第59話 異世界人とお祭り その4
それから、シロウを肴にしたファッションショーはしばらく続いた。
騒ぎを聞きつけて周囲のコスプレイヤーやイベントを見に来た観客までもが取り囲む中、シロウはあれやこれやと指示されるままにポーズを取る。
「きゃー! こっち向いて王子様ー!」
「ウインクお願いしまーす!」
ぱちり。
王子ファッションに身を包んだシロウが、ヤケクソ気味に下手くそなウインクを飛ばすと、彼女たちは黄色い悲鳴を上げて崩れ落ちた。
「あーん、あっちの子たち羨ましい!」
「こっちに視線くださーい。あ、出来ればなるべく汚い物を見るような目で睨みつけてもらえると助かりまーす」
ぱしゃぱしゃとカメラのシャッター音が響く。
撮影の許可を求められて、何も考えずにOKを出してしまったのが運の尽きだった。
会場中から集まったカメコが、四方八方からステージ上のシロウをレンズに収めていく。
「シロウ様! 次は前かがみで! ふおおおお、な、投げキッスもお願いいたしますわー!!」
「クサカくーん! こっち睨んでー!! 『ふん、貴様は特別にこの俺様が飼ってやろう。光栄に思うんだな』って台詞付きでおねがーい!」
最初はお行儀良く楽しんでいた観客たちも、気付けば場の空気に呑まれて過熱していった。
一部の者たちなど、既になけなしの遠慮を投げ捨てて、欲望に全力投球の構えだ。
盛り上がる人々の輪から弾き出されたスツーカが、よろよろとベンチに近寄る。
すると、そこには先客が居た。
「はあ、はあ……。あ、ナツキさん?」
「あれ。スツーカちゃんも休憩? アタシと一緒でその衣装、暑そうだもんね。 ほら、これあげる」
そういって彼女が差し出したのはスポーツドリンクだった。
「水分補給は大事だかんねー。なんか大騒ぎだし、先にみんなの分も買っといたの。はいよ」
「あ……ありがとうございます」
スポーツ飲料を受け取ったスツーカは、くぴくぴと飲み始める。
爽やかな甘味が身体に染み渡る。いつの間にか随分と暑さにやられていたらしい。
ひんやりとしたペットボトルが心地良い。
「いやー。みんな、凄いよね」
「え?」
唐突に呟いたナツキの一言に、スツーカは小首を傾げる。
「ほら、熱量とか。あんなに素直に欲求を表に出せるのって、凄いなって」
「…………」
その感情は、スツーカにも理解できた。
彼女たちは、自分の欲にとてもまっすぐに従っている。
臆病なスツーカには決して真似の出来ない大胆さだ。
「コペがあんなにはっちゃけるなんてさ。……幼馴染っつっても、何でも知ってるわけじゃないよね、ホント」
ナツキが何を思っているのか、その表情からは見通せない。
もしかしたら、寂しいのかも。二人をよく知らないスツーカは何となく、そんな事を想像した。
「第一、さっきから何なの。なんか、睨みつけろだの俺様が飼うだの。変な指示混ざってない?」
「ふっふっふ。……それは、たったいま彼が身に着けているあの衣装が『春空』のリヒャルド様コスだからですよ」
ナツキの疑問に答えながら、スタッフの女性が会話に加わる。
「リヒャルド様……って何なの?」
「『春の空から愛を込めて』のヒーローよ。彼はとても高圧的な王子だけど、主人公である少女に対してだけは歪んだ執着を見せるの。さっきあの小柄な子が言ってたのは、彼の決め台詞よ」
それが本当に決め台詞だとしたら、随分と人を選ぶ作品のようだ。
「二人は休憩?」
「は、はい」
「まあね」
スタッフの女性の質問に、二人は首肯する。
彼女はけらけらと笑うと、シロウの方を見た。
「いやー。彼、本当に凄いね。あっという間にこのイベントの主役になっちゃった」
「なんせ、シーたんは男の子だからねぇ」
ナツキが肩を竦めると、スタッフの女性は首をゆるゆると振った。
「それだけじゃ、あんなに人は集まらないわ。……実は私、幼い頃に男の人を見たことがあるの」
「え?」
彼女は唐突に語り始めた。
「その天上人は、目的の場所に向かってまっすぐ歩いてた。まだほんの子供だった私は、憧れの男の人を見つけた喜びで走って駆け寄ったの」
「そ……それで、どうなったんですか?」
スツーカが聞き返すと、彼女は悲しそうに笑った。
「蹴り飛ばされたわ。『邪魔だ』って、一言付きで。……今でも覚えてる。あの冷たい瞳。私、いいえ。女の事なんて虫か何かとしか思ってない、あの瞳をね」
