子ねずみ達に捧ぐ~ふと迷い込んだ異世界では俺の価値は天井知らずらしい~

もち沢

第1話 子ねずみと運命の王子様

 夕暮れ時、少女が道端をとぼとぼと歩いている。

 天然パーマの細いねずみ色の髪を垂らしながら陰鬱そうに顔を伏せて歩く彼女の姿は何ともみすぼらしい。

 わいわいと騒がしくすれ違う見知らぬ女学生の群れが、少女を横目に見てくすくすと含み笑いをこぼした。

 やはり、自分は一見して嘲笑あざわらわれるような存在なのだ。少女は周囲から表情を隠すように一層俯くと、なるべく目立たないように身体を縮こめて気持ち足早に帰路を急いだ。


 少女が通うエリュシア魔導学園は、子供の成長を促すための健全な競争を奨励している。

 そして競争がある以上、どうあってもこぼれ落ちる一握りの人間が存在する。

 少女はそうした落ちこぼれの中でも、様々な理由でひときわ周囲からいた。

 なにせ、つい先ほどもその境遇を思い知らされたばかりだ。


「私……何のために生きてるのかな」


 思わず口端から零れ落ちた一言に、少女の視界が滲む。

 頬を濡らさないように袖口で乱暴に目許を擦って顔を上げると、そこは自宅の玄関前だった。

 どうやら、気落ちしながら歩く内にいつの間にか帰り着いていたらしい。


 一刻も早く自室に引き籠って、暖かなベッドに潜り込んで息を止めてしまいたい。

 分厚い掛け布団に包まれている間だけは、まるで世界から隔離されたような心地になる。

 暗くて暖かい空間に一人きり。傷付き、ささくれ立った心を癒してくれる。


 少女は玄関のノブに手を伸ばして、しかし、そっと手を離した。


「……今は誰にも会いたくない、な」


 家に帰れば、そこには家族が居る。

 妹と母。

 少女とよく似ているのに、少女とは違い、明るくて気が利いて、人から好かれる妹。

 そんな妹を愛おしそうに眺めた後、少女を見て悲し気に眉をひそめる母。


 気立ての良い二人だ。決して少女を煙たく思っている訳ではない。それくらいは少女にも理解できた。

 しかし、妹が楽し気に友人に囲まれた学園生活を語る度に。あるいは、妹と比べて明らかに出来の悪い姉に心労を重ねる母の姿を見る度に。少女の心は締め付けられるような痛みを訴える。


 家にも、少女の居場所は無かった。



 人混みを避けながら、ふらりと当てもなく、さまよい歩く。

 他人の目は気になったが、魔導都市は広い。人の集まるような場所に向かわなければ、早々顔見知りに遭遇する事もないだろう。

 とにかく今は、自宅からも、学園からも。自分を知る何もかもから、少しでも離れたかった。

 足元だけを見つめながら、歩いて、歩いて。

 ――やがて顔を上げた時、少女は自分が何処に居るのか分からなかった。


「私って、どこまで馬鹿なんだろう……」


 周囲を見回して、見つけた高台に上った少女は、草むらへと無造作に腰掛けながら天を仰ぐ。

 無心で歩いてきた結果、両足は既に疲れ果て、帰り道すら曖昧だ。

 既に時刻は宵闇に包まれる一歩手前だ。このままでは自宅に帰り着くまでには真っ暗になっているだろう。

 完全なる自業自得の結果を前に、少女は自省すら億劫になって辺りを何気なく観察する。


 木々に囲まれた静かな空間だ。辺りには虫のさざめきと風が草木を揺らす音だけが耳をくすぐり、赤く染まる夕暮れ空とも相まって、何処か幻想的な心地に誘われる。

 人の気配もしないし、中々に良い場所だ。当てもない放浪だったが、行きつく地としては悪くない。

 行き来の道順さえ記憶していれば、の話だが。


「そういえば、昔何かの本で読んだな……」


 静謐をしばし堪能していた少女は、ふと記憶を掘り起こす。

 それは何時の日か読んだ、甘い甘いおとぎ話。

 誰からも嫌われる、可哀相な女の子。

 そんな哀れな少女が、自然豊かな空間ちょうどこんな場所で、運命と出会う夢物語。

 今ではすっかりお話の中に忘れ去られたを題材にした子供向けの絵本だった。


 まさに、シチュエーションはぴったりだ。

 少女は何となくソワソワした気持ちで、腰を上げてスカートの汚れを払ったり、木々の隙間の暗がりを覗き込んでみる。


 しかし、何も起こらない。

 当たり前だ。現実は空想とは別物だ。

 救いなど、そう簡単に転がっていたりはしない。


 我ながら何とも馬鹿な事を考えたものだ。いよいよ精神が追い詰められている証左だろうか。

 少女はそうして冷静に己の状態を省みると、口角を持ち上げて自嘲を浮かべた。

 先ほど拭い損ねた分か、理由もなく零れた涙の雫が頬を垂れる。


 不意に。

 がさがさと、立ち尽くす少女の後ろから草を踏み分けるような足音が聞こえた。


「え!?」


 直前まで考えていた妄想が妄想だけに、少女は驚愕と同時に振り返る。

 そこに立っていたのは――。



 そうして、少女は運命と出会った。



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 子ねずみのような少女が驚愕に目を見開いているその時。

 少年は困っていた。


 高校からの帰宅中、何となしに寄り道するつもりで普段とは違う道を選んだだけなのに、気が付けば致命的なほどに迷っていて。

 自分でも訳が分からない内に森にでも入り込んだのか、ミンミンと騒々しい蝉の声をBGMに鬱蒼と生い茂る木々を掻き分けながら、どうにか見知った道に出ようと悪戦苦闘して、やっと多少は開けた場所に出たかと思いきや。

