第7話 子ねずみと手を繋いで
初日の授業を終えて。
廊下を歩くだけですれ違う学生からの視線が集まることに苦笑しつつ、シロウは目的の教室に辿り着いた。
「あの、ちょっとすいません」
「ひぇ。は、はい。 なんですか?」
「スツーカって子、このクラスですよね? 今いますか?」
ちらちらと遠慮がちに此方を窺っていた生徒を一人捕まえて、シロウは目的の人物の所在を訊ねる。
すると興味深そうな表情でシロウの顔を眺めていた生徒は、一転して気まずそうな顔を浮かべた。
「あ、ああ。スツーカさんですか。彼女ならあそこの席に……」
彼女の指し示す方向に視線を向けると、そこには確かにスツーカが座っていた。
周囲にはクラスメイトだろうか。何人かの生徒が取り囲んでいる。
「あれ、友達かな」
「え? あ、あー……、どうなんでしょう。その、それじゃ私、お先に失礼しますね」
「ん? ああ、呼び止めてごめんね。ありがとう」
「い、いえ! それじゃ、失礼します!」
ぱたぱたと走り去っていく女生徒の後ろ姿をぼんやりと見送りながら、シロウはさてどうするかと考える。
友達と楽しそうにしているのなら、割って入るのも悪い気がしたからだ。
とは言え、先ほどの生徒の反応。
それに、ここ数週間一緒に暮らしていて、その間に学園から帰宅してくるスツーカ本人の態度からも、シロウは何となく彼女の教室での立ち位置を察していた。
邪推かもしれないが、遠目に観察してみると、スツーカの表情は何か困っているようにも見えてくる。
(そういうのって、下手に口出すと返って悪化したりとかって聞くけど)
シロウは、その辺りの機微は苦手だった。
元来、あまり空気の読めない男である。思慮が浅く、思った事はすぐに口に出す。
周囲の友人からも、よく呆れられていたものだ。
しかし、ここで黙って立ち去るのも、どう考えても違うように思える。
第一、学園には彼女ら姉妹の道案内で通学してきたのだ。一人で無事に帰れるかは怪しい。
「ま、なるようになるか。ちょっとお邪魔しまーす」
だんだんと考えるのが面倒になってきたシロウは、まあいいか。と思い直して教室に踏み込んだ。
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「ねえ、スツーカさん。ちょっといいかな?」
来た、と思った。
放課後。皆が帰り支度を済ませながら含むような視線をスツーカに向ける中、彼女達はやって来た。
これまでの休み時間などはすぐに席を離れて一人になれる場所に逃げ込んでいたが。後は下校を残すのみとなった今、ついに捕まったらしい。
彼女達の用件は、今日一日、方々から向けられた視線の意図と同じく、明らかだった。
何しろ朝、一緒に並んで通学していたのは多数の生徒が目撃しているのだ。
まして、その後正門でしばし立ち止まっていたのだ。あれは随分と目立った事だろう。
学園には思春期の女子が集まっているのだ。噂など一呼吸の間に広まる。
スツーカは、俯きがちな頭を少しだけ上げて、やってくる少女達に反応した。
「マ、マノンさん。あ、あの。な、なんですか……?」
「そんなにビクビクしなくてもいいじゃない。私たち、別に貴女をイジメたりしてないでしょう?」
「は、はい……ごめんなさい」
正面に立つマノンを見上げる。
堂々とした立ち振る舞いに、見下すような視線。いつも取り巻きの生徒たちを引き連れている彼女は、スツーカが最も苦手とする人物の一人だった。
卑屈そうに頭を下げるスツーカを見て彼女は腕を組むと、ため息を吐いた。
「はあ……。まあ、いいわ。それよりも聞きたい事があるの。貴女だって、私たちが何を気にしているのか、分かってるでしょう」
「あ、ええと、それは……」
「今朝から皆が噂している、あの方についてよ」
当然、理解している。
唐突に学園へと現れた、存在するはずのない男子生徒。
そんな人物に興味を持つなという方が難しい話なのだ。
かといって、当人に直接話しかけに他クラスまで足を運ぶような蛮勇を備えた者もまた滅多に居ないだろう。
故に、その場に居合わせて親しそうに会話をしていた
