第32話 子ねずみは羨む

 ちらちら。

 周囲の女性達が遠慮がちに向けてくる視線にシロウはいい加減辟易としていた。


「みんな、そんなに気になるなら話しかけてくればいいのにな」

「学園ならばまだしも、このような社交の場では中々難しいものですわ」

「うーん、そうは言ってもな。こうして視線だけ向けられても困っちゃうわけで」


 シロウが困ったように頭に手を置くと、フィーナがくすりと笑った。


「皆様、先ほどのマノンさんのお母様との会話で多少なりともシロウ様の人となりを察されたのですわ。シロウ様は視線を向けられた程度で怒るような御方ではないと」

「むう……。そう言われると、文句も言いづらいけど。でも、そうだな……。試しにちょっとこっちから話しかけてみるか」


 そう言ってシロウは周囲を見回す。

 すると大人達の中にちらほらと、シロウ達とあまり歳の変わらなさそうな三人組の少女達の姿を発見した。

 シロウはすたすたと彼女達の下に歩み寄っていく。


「やあ、こんばんは」


 声をかけられた少女達は動揺して互いに顔を見合わす。

 やがて、三人を代表してオレンジ髪の少女が挨拶を返した。


「ご、ごきげんよう」

「ちょっと話し相手を探しててさ。良ければ少し付き合ってもらえないかな」

「は、はい。私達で良ければ」



 -----


 周囲の視線を丸ごと引き連れて、シロウが他の招待客の下に歩いて行く。

 自分達から離れていくシロウの後ろ姿を見つめながら、スツーカはグラスに注がれたジュースにそっと口をつけた。


「まあ。わたくし達、置いていかれてしまいましたわね」


 同じようにシロウを目で追っていたフィーナが残念そうにこぼす。

 誰よりも目立つ少年が居なくなった以上、少女達に目を向ける者は居ない。


「シロウ様は気ままなお方ですわ。まあ、そこもまた好ましいのですけれど」

「そ、そうですね」

「ふふ。……わたくし達、似てますわね」

「え?」

「あの方を慕っているという事ですわ」

「…………あう」


 その言葉にスツーカの頬が染まる。一方で、言い出したフィーナも気恥ずかしかったのか頬に手を当てる。

 会場の誰よりも小柄な少女が二人、互いに似たような表情で顔を見合わせた。


「そういえば、まだ申し上げておりませんでしたわね。……ごめんなさい」


 そう言ってフィーナはぺこりと頭を下げる。


「え? な、何の話ですか?」

「この間の事ですわ。シロウ様とお二人でのお出かけにわたくしが割り込んでしまって」

「い、いえ。あれはシロウさんからお願いした事ですし」


 滅相も無い、と首を振るスツーカにフィーナが続ける。


「でも、本当は二人きりがよろしかったのでしょう?」

「…………」


 沈黙。

 言葉を詰まらせるその様子を見て、フィーナは首肯した。


「当然ですわ。わたくしだって、あの方と二人きりで過ごすひと時に他人が入り込んだら、きっと腹を立ててしまいますもの」


 ここのところ放課後に二人が過ごしている僅かばかりの時間。

 それは、いつの間にかフィーナにとって特別となっていた。


「……でも。わたくし、他の方から伺いましたの。わたくしにとって大切なあの時間は、元々はスツーカさんのものだったと」

「…………」


 以前は当然のように過ごしていた二人きりでの下校。

 その日あった出来事を楽しそうに話してくれるシロウの横顔を見つめて歩くその時間が、少女は好きだった。

 しかし今では放課後のシロウはフィーナにかかりきりで、スツーカを迎えに教室までやって来る事は無くなった。それが寂しくないといえば嘘になるだろう。


 黙っているスツーカを見て、再びフィーナはぺこりと頭を下げた。


「ですから、ごめんなさい。わたくし、スツーカさんに悪いことをいたしましたわ」

「い、いえ。そんな!」


 慌ててスツーカが止める。頭を下げられるような事は何もされていないのだ。

 そもそも。臆病なスツーカは、シロウに自分の思いを何も伝えていない。今まで教室へ迎えに来てくれていたのだってシロウの気遣いである。

 スツーカが黙っていても常に気にかけてくれる少年の優しさに、これまでずっと甘えていただけなのだ。

 そんな自分に謝られるべき理由など無い。


「わ、私は……」

「ですが!」


 言葉を探して曖昧に目を泳がせるスツーカ。

 その怯懦を吹き飛ばすように勢いよく顔を上げたフィーナは、きらりと意志を秘めた瞳で続けた。


「わたくし、元より誰にも遠慮するつもりはありませんの。それが、たとえお友達であっても。わたくしは、何があろうと必ずあの方を手に入れてみせますわ!」

「あ……」


 光輝く熱量。

 燃えるような決意を宿したその瞳がスツーカを貫いた。


 この場でかろうじて言葉を吐き出そうと口を開いたのは彼女の成長と言えるだろう。

 しかし、臆病な少女にできたのはそこまでだった。


「…………」

「い、いきなりこんなお話をしてごめんなさい。わたくし、少し気が急いているのかもしれませんわね。まったく、お恥ずかしい限りですわ!」


 声も無くうつむく少女に言葉を投げかけて、フィーナは照れ臭そうに自分の頬をぐにぐにと揉んだ。

 その様子に含むところは無い。腹の底から宣言を打ち上げて、どうやらそれで満足した様子だった。


 スツーカは、少女の気質を羨ましく思う。

 思う事を心のままに吐き出せる。それはきっと、シロウにも共通する資質で。

 そんな二人は相性も良く互いに気を許し合えるのだろう。

 きっと、自分なんかよりも。


 うじうじと考え出すと止まらない。元々卑屈な性格だ。あれこれと根暗な自分が顔を出す。


 思い悩む少女の沈下していく思考がせき止められたのは、少年の声を聞いての事だった。


「それじゃあね。話し相手になってくれてありがとう」

「うん! また!」

「あたし達で良かったらいつでも声かけてね!」

「またね~」


 互いに手をふりふりと振り合い、少年が戻って来た。

 どうやら僅かな間にずいぶんと仲良くなったらしい。

 他人とのやり取りは少年にとってはお手の物だ。少し目を離したら、すぐに誰かと仲良くなってしまう。


「おかえりなさいませ、シロウ様!」

「お、おかえりなさい」

「ただいま。とは言っても、ちょっと離れただけだけどね。でも、よく考えたら一人でうろつくのは二人に悪かったよな。ごめん」

「い、いえ」

「ええ、ええ! わたくし寂しかったですわ! もっと構ってくださいまし!」

「おお、わかったわかった。ヨーシヨシヨシヨシ」

「くぅ~ん……って、犬や猫じゃありませんわぁ~~!!」


 ほっぺたを揉みくちゃにされて、フィーナはぷりぷりと怒るような仕草を見せる。


 あんな風に甘えられたらいいのに。

 そんな思いで少女は二人のやり取りを眺めていた。

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