第28話 子ねずみと相談事
「……そ、それで。しばらく放課後は用事があるから先に帰っててほしい、って」
机の周囲を取り囲むクラスメイトの質問にスツーカが答えると、彼女達は納得した様子で頷き合った。
「そうなんだ。だから最近は彼、迎えに来ないんだね」
「二人に何かあったのかって心配してたけど、そういう事情だったんだ」
「他の子の練習に付き合ってあげるなんて、やっぱシロウ君って優しいよね~」
「私も最近成績悪いんだけど、言ったら面倒見てくれるかな?」
「あんたみたいな相手にしたらシロウ君が可哀相でしょ。彼に余計な迷惑かけるんじゃないわよ」
「えー。ひど~」
わいわいとかしましく騒ぎ立てる女生徒達を眺めて、スツーカは内心の緊張で喉元を鳴らす。他人は苦手だ。ましてや、クラスメイトの少女達は遠慮というものがなく、土足でスツーカの懐に入り込んでくる。
以前とは違って教室内で腫物扱いをされるような事が少なくなった代償に、スツーカは周囲との慣れないコミュニケーションを余儀なくされていた。
全ては、あの日から。
あの日から、スツーカを取り巻く環境は変わった。
なけなしの勇気を振り絞って、シロウを引き留める為にひた走ったあの時から。
それまで、臆病で人付き合いが苦手な少女は友達を作る事もできず。
周囲との軋轢に苦しみながら生きてきた。小柄で根暗な少女の存在は周囲にとって異物として映ったのだろう。時には悪意に晒されながら少女は懸命に耐え忍んでいた。
しかし今、少女に対する周囲の見方は一変したと言ってもいい。
あの日、指示された通り声を殺して教室で待機していた学園生達の耳に届いた大きな声。それに釣られるように窓から見下ろした時に、シロウと共に天上人に対峙する少女の姿を学園中の生徒達が目撃したのだ。
実際に何を話していたのか。その詳細は不明ながら後から流れた噂によると、どうやらシロウはスツーカの為に学園に残ると宣言したという。
その事が学園生達に与えた衝撃は、ことのほか大きかった。
シロウが学園を去るという事は、今や学園関係者にとっては生きる希望が失われるに等しい。それほど、同じ屋根の下に男性が居て交流できるという日々は彼女たちにとってかけがえのない奇跡なのだ。
地上において、この学園に関わる者以外は恐らく味わえないであろう幸福な日常。
それがあわや失われかけていたと知った彼女達の動揺は半端ではなかった。
故に、ただ一人でシロウを引き留めたスツーカの為した功績は計り知れない。
結果として。
これまでの不遇など忘れ去ってしまったかのように、スツーカは今や時の人として学園の中で注目を浴びる存在になってしまったのだった。
(うう……つらい……人の目が気になる……)
最近は、学園生活のあらゆる所でちょくちょく人の視線を感じるようになった。
以前であればその中に悪意や蔑視を感じ取ったかもしれない。しかし、今では少女に向けられる視線はその殆どが興味や好奇心に由来するものだ。
何しろ彼女達は気になって仕方ないのだ。あの楽園と謳われる『天上の園』への招待を蹴ってまで、シロウが共に居る事を選んだ少女の存在が。
少女の何が彼を惹きつけたのか。そして、可能なら自分も同じように気に入られたいという事だろう。その影響かは知らないが、あの日から少しずつ、学園にパーマをかけた少女が増えているような気がする。そのうち、髪色や性格まで真似されたらどうしようか。学園に陰気なねずみ色が広がる光景を想像して、少女はげんなりした。
(いじめられなくなったのは嬉しいけど、これはこれで気疲れする……)
以前とは様変わりした自分の状況に慣れるまでにはしばらく時間を要するだろう。
はあ、と少女は小さく溜息を吐いた。
「スツーカさん。今、ちょっといいかしら?」
放課後。最近はすっかりシロウが迎えに来る事に慣れていたため、一人で帰宅する事に少し以上の寂しさを感じながら帰り支度をしていた少女の下に、学友の少女が近寄って来た。
「マ、マノンさん。どうしたの……?」
「いえ、大した用ではないのだけど……」
マノンは普段のハキハキとした振舞いとは違い、何やらもじもじとしている。
よほど言いにくい事なのだろうか。スツーカは少し身構えた。
やがて、マノンは意を決したように顔を上げて言った。
「わ、私の家で今度、王都中から様々な人を招いてパーティを開く予定なの。それで、良ければスツーカさんも参加してもらえないかしら。その、出来たらあの方もご一緒に」