きっと、妹も今日はいつも以上に人に囲まれていたに違いない。
あの娘なら恐らく自分などと違い、難なく応じたのだろうが。
「ねえマノン。この子さ、私達には教えたくないんじゃない?」
「うわ、独り占め? そういうの、あんまり良くないと思うよ」
「そんなだから、いつまで経ってもクラスに馴染めないんだって。みんな心配して言ってあげてるのに、全然反省しないよね」
スツーカの席を取り囲むようにして、取り巻き達が口々に騒ぎ立てる。
これまでも度々あったことだ。しかし普段とは違い、明確な目的がある彼女達はひとしきり言い終わるまでスツーカが我慢していても立ち去ってはくれなかった。
やがて、焦れたようにマノンが口を開く。
「ちょっと貴女達、静かになさい。あのね、スツーカさん。私は別にあなたの――」
「すんませーん。ちょっといいですか?」
マノンの言葉を遮るように、彼女の背後から声が被せられる。
日頃、学園で聴くことのない低い声質。明らかに男性の声である。
スツーカにとっては、ここ何週間かで幾ばくか聞き馴染んだ人物の呼び声。
「スツーカ。迎えに来たよ」
「シ、シロウさん……!」
そこに立っていたのは、やはりシロウだった。
本当は、慣れない彼の為に自分が迎えに行くべきだった。しかし、自分などがシロウの教室に行ってますます妙な噂が広まっては、シロウの迷惑になるのでは。
その思いが、スツーカの足を縫い留めた。そうこうしている内にマノン達に捕まってしまったのだ。
「え、うわ、本物……?」
「うそ、やば、マジで男じゃん!」
「あ、あの! 私、彼女と同じクラスの……」
「転入してきたってほんとですか!?」
わざわざ自分達の教室に入って来た男性を前に、未だ残っていた一部の生徒たちが一気に盛り上がる。
先ほどまでスツーカを取り囲んでいた少女達の興味も、一瞬でシロウが持っていったようだ。もはやスツーカに視線を向ける者はシロウ以外に居ない。
「皆さん、落ち着きなさい。シロウ様のご迷惑になっているわ」
パンパンと手を2、3回鳴らしてマノンが注意すると、シロウの行く手を阻む形になっていた女生徒たちが一斉に両脇へと避ける。
その様子を困ったように眺めていたシロウが、申し訳なさそうに口を開いた。
「あー、皆さん、すいません。俺も色々お話したいところなんですけど。今日は初日って事で、早く帰ろうと思ってて。
――スツーカ、行こう」
そう言って、シロウはスツーカの手を取った。
温かな手が、小さなスツーカの手をぎゅっと包み込む。それは思ったよりも力強くて、ほんの少しだけ痛い。
突然現れた男子を前に騒がしかった教室内が、しんと静まり返る。
皆の視線が、繋がった二人の手に集中していた。
軽く引っ張られるようにスツーカが教室から出ようとする直前。
硬直する生徒達の中から、いち早く気を取り直したマノンが一歩前に出た。
「あ、あの。不躾な質問なのですが。その、お二人はどういうご関係で……?」
背後からかけられた声に反応して、シロウが振り返る。
「ああ。俺、彼女の家に住まわせてもらってるんだ。諸事情で俺が困ってる時に、親切にしてもらってさ。すごく感謝してるんだ」
「同居!? そ、そうなんですか」
「うん。だから、ちょくちょく顔を見に来ると思うんだよね。なので、これからも皆さんよろしくお願いします、って感じかな。それじゃあね」
そういうと、シロウは頭を軽く下げてから、再びスツーカの手を引いて教室を出ていく。
後に残されたのは、呆然と立ち尽くす生徒達だけだった。
帰り道を二人並んで歩く。
教室を出てから、二人とも無言のままだった。
スツーカは恐る恐る、隣を歩く少年の顔色を窺う。
無表情を取りつくろいながらも、何処か怒っているような、悔やんでいるような、あるいは悲しんでいるような……。
彼は、これまで見た事のない表情を浮かべていた。
見せるべきでない場面を見せてしまった。
あまりの情けなさに、小さくなって消えてしまいたかった。
教室に馴染めない、同級生に囲まれて怯えるばかりの弱い少女。
挙句に転入したばかりのシロウにフォローされて、感謝の言葉すら伝えられていない。