 不意に目線が合った眼前の少女が、その瞬間からピクリとも動かなくなったのだ。


 おかげで何となく少年も動けない。息を呑む緊張の中、たらりと垂れた汗が少年の頬を流れ落ちた。

 仕方がないので身体の代わりに頭を回転させる。一体彼女はどうしたのだろう。まさかとは思うが、少年に謎の魔力でも目覚めて彼女を石化させてしまったのだろうか。あるいは、突然現れた少年があまりにも美しくて、驚きの余り意識を飛ばしてしまったのか。


 そういえば、いつの間にか蝉の声が聞こえなくなっている。

 ひょっとして、少年は迷い彷徨っている内に異世界にでもやってきてしまったのだろうか。

 きっとそこでは男が珍しくて、こんな風に出くわす事など普通はあり得ないから彼女は混乱しているのではなかろうか。



 半ば現実逃避を兼ねてひとしきり下らない事を考え尽くした後、少年はさて、と一呼吸置いて現実的な選択肢を考え始める。


 声をかけてもいいのだろうか。

 偏見で申し訳ないが、何となく、異性慣れしてなさそうな女の子だ。

 声のかけ方を間違えると、逃げてしまうかもしれない。


 別に逃げられて困るわけではないのだが。何せ、かれこれ数分の間見つめ合っているのだ。

 今更悲鳴をあげて逃げられるのも面白くない。思考しながら、視線を少女から少しずらしてその背後を眺めてみると、高台から見える街並みが夕焼けの紅に染まって結構な風情だった。


「――ねぇ。君、この場所にはよく来るの?」


 多少考えてから放った一言に、少女の肩が大袈裟にびくりと震える。

 特に話題が無い時は適当に天気か景色の話でも振っとけばいいと思っている少年としては、何気ない導入のつもりだったのだが。


「え、えお、えと、あの、はい」


 バッと顔を背けたかと思えば、何度もつっかえながら少女が返答した。

 どう見ても不審者に対する反応である。


 それも考えてみれば当たり前だ。

 見回せばこの場所には他にひとけも無さそうだし、きっと目の前の少女にとっては秘密の隠れ家のような所だったのだろう。

 そんな憩いの場で寛いでいる時に、いきなり森の中から見知らぬ男が割り込んできたのだ。ビビって警戒するのも当然の話だろう。


 不用意に声をかけたのは失敗だったかもしれない。


「あー。ごめんね、急に邪魔して。 学校帰りに寄り道してたら、道に迷っちゃってさ。延々歩き回ってたら、ここに辿り着いて」


 少年は僅かでも不信感を拭おうと少し慌てて事情を説明する。

 しかして、それは正解だったようだ。少女は再びこちらを向くと、あわあわと口を開いた。


「え。あ。わ、わたし、私も。私も、同じ……ような、感じ……です」


 舌をもつれさせながら勢い立てて話す少女の顔が、みるみる赤くなっていく。

 目は潤み、手をもじもじを動かしている。

 少年の言葉が、彼女にとって何かしらの琴線に触れたのだろうか。


「あ、そうなの? 良かった、不審者にでも間違われたらどうしようと思ったからさ」

「そ!……そんな、こと、ない、です」


 苦笑気味に応える少年の言葉に、少女は勢い付けて言葉を返そうとするが、すぐに言葉尻が萎んでいく。

 しかし、どうやら歓迎されてない訳ではなさそうだ。

 少年はそう判断すると、どうせならともう少し距離を詰めることにした。


「ねえ、良かったらさ。俺も一緒に景色を眺めてもいいかな?」

「え……?」

「道に迷った挙句にこんな良い場所見つけられたんだし。せっかくならもうちょい堪能したいなって思ってさ。もしよければ話し相手になってくれない?」


 一人で眺めるよりも二人の方が楽しい。

 その程度の軽い気持ちで誘ってみた少年だったが、少女の反応は劇的だった。

 ただでさえ紅潮していた少女の顔はいよいよ首筋まで真っ赤にのぼせ上り、呼吸は震え、足元がふらふらと覚束ない。


 放課後の気まぐれで束の間訪れた風情を楽しもうとしていた少年も、いよいよ心配になり少女を気遣うように近寄ると、それが限界となったのか。

 少女はキュウと喉を甲高く鳴らしたかと思えば、そのまま意識を飛ばしてふらりと前のめりに倒れ込んだ。


「わっ。おっと」


 少年はとっさに少女を受け止めると、どうしたものかとしばし途方に暮れた。

 しかし結局のところ、少女が目を覚まさない事にはどうしようもないと気付いてからは、たこのように茹だった少女の頭が冷めるまでしばらく寝かせることにして、一人で風景を楽しんだのであった。

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