「え……?」
パーティ。過去、そのようなものに誘われた経験は当然ながらスツーカには無かった。目を白黒させる少女に何を思ったのか、マノンは慌てたように続ける。
「あ! 別に、あの方を呼ぶ口実として貴女に声をかけたわけじゃないのよ。ただ、娘の通う学園に男性が居ると知った母が是非一度お会いしたいと駄々をこねるもので……。むしろ、私としては貴女の方に用件があるというか」
「わ、私に?」
マノンは貴族の家に生まれ、見目麗しく才覚に富み、教室内でも皆に慕われている優秀な才女だ。
どこを取って見ても、スツーカとは比べ物にならない。
そんな彼女が一体、自分ごときに何の用事があるというのかとスツーカは混乱する。
「じ、実はその……」
再びもじもじと言いづらそうに周囲を見回して、聞き耳を立てている者が居ない事を確認するとマノンはそっと耳打ちした。
「わ、私とあの方の間を取り持ってほしいの」
思わずぎょっとしてマノンの顔を凝視する。恥ずかしそうに上気した頬に固く引き締められた唇。どうやら冗談で言っている訳ではなさそうだ。
動揺をどうにか抑えて、スツーカは訊ねた。
「ど、どうして私に……?」
「……私、多分あの方に嫌われていると思うの」
「え?」
意外な言葉にスツーカが驚く。
嫌う。おおよそシロウという人間からは想像も付かなかった。
彼は自分のような無価値な人間にすら優しい。まして目の前の少女のような、誰からも慕われるような人を嫌う事など無いように思える。
「あ、あの。……なんでそう思うんです、か?」
疑問を込めたスツーカの質問に、マノンは答える。
「あの方は貴女に会いにこの教室に来る時、いつも私を避けているわ。他の子とは楽しそうにお喋りに興じるあの方が、私と会話する時は決まってどこか距離を感じるもの」
その時のことを思い返しているのだろう。
悲しそうにマノンは胸元を握りしめて続けた。
「それで考えたのだけど。きっと私、貴女を虐めていると誤解されているのだと思うの。ほら、初めてお会いした時に……」
「あ……」
初めてシロウがこの教室に現れた時。ちょうどスツーカがマノンたちに周囲を取り囲まれていた場面を目撃したのだった。
思い返せば、あの時シロウは帰り道で随分と憤慨していた。その感情を今も引きずっているのなら、マノンに対して壁を作っていても納得できる。
「わ、私。貴女を虐めた事なんてないわよね? ……あの、どう思うかしら」
「ど、どうって言われても……」
不安そうなマノンに迫られて、スツーカは一歩下がる。
どうと問われて思い返してみれば、確かにマノンが少女に対して悪意を以て何かを行ったという記憶は無い。
当時のスツーカにとって、はっきり物を言う彼女の言葉が辛く感じられた事は確かにある。しかし、それはスツーカの為に言った事だと多少余裕が生まれた今なら分かる。
決して虐めなどという不名誉を受けるような事はされていないはずだ。
「……は、はい。私、マノンさんには色々助けてもらい、ました」
「そ、そう。そうよね。良かった……。私、気付かない内に貴女を傷付けていたらどうしようかと思って」
心底ほっとしたように涙目でマノンは胸を撫で下ろした。
誇り高い彼女の事だ。知らず知らずとはいえ、自分が虐めに加担していたなどという疑念には耐えられなかったのだろう。
「そ、その。それで……どう? 引き受けてもらえないかしら」
「……わ、わかりました。仲直りのお手伝い、させてください」
改めての懇願を受けて、スツーカは首を縦に振った。
少なからず自分の態度がシロウを誤解させた部分もあるだろう。
無関係ではない以上、スツーカにもいくばくかの責任があると言えるかもしれない。
承諾を告げられたマノンの表情がぱっと華やいだ。
彼女はスツーカの手を取ると、嬉しそうに両手で握りしめた。
「あ、ありがとう! 私、貴女とお友達で良かった! パーティの日取りが決まったらまた伝えるわね! それじゃあ!」
喜色満面で手を振って去って行くマノンを見送りながら、少女は握られていた自分の手をさする。
ほんのりと温かい。
お友達。
今まで気が付かなかったが、少女の事をそう呼ぶ相手がいたらしい。
そんな事を考えながら、心なしか弾むような足取りでスツーカは帰路に着いたのだった。
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