そんな不甲斐ない自分に失望しているのではないか。
何とか言わなくては。
言い訳して、誤魔化して、それで……。
少女の目端に涙の粒が浮かぶ。
彼に見られないように、いつものように俯いて顔を隠した。
「…………」
「……あのさ」
しばらくして。
声を発したのは、シロウの方だった。
少年はどう話したものか悩むように眉間を寄せて、頭を掻きながら言った。
「その、ごめんね。勝手な事して」
「え……?」
まさか、謝られるとは思っていなかった。
謝罪の必要があるのは、どう考えても自分の方で。むしろ、こんな情けない女など罵られて当然だと。
「な、なんで……」
「いや。俺もさ。下手に口出すのは良くないかな~って思ったんだけど。あいつら、何だかスツーカを囲んで好き放題言っててさ。むかついて、つい割り込んじゃった」
前半は腹を立てながら、最後は少し恥ずかしそうに告げる少年の横顔は、僅かに朱が差している。
「結局、一緒に住んでるとか余計な事まで言っちゃったし……。俺、こういうの分かんなくてさ。その、今後もっと面倒な事になったりしたら、ごめんね」
「そ、そんな! 大丈夫、です!」
スツーカにしては大きな声で否定する。
思ったより声が大きくなったのは、身体が強張っているからだ。
気を抜くと、先ほどとは違う涙が零れそうで。
彼が、自分の為に怒ってくれている。
それだけで、少女は救われた思いがした。
「あ、そういえば。キサラに声をかけるの忘れてたな……。どうしよう」
空気を入れ替えようとしてか、少年が思い出したように声を上げた。
妹の名前が彼の口から出た事でせっかくの二人きりの時間が邪魔されたような気がして、スツーカは微かに声のトーンを落とした。
「……あの娘なら、この時間は用事があるはずですので、だ、大丈夫だと、思います」
「へえ。そうなんだ。用事って?」
「え、ええと。今日は、お友達と一緒にエレガノの丘で一角兎を狩るんだそうです」
スツーカが朝の会話を思い返しながら、そう伝えると。
シロウはとても興味深そうに食いついた。
「は? え、 狩り!?」
「その、はい。あ、あの娘、将来はギルド所属の
スツーカの説明を聞いたシロウの目が丸くなる。
「へ、へえ。そうなんだ……。そっか、そういう……。モンスターと戦う感じの世界だったのか……。そういや、初日にワイバーンみたいな生物も見たしな……。そっかぁ……」
一人、納得したようにうんうんと頷くシロウ。
不審なその様子をおろおろしながら少女は眺めていた。
「あ、あの……?」
「あ、ああ。いや、異世界の常識に戸惑ってるだけだから気にしないで」
「そ、そうですか」
その言葉でスツーカは納得する。
出会ってからの数週間で、このような事は何度もあった。
一人別世界にやってきた彼が、この世界を学ぶ上で、常識のすり合わせに苦労するのは仕方のない事だ。
事情を知る少女だけが彼に共感できるのだと思うと、スツーカにとってはむしろ喜ばしい事柄である。
学ぶ、といえば。
「あの、そ、そういえば……。初めての講義は。ど、どうでした……か?」
今度はスツーカが話題を振る。
聞けば信じがたい事だが、少年の世界には魔導技術は存在しなかったという。
少女からすると想像もつかない世界だが、それならば魔導学園では新たに学ぶ事ばかりだろう。
案の定、少年は目を輝かせた。
「それそれ! 教師の話はぶっちゃけ全然解かんなかったんだけどさ。魔力の効率的な運用法とか魔導具の整備の仕方とか、もう聞いてるだけでテンション上がっちゃって! これぞ異世界! って感じだよね」
「そう……なんですか?」
「そうなんだよ。その内実技の時間もあるって聞いたけど、勉強したら俺にも魔法が使えるようになったりするのかなあ。なんかワクワクしてきた」
そういうと、少年は指先を宙にくるくると回転させる。
きっと彼の頭の中では、色とりどりの様々な魔術が指の先から飛び出しているのだろう。
楽しそうなその様子を眺めながら、少女は今、幸せだった。
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