「そんな……」
スツーカが絶句する。
「それ以来リアルの男に興味が無くなって、この世界に入ったってわけ。だから私、実はリヒャルド様は苦手なの。……あの子はお気に入りみたいだから、内緒にしてね」
そう言って彼女は穏やかに微笑んだ。
先ほどの印象とは異なり、落ち着いた表情で笑っている。
きっと、彼女にも色々とあったのだろう。スツーカにその詳細を窺い知る事はできない。
「……でも。その主義も、今日で返上かもね」
「え?」
そういうと、彼女は今度はニヤリと不敵に笑ってみせた。
「だって、リアルで新たな”推し”を見つけちゃったんだもの! 彼は私の王子様よ! 推して推して、推しまくるんだから!!」
彼女は立ち上がると、空に向かって高々と宣言した。
「……いや、アンタの王子様じゃねーし」
ナツキが白い目を向けるが、彼女に動じた様子はない。
「それがどうした! 私が推したくて推すの! その気持ちが変わらない限り、彼はいつまでも私の王子様なのよ! フハハハハ!」
「……ふうん。アンタ、割と良い事言うじゃん。迷惑な奴だけど」
ナツキは彼女をどこか眩しそうに見つめて、そんな言葉を放った。
ついにシロウが音を上げる形で、ファッションショーがお開きとなった。
「ぜえ……ぜえ……。ようやく、終わった……」
「お、お疲れ様です。シロウさん」
スツーカはベンチに倒れ込むシロウの頭を膝に乗せ、ハンカチで彼の汗を優しく拭いていく。
暑さでべとついた膝が不快に思われないか内心でひやひやしていたが、幸いにも彼に気にした様子はなさそうである。
「シロウ様、ごめんなさい……。わたくし、ちょっと調子に乗り過ぎましたわ……」
「ク、クサカ君。私からも謝るね。ごめんなさい。と、ところで……何だか色々とお願いした気がするんだけど、出来たら忘れてもらえると、嬉しいなって……」
フィーナとコペが申し訳なさそうに、撃沈するシロウの顔を覗き込む。
まあ、彼女たちが言わずとも要求はどのみちエスカレートしていっただろう。
そういう意味では、それほど気に病むこともないのだが。
「ふ、二人とも気にしないで……。リクエストに応えられたかは分かんないけど」
「シロウ様は完璧でしたわ! 見て下さいまし、この写真の数々を! 親切な方が戦利品……もとい、写真を分けてくださったのですわ!」
「そうそう、特にこの写真の絶対零度の眼差しが……、あ。ううん、何でもない」
どうやら二人の心配は必要ないらしい。
スツーカはシロウの汗を拭き終わると、頭をそっと撫でる。
「ああ、癒される~……」
「……ふふ」
妹は撫でられるのが好きだが、姉であるスツーカはどちらかと言えば撫でる方が好きだったりする。
彼が自分の手に撫でられて嬉しそうに表情を緩めるのが、たまらなく嬉しいのだ。
「もうそろそろ、更衣室閉めちゃうけど。みんな忘れ物とか大丈夫?」
スタッフの女性が声をかけてくる。
各自、更衣室を利用しているので、もしかすると忘れ物があるかもしれない。
シロウの頭を落とさないよう慎重に、ポケットなどを確認していく。
どうやら、忘れ物は無さそうだ。
「あっ。もしかして腕時計を忘れたかも」
「あら。それなら今のうちに回収してね。疲れてるなら私が代わりに探してあげようか?」
「ああ、いえ。結構回復したんで、自分で探しますよ」
シロウがひょいと起き上がった。
先ほどまで感じていた暖かな重みが無くなって、何とも心寂しい気持ちが沸き上がってくる。
「あ……、わ、私も手伝います」
寂しさを埋めようと、スツーカはシロウの後を追いかけた。
「えーっと……。どっか隙間に入り込んでたりしないかな」
「腕時計、腕時計……うーんと……」
シロウとスツーカは、更衣室の中をしゃがんで見回す。
中には着終わった貸し出し衣装がごっそりと置かれていて、辺りにはコスプレ用の小物だらけだ。
「これは思ったよりも骨が折れるぞ……」
「は、はい。そうですね……」
二人は衣装の周りを漁る。様々なアクセサリーが転がっていて、腕時計をピンポイントに見つけ出すのは中々難しい。
「あ……」
「ん。見つかった?」
「あ、いえ。そうじゃなくて……」
スツーカが見ていたのは、先ほどまで自分が着ていたドルイドの衣装。
シロウが可愛いと褒めてくれた思い出のコスプレだ。
「……私なんかでも、可愛いって言ってくれて。嬉しかった、です」
