 その珍しそうな対応を見るに、どうやら少女はあまり家に友達を連れてくるタイプじゃないらしい。それがぱっと見の印象通り、というのは流石に失礼に過ぎるだろうが。少年にもその程度の機微は備わっているのだ。


 それはそうと、少女は先ほど何を言おうとしたのだろうか?

 少年にはさっぱり分からなかった。

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