「あ、ああ。……だって、本当のことだし、さ」
二人の間に沈黙が訪れる。
何となく居心地の悪くない、穏やかな静けさ。
窓から差し込んだ夕焼けが、鮮やかに二人の姿を照らした。
「……そうだ。最後にさ。もう一度、着て見せてくれないか?」
「え?」
「ほら。さっきは皆がいて、ちゃんと見れなかったし。……だめかな?」
「……い、いえ。……じゃあ、ちょっと。あっち向いてて、もらえますか?」
シロウが背を向けたのを確認して、スツーカはごそごそと着替え始める。
衣擦れの音が二人だけの空間でやけに響いて、気恥ずかしい。
「……き、着替えました」
「じゃあ、振り向くよ」
振り返ったシロウがまじまじと見つめるのを、スツーカは目を閉じて感じ取った。
恥ずかしさで少年の顔をまっすぐ見返せない。
しばし、二人は相手の呼吸の音だけが聞こえる空間で、互いの存在を感じていた。
「……やっぱり、可愛い」
「……ぁぅ」
シロウの短い言葉に、スツーカがもぞもぞと身動ぎする。
いつまでもこのままで居られたら。スツーカはそんな空想に囚われる。
しかし、遠くに鳥の声が聞こえて、水を差されたように二人の熱がゆっくりと落ち着いていく。
「……そ、そろそろちゃんと腕時計探さないとな! みんな待ってるだろうし!」
「は、はい! そ、そうですよね。わ、私着替えるので、また背を向けていてもらえますか?」
「わ、わかった」
霧散したとはいえ先ほどの妙な雰囲気が尾を引いて、焦ったようにスツーカは自分の私服を持ち上げる。
すると、その拍子に小物入れの中からするりとブレスレットが落ちる。
「あ!」
「え?」
ほんの数時間前、シロウから貰った大切なブレスレット。
それが床に落ちそうになって、スツーカは咄嗟に受け止めようと前につんのめった。
「ひゃっ……」
「危ない!」
地面に倒れ込みそうになる寸前。
どうにか受け止めようと、シロウが間に割り込んだ。
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「どうしてこうなった……」
痛む尻をさすりながら、シロウは自分の胸元を見下ろす。
そこにいたのは、奇妙な恰好をしたスツーカだった。
「あ、あの、ご、ごめんなさい。シロウさん、お願いだから、動かないで……」
「あ、ああ。ごめん!」
シロウとスツーカは互いに抱き合うような体勢でもつれ合っていた。
お互いの身体を密着させるように、紐のようなものが複雑に絡まっている。
よく見れば、それはスツーカのコスプレ衣装に飾りとしてあしらわれていた蔓だった。
「お、落ち着いて。ゆっくり解けば、大丈夫だから」
「あう、あうう……」
どくん、どくん、どくん。
スツーカの鼓動がどんどん速度を増していくのが伝わってくる。
恐らく、シロウの心音も似たようなものだろう。
汗だくで絡み合う、二人きりの男女。
言い訳の出来ない状況に、巻き付いた蔓を慎重に解こうとしていたシロウの手が止まる。
シロウの手が、ゆっくりと少女の背後に回る。
気配を察したのか、スツーカが潤んだ瞳で少年の顔を見つめた。
「シ、シロウ……さん?」
「…………」
無言で少年は腕を伸ばす。
あと少し、もう少しで――。
「シロウ様~~!! スツーカさ~ん! まだですの~~~??」
「わっ!」
「ひゃっ!?」
不意に響いたその声に、驚いたシロウの手が勢い余って蔓を引き千切る。
解放された二人は咄嗟に離れると、探しに来たフィーナを真っ赤な顔で迎え入れた。
「随分と時間がかかっておりますけれど……。あら、何だかお二人とも顔が赤いですわ。ま、まさか熱中症ですの!? た、大変ですわ~~~!! お水! どなたかお水をくださいまし~~~~!!!!」
フィーナが騒ぐと、他の者たちも何事かと集まってくる。
「あ、別にそういうわけじゃ……。い、いや。やっぱりちょっと暑くて頭がくらくらするかもなー。あ、あははは」
「あ、あうぅぅ……」
ぷしゅううう、と音がして。
笑って誤魔化すシロウの横で、羞恥のあまり少女の頭から湯気が噴き上がった。
「わ、わあああ!? スツーカ、大丈夫か!?」
「きゃああああ! スツーカさん!? や、やっぱり熱中症でしたのね! メディック、メディーーーック!!